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ワーホリまであと100日。

日記を見返してみたら、

ちょうど1年前の4月から
悩み続けていたみたい。

(半年くらいだと思いきや、もっとだった)

自分で起こした行動とはいえ

この1年間、人生で1番つらい時期を
もがきながら生きてきて

やっと崖に飛び込む準備ができた気がする。

このまま忘れたことさえも忘れてしまうのは
どうしても もったいなくて

自分の思考の整理と、その記録として
書き出してみることにしました。

日が経って、その時感じたリアルな感情を
思い出せなくなってしまうのは切ないから💭


さて。今の私の状況はというと‪🕊

満4年間 勤めた職場を退職し、
8月からニュージーランドへ
ワーキングホリデーに行きます。

北側のオークランドという都市にある
語学学校に半年間 通うことだけ決まっていて
最初の1ヶ月だけホームステイをします。

その後の住居、お仕事、計画含め
あとは何も決まっておりません。笑

たったこれだけのことなのに
ずいぶん血迷って時間が経ったなぁ。


違和感の正体。

仕事👩🏻‍💻

4年間、母校で職員をしていました。

仕事は好きでした。
人も、環境も、お子たちも。
今でも好きです。

日が経つ毎に感謝が増す、特別な場所。

お世話になった人に挨拶回りをしながら
複雑な、何とも言えない気持ちで。

正直 全員回りきるには身体も時間も足りなくて
それが今までの何もかもを物語っている気がする。

ひょっこり会いに来てくれるお子たちの
卒業を見守れないのも強烈に寂しい。

1年間ぐちゃぐちゃに悩んだけど
この選択が正しかったのか
未だに悩むし、本当にわからない。

けど、力をつけてまたいつか
自信をもって戻ってこられるように
今は前を向くと決めて頑張る。💪

退職というより2回目の卒業、な気分。

寂寂寂。

家🏠


2年間、一目惚れした家で、
憧れだった1人暮らしをしていました。

名付けるなら「人生をかけた遊び」。

大好きなものに囲まれた、
悠々自適な生活。

たくさんの人に遊びに来てもらったし
泊まりに来てもらったし

いろんな光景が思い浮かぶ、
愛おしい思い出の我が家です。

お気に入りだったベットサイド🛌🫧
ベットの上で食べちゃったりなんかして🍨
スイカも食べてる!🍉笑
大好きだった台所🍳
いっぱい作ったなぁ、ごはん。🍚


そんな中でも、ふつふつと湧き上がる、
幸せになりきれない妙な違和感。

生ぬるいお湯に浸かっているかのような。

今 充分幸せなのに、このあてのない焦燥感は
どこからくるのだろう。

((ドMなのか私は!))

20代の生き方でその後の人生が決まるって
どこかで聞いたことがあるけれど…

このまま終えて、本当にいいのだろうか。

石橋たたいて割っちゃうタイプなのに、
受け身で生きることが苦手なのは学生の頃から。

本を読んだりSNSを見たり
他人と比較すればするほど
もやもやもやもや😶‍🌫️

どんな生き方をしたいのか、
そもそも してきたのか。

この際とことん、
過去を掘りさげてみることに。


留学🛫

大きな転機は大学2年生の頃。

ひょんなご縁から、
フィリピンのセブ島とミャンマーに半年ずつ
計1年間 滞在していました。

国内外問わず、
その土地の素顔を見ることが
好きな私。

観光客が賑わう場所よりも

地元の人が通うローカルマーケットやスーパー、
住宅街や路地裏、出店屋台が大好きで
ひたすら出向いていました。

通っていたフライドチキンのお店🐔
食材がわからないおでん屋さん🍢
ほぼ毎週通ったマーケット
よく迷い込んでいた路地裏の洗濯物🧺
学校帰りに買い食いしていたおやつ。🥞


そもそも住んでいた寮のシャワーのお湯、
出なかったし。笑

赤土色の水がでてた🚿


とにかくどれだけ現地の人と馴染めるか、
一生懸命「暮らし」をしていた懐かしい記憶。

こんなことも。

大学3年生の頃、海外研修で
アメリカのカリフォルニアに行ったとき。

おそらくメインイベントであろう
ディズニーランドにみんなが行っている間、

私はホストファミリーに頼み込んで
キャンプに連れて行ってもらいました。

(憧れのアメリカのキャンピングカーは
本当に大きくてどうしても乗ってみたかった🥺)

