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静かな朝

空が白んで、鳥の声がする、静かな朝。

時と場所を超えて、わたしは今すっぽりと鎌倉に居た日を思い出す。

靴をひっかけて離れの家からアナン邸の母家へ行き、勝手口のドアを開ける。
「お、待ってました〜」と
張りのあるふくよかな声で出迎えてくれる、大きな影。

「おはようございます」
と寝起きの声であいさつをして、やかんに水を入れ火にかける。
「よく眠れた?」
「はい、おかげさまでよく眠れました。アナンさんは?」
「うん。まぁ」
「夢は見ました?」
「うん。卵たくさんあるよ」

冷蔵庫を開けながら、酵母ドリンクを取り出し
「お湯がいい?炭酸がいい?」
と、聞いてくれる。
そうして今朝見た夢の話をしたり、最近興味のあることや冷蔵庫の中の使ってほしいものの話をアナンさんがする。
わたしはいつも「へぇ」「そうなんですね」「どうしてでしょうかね」などと相槌を打つばかりだった。
朝ごはんの定番メニューは、その時にある野菜を刻んで作るオムレツだった。
わたしはフライパンを火にかけながら、アナンさんはパンをトースターに置きながら、顔を合わせぬままおしゃべりをした。

「きょうは何が聞きたい?」
そう聞かれてもわたしは音楽をあまり聞かないので
「何がいいんでしょうかね」
といつも答えていた。
演歌、ジャズの日もごくたまにあったり、クラッシックも聞いた。
でも一番多かったのはマントラだった。
曜日ごとにマントラがあるのは、アナンさんから教えてもらった。
日曜日に過ごすことが多かったから、Surya Mantra(スーリヤマントラ)が定番だった。
スーリヤとは、太陽神のことだ。

一時期は朝の海を一緒に見にいくこともあった。
肌寒い中、漁に漕ぎ出す小さな船が浮かぶ海を眺めて、日が昇っていく方に向かいシンプルなヨガを教えていただいたりもした。
腕があまりにも上がらないわたしに「毎日続ければ少しずつ良くなるよ」と苦笑いをされた。

波の音に包まれ、向かう先から太陽のあたたかさにやさしく引っ張られるように浜辺を歩いた。
歩きながら、アナンさんのお父さんの話を聞いた。
静かな浜辺で、静かにお父さんの話をするアナンさんは、その瞬間お父さんに会いに行っているようで、嬉しそうだった。
そこは鎌倉の海なのに、なぜかインドが見えた気がした。

8歳ではじめてご両親と日本に来た時の話、20代で再び日本に来た時の話を聞いた。
「インドからどうして日本に来たんですか?」
と尋ねたら
「うーん、なんでだろうね。日本がいいと思ったんだろうね」
と言っていた。

バラッツさんみたいな答え方だなと思った。
バラッツさんは、アナンさんのお父さん、つまりはバラッツさんのお祖父様に性格がよく似ているとアナンさんが言っていた。
アナンさん、バラッツさんと話していると、ときどき会ったこともないお祖父様にも会っている気持ちになった。

いつだったかアナンさんが
「わたしたちは、前世でも縁があったんだろうね」
と言った。
急すぎて
「どうしたんですか?」
って聞いたら
「いや、なんとなくそう思ってね」
と笑っていた。
よくわかんないタイミングでよくわかんないことをたまに言ってくるアナンさん。わたしはちょっと嬉しかった。

わたしの中のインドは、アナンさん由来でできている部分がとても大きい。
アナン邸のキッチンと縁側と、ときどきコーヒー屋さんと鎌倉の海でしたおしゃべりはわたしの宝物だ。

「俺が出かけても、泣くなよ?」
と、どこかから声がする。

それはアナンさんがお出かけする時のお決まりの冗談だ。

「えー、泣いちゃうかも〜」
と、少しふざけてにっこり笑い合う。

いつものバッグを肩にかけ、玄関に向かう廊下を重たい足音がする。

玄関の引き戸のガラガラっという音とともに、引き戸についてる鈴が揺れてチリンチリンと鳴る

「いってきます」
と、くっきりした声に、ステッキのコツンと床をはじく音が聞こえる

「はぁーい、気をつけていってらっしゃい!」
キッチンから玄関に向かって、姿の見えないアナンさんに大きく声をかける。
いつものように。



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