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閑居山

(平成六年二月)

 今年のお正月の三日には夫とドライブを楽しむことができた。帰省していた長男を送り、 時間のあいた午後、わたしが山へ行きたいと言うと夫は快く応じてくれた。
 以前には、わたしは自分からこのように申し出をすることなどまずなかった。めったにないヒマができたときに夫から「どこかへ行こうか」と言われても、首を横に振って、声にこそならなか ったが「だれが行くもんか」とそう言っていたように思う。 わたしに苦い思いをさんざんさせておいて、気がむいたからと謝罪のことばもなしにそういうことを言い出す夫を、どう努力してもゆるすことなどできなかった。
 もし何かの事情で夫がわたしよりも先に死ぬようなことが、わたしの今の心情の変化の前に起こったとしたら、わたしは死ぬほど後悔したに違いない。まだ間に合ってよかったと、つくづくそう思う。自分がいつ死んでもいいとそう思うように、今ならば不意に夫がこの 世から姿を消すようなことになっても、前に予想したほどの後悔はしなくてもすむと思える。
 それもこれも「あってある者」のもとにわたしのために探し集められたさまざまのできごとの結果である。 わたしのような馬鹿な人間でも、否応なしに気付くように、「これでもか」と「あってある者」懇切ていねいに目には見えぬ聖霊にいろいろの指示を出し、わたしが注文に応じて配達のために品物を揃えるように、聖霊はきっちりと洩れなく命令者の指図に従ったのである。時が経って初めて理解できるというのがたいていの身のまわりに起こる出来事の全容である。わたしは比較的早く今回のことの全容がつかめたように思う。

 閑居山という三百メートルほどの標高をもつ山がある。土浦へ、国道を利用しないで行ける道からはごく近いところ にある。朝市にかけるときにこの道を通るが、晴れた日の朝早くには、必ずと言えるほどこの山の麓のあたりにガスが降りている。 古代の大和の風景を思わずにはいられないようなこのようすは、あたりの樹々や家並と融合して二十一世紀が真近に迫る現代とは思えないほどである。自動車の修理工場や目立 つ自動販売機、ガソリンスタンドなどがなければ二千年前も同じ風景であったに違いないと思える。そこに住む人間の本質など、それよりももっと前から変わっていないではないか。
 閑居山は下から見る限りでは木が少なく、ほとんどハゲ山に見える。夫は小学校のころに遠足で行ったことがあるっきりだと言い、登り口に迷った。見当をつけて行くと広大な敷地を持つらしい営林署のフェンスに突きあたり、そのそばにある道からは車では登ることができなかった。車を降りて徒歩で行きかけたが、それは登山道ではないらしく荒れて いた。しかたがないのでもどることにしたが帰りに野生のハツ手を一本失敬してきた。
 道を探しながら相当裕福らしい農家の庭先に出てしまったりして、ようやく舗装された登山道に出た。途中に円明院といお寺があるどこかの家族がポリタンクにそのお寺の庭にある水を汲んでいる。ごく最近しつらえられたものらしく、わたしに言わせればひどく趣味の悪い造りになっている。東屋など建てて竹を利用した生垣もみえるが、お金と、それを儲けるのを最上の主義とする庭師に任せましたと立て札を立てておきたいような庭である。亡き父を思わずにはいられない。
 閑居山の水は有名らしく、道路の途中に設けられた竹筒からチョロチョロと流れ出る水を受けるためのポリタンクをもった人達が行列を作っていた。 その人達の乗ってきた車の列はかなり上まで連なっている。二〇リッターの水を受けるのにいったいあの流量では何分かかるのか。
 山道を十分も登ると峠にかかる。その峠を下りかけたとたんに、急に目の前に夕焼けに包まれたふたつの峰が現れた。筑波山!
 紫峰と呼ばれるにふさわしい色をした男体山と女体山が、その互いの距離を最もよくおいた位置で見えるのがこの地点らしい。それまで木の影になっていた山の姿がいきなり現れるものだからその出現のしかたは驚くばかりである。そして、そばにいる夫には多少申 し訳ないがこの景色をぜひA氏にも見せてあげたいと思った。夫はA氏のことはまったく知らない。仕事に明け暮れる日々を送っている人にはわからない世界がある。


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