これ!!!
5人乗っても広々🚚
朝ごはん🍳🍞
キャンプ場🏕を、
これで駆け巡った!笑

終始大興奮だった、これまた懐かしい思い出。😌

だいぶ変わり者?捻くれ者?感が
拭えないけれど。笑

愚直に自分と向き合ってきたともいえるはず。

そんな自分の過去に想いを馳せたとき。

自分の好きなところは、

いつでも真正面から自分の心と向き合って、
より良くありたいと頑張れるところ

だと。

上手く言えないけれど、
そのことが腑に落ちたとき、

叫びたいほど愛おしい 

不思議な感覚に。

だったら、今がそのタイミングだ。

悩むよりもまず行動しよう。

もう1度、外国で衣食住をしてみたい。


夢🦄

お恥ずかしながら……

私の夢は、

家庭をもつこと。

木のテーブルを囲んで、
手作りのほかほか焼きたてパンを
みんなで一緒に頬張ること
🍞

こればっかりは相手ありきのことで
いつになるかはわからないけれど

とことんこだわりたい譲れない夢。

ある意味、女性としてのライフプランに
シフトしていく きっかけにもしたかった。

主語を「I」から「We」にするためには
まず自分を知ることが必要で、

○私は何をやっていくのか
○私の個性とは
○周りから私は何を得ているのか、
何を無駄にしているのか

長いようで短い人生、
自分なりに咀嚼した知恵を
拙くても自分の言葉でまとめたい。

粛々と向き合って、
考えて悩んで考えて、
ぐるんぐるんして、

でてきた答えが、

私の場合は、

ワーキングホリデー

でした。

30歳までの若者に国が認めた制度。

学んでも働いても何もしなくてもいいという
柔軟性と自由度のよさが魅力。

(ちなみに年齢ギリギリのタイミングで行くことを
「ギリホリ」と言います。笑)


同じ人間として生まれてきているけれど、
場所や環境が少しずれただけで生活が変わる。

どっちがいい悪いというわけではなく、
とにかく興味深くて。

ありがたいことに私は日本人で

飛行機に乗れば、
船に乗れば、
どこにでも行ける時代に、
国に生まれてきた。

世界中のどこへだって行けるのだからこそ

色々な世界に行って
色々な生活を見て
色々な価値観に触れたい。

ちなみにニュージーランドを選んだ理由は

世界各国を旅してきた祖母が
1番よかったと話していた国だったから。

オーストラリアはいったことがあるし
カナダは寒いし広すぎる。笑

安直だけど とにかく直観。

私に合う気がしただけ。
なんなら合いそうと言われただけ。


…とはいいつつ、大好きな仕事と快適な家を
同時に手放すのは

想像以上の壮絶な覚悟が必要で。

更新のタイミングで思い切って家を退去し
地元に越してからというものの、
(数年前に亡くなった、大好きな祖父母が
住んでいた家に1人で暮らしています)

