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鏡の中

(平成六年四月)

 人間の認識上の数直線というものがある。ゼロを中心にして、そこから左がプラスの方向、右をマイナス方向と便宜上定めている。実際にゼロというものは存在しなしが認識の上では存在する。同時にマイナスという観念も同じである。
 この世の中で人間の目に見えるものをプラスの線の上に置くことのできるものとすると、その見える物のすぐ後ろ側にその物のマイナスの面が存在するはずである。鏡をその物のすぐ後ろに置くと考えればいいかも知れない。
 去年の放送大学の特別講義の中に「光学異性体」というのが出てきた。その物を形成している分子は同じであるがその構造が左右対称になるものである。講義の中ではイノシンが取りあげられていた。イノシンはコンブやカツオブシの中に含まれる「旨み」と言われるものであるが、同じ分子をもっていても「旨み」 があるものとまったくないものに分けられる。このことは何かひどく象徴的なことのようにわたしには思える。
 鏡は虚像を映すが、虚は実であるときもある。人の目に見える実像すべてが真実ではなく、ときにはその実像の隠れた後ろ側にあるものが真の実像であることが、もしかするとあるのではないか?
 見えるものだけを信じて人間は万物の頂点に立っていると思いこんでいるが、身近な例ではたとえばモンシロチョウなどの蝶々の仲間はすべて紫外線が見える。人間にはこれは見えない。ヒトの知らない世界を知っているものは地球上にたくさんいるということである。ヒトはすべての王では決してない。ヒトはこのことをもっとよく認識すべきである。もしこの鏡の後ろ側を、どの事物にも見ることができれば、ヒトはもっと賢く生きることができるのではないかと、そんなとりとめのないことを考えた。

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