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もやもやを吐き出す。

そんなにべったりくっついてて息苦しくならない?と思うことがある。


私も淋しがりなほうではある。

特に大好きな人とはいつでも一緒に居たい。

ただ、お仕事や友達と過ごす時間まで邪魔したいとは思わない。

そういう時間はバランスよくあったほうが穏やかにいられるのではないかと思っているからだ。


淋しがる程度や淋しさを埋める方法に関しての価値観はひとそれぞれだから、これは批判をしているわけではない。

あくまでも私が感じた率直な気持ちを残しておこうと思っただけだ。


「寝落ち電話」についてである。


恋人どおしなら私も共感できる。

となりで眠りたいけど、そうもできないとき、耳元で声をきくと安心できることがある。

寝息でもいいのだ。

どちらともなく眠っているあの空気が好き。


とても仲良くしていた友達と話しながらそのまま寝ていたことも何度かあった。

そのときは特に「寝落ち電話」をしたい!と熱望したわけではないが、なんとなく話が尽きず、なんとなく寝落ち電話になり、寝る前の淋しい気持ちを埋めたいというのがその時の私には多少なりともあったので、抵抗はあまり感じなかった。


でも、今はとても抵抗を感じる。

眠れないからと「寝落ち電話」をねだられても困るのだ。

今の私は、友達と「寝落ち電話」をしても眠れない。

それを伝えても伝えても、連日、おねだりメッセージが来て、もやもやしてしまった。


孤独な人が多いのだろう。

拭っても拭っても消えないさみしさがある。

それは私も同じ。

寝る前や夜中がとても孤独でつらい気持ちも理解できる。

だから、寝落ち電話自体は否定しない。


ただ、それは同じ感覚の人通しでやるぶんにはいいのだろうけど、感覚が違う人に強く望んでも拒絶されて、日中の孤独も増やすことになる可能性があることを考えたほうがいい。


人の感覚は少しずつ違うから、すべての空気を読むことなんて無理だろう。

できるだけ嫌な気持ちは伝えたくないけど、伝えないと分かってくれなくて、私が精神的に負荷を感じ、調子を崩してしまうときは、明確な言葉で相手に伝えるようにしている。


それでも、そんな風に拒絶する自分は冷たいのかなぁとか、だから、今、日常的に会話できる人がいないのかなぁと悩んだりもする。

一緒にいてストレスを感じる人と無理して一緒の時間を過ごすことと、協調性の境界線がわからない。


べたべた近すぎる人間関係は息苦しくなる。

でも、それを拒絶すると、周りから人がいなくなったと感じる。

適度な距離感で人付き合いできていた期間も長いのに、今はどうしてこんなによくわからなくなっているんだろう。

感覚が近い人と出逢えるのはすごい確率なんだろうか。

またそんな人たちと出逢える可能性は残っているだろうか。


こんなこと書いていると「自業自得だろ。自分を変えろよ。」と自分を攻撃し続ける自分が暴れる。

それも一理あるけど、それだけを強く思うと私は生きていけなくなる。

いますでに結構やばいのだ。


だから、自分の汚いかもしれない部分も吐き出していこうとおもう。


自分の価値観と近い友人と出逢えますように。

そう願っています。


いまは、ネットでしか出逢うことができないから。

いろんな価値観の人を探して、機会があればコミュニケーションをとりたい。

ネットのなかで完結の友人もいいなぁと思ったりしています。

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