通勤時間は往復4時間に。

ちょうど仕事も繁忙期だったこともあり
朝5:30起床、夜23:00就寝

帰宅後はタイムアタック!⏱
バタバタお風呂に入って気絶するように寝る。

自分の中で欠かせないルーティンだった
大好きなごはんを作る余裕もなく、

乗り換えの合間に、立ち食い蕎麦屋や牛丼屋に
駆け込む日々。

同時期に、よりどころにしていた人間関係でも
かなり落ち込む出来事があったりして…

生きているんだか死んでいるんだか、
そんな時期がありました。

原因不明の微熱が1週間も続いたり
口開障害がでるほど口の中が荒れてしまったり
ヘルペスや10円ハゲもできた。

それでも日常は待ってはくれないし、
心身ともにぐっちゃり。むっちゃしんどい。

……気づけば「えいっ」と
退職願をだしていました。😶

思い返せば、学生時代の活動やアルバイト、
留学や1人暮らしを含め

色々な「やりたい」を忠実に遂げてきた私の人生。

そういえば、何も後悔していない。

その事実を持った過去の自分が
「えいっ」と背中を押してくれました。

よくわからないけれど必死になって走り続けて、
ふと後ろを振り返ると「道」になっていて。

混沌の中にも確かな秩序がそこに存在していた。

そんな感覚です。


最近、うれしい言葉をもらった。


「去年より、綺麗になったね。」


ときに迷ったり悩んだりしながら、
現在進行形で変化し続ける
そのときの人間はとても美しい。

大事に身に着けていたものを1つずつ手放して
すっぽんぽん状態になった今。

本当に痛々しかったこの1年が美しいとさえ思える
今の感情を表すなら…なんだろう。

年相応に深みを増して、
美しく年齢を重ねられますように。


今のきもち。

私がこんな発言を小出しにするようになってから

色んな「やってみたい」を
飲み込んだことがある人の多さに気がついて。

考えたことがあるとか実は後悔しているとか
現在進行形で悩んでいるとか。

わざわざ連絡をくれた人もいるくらいで。

言い訳はいくらでもできるし
情報過多で生きづらい今のご時世、

日常に忙殺されて
ラクで安全なほうに流れてしまうのは

人間の防衛本能的に当たり前。

生きるため。

何も落ち度はないし、

私だってそう。(オンライン英会話やるやる詐欺中)

そもそも怖くてしょうがない。

誰も自分を知らない国に、
1人で飛び込むことが。

先を見据えて計画を立てるタイプなだけに
予測不能の未来が怖い。

仕事を辞めると伝えたときの
両親・祖父母の切ない表情も忘れられない。

すぐに笑って頑張れって言ってくれたけど
過保護の家系だから、
本当は心配で心配でたまらないと思う。

(ゴメンね。)

帰国後だって、仕事を辞めていく以上
安定した収入はないわけで

生きるためには生活レベルを
下げるかもしれない。

どこに住むのか、
なんの仕事をするのか、
誰といるのか。

考え出したらキリがないし、
そんなもんです。私も。

吐くほど泣いて悩んだ経緯を
他の人にすすめるなんて
絶対にしたくはないけれど、

生きていけるだけのお金があって
寄り添ってくれる家族や友だちがいて
心身ともに健康な身体があって

だから自分で「選択」できる
「やりたい」を考えることができる

それそのものに価値があって、
それって本当に幸せなことで。。

選ぶ道より、選んだ勇気を
優先してみることにしました。

我ながら泥くさく、
一生懸命 生きたので

誰かの何かのきっかけになれたら、と
切に願うし

小さな表現者となれるよう、

苦手なSNSも少し勉強してみるつもりで
今これを書いています。

流儀は、

◎変えられないものを受け入れる忍耐力
◎変えられるものを変える勇気
◎上記2つを見分ける知恵

生まれ育ちや年齢、家族、
過去に既に起きたこと…

これはどう頑張っても変えられない。
うじうじしない。(しちゃうけど。)

ただ、お金や時間、プライドを言い訳にしている
変えられるものも人それぞれきっとある。
=忍耐と勇気はセット

これらを見分ける知恵を、培っていくこと


私は人たらしなので、男女年齢関係なく、

「すみません。
私、やっぱり苦しいかもしれないです。
相談させてください。」

って人の懐に入らせてもらったことが
何度あったことか。

すごいねって言ってもらえることも多いけれど
私が1人で成せたことなんて、本当にわずかで。

きっと読んでくれている人もいると思うので、
改めて言わせてください。

救われました、本当にありがとう。

私も、そんな懐の広さを持ち合わせて
いわゆる「素敵」とされる
たくましくて強い女性で在りたいです。

」日のようにあったかく朗らかに人を照らし、
長い樹齢を持つ大「」のようにどっしりと構え、
世を見据える

両親の想いが詰まった、私の名前のように。


そんなこんなで、渡航まであと100日。

初めての無職期間を全力で謳歌しようとした結果、

大阪、北海道、奄美大島、福岡、沖縄と
大移動の予感です。笑

会いたい人もいっぱい。

ちょっとゆっくり休みたい気もするけど

🌻人生の夏休み🌻

一生の思い出にするんだぁ。

この文章を書きながら、なぜか涙腺ゆるんで
絶賛 漏れてる。@電車の中(視線が痛い)
ひぃ。🫥

もういい加減、泣き虫は卒業したいんだけれど。

こちらは まだ少し、時間がかかりそうです。

1年後の私が、これを読んで
にっこり微笑んでくれることを願って。

ここまでの熱量はかけられないかもだけど
また、書きます。

A new beginning for me. 🕊

では。

2024.4.24  まち子
(丑年の牡牛座なので🐄つけてみました)

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