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【大野洋さんインタビューVol.1】人事コンサルタントを粘土遊びの道へ転身させた「ご縁」

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写真左:大野 洋さん、写真右:北島 紳也(インタビュアー)


プロフィール:1974年生まれ、千葉県流山市在住の1児の父。高校から社会人まで長きにわたりアメフトの選手・コーチとして活躍。
リクルートグループとITベンチャーで人事として従事した後に独立。人事コンサルタントとして働く傍ら、粘土遊びを事業に2020年12月に法人を設立。老若男女へ様々なワークショップを企画している。


INTERVIEW1:「ご縁」を紡いで選んできた生き方

 大野さんは、人生の分岐点での出会いやご縁から、自分の進むべき道を選んできた。社会人になる際には、アメフトのスカウトとの出会いからリクルートグループに入社し、今も人事コンサルタントとして生業となっている人事業務と出会った。また、子育て中に粘土遊びの面白さに取り憑かれてからは、その粘土を通じてねんど博士の中川織江さんと出会い、今では大野さんが立ち上げた合同会社 粘道(Nendou:ねんどう)の顧問をお願いする関係にまでなっている。本当に数多くの「ご縁」に恵まれてきた大野さんだが、そんな「ご縁」を大野さんは「ラッキーパンチ」と呼んでいる。

また、大野さんは、「目の前の物事に対して正しく努力すると自然と道が見えてきた」と語る。これまで、社会人でアメフト選手になることをトリガーに入社した会社でも、人事としての業務に真摯に向き合いノウハウを体得してきたからこそ、今の生活基盤を築くまでに至っている。途中、独立後にコロナの影響をもろに受け、奥さんの収入で何とか数か月を凌いだ苦労の中でも、家族との時間に重きを置いて育児と向き合い直した。その結果が、息子と過ごした粘土遊びの時間から、会社を起こして人生をかけて取り組むことの発見にも至っている。

社会人アメフトチームのメンバー

INTERVIEW2:子育て中の粘土遊びとの出会いが、働き方を刷新する

もともと大野さんは、仕事をバリバリ頑張る誰もがイメージするビジネスマンに理想の男性像を持っていた。「コロナ禍に独立をして奥さんに食わせてもらった時には劣等感を感じていた。」とも語る。それにも関わらず、コロナという機会があったからこそ、今では対局とも言えるような粘土遊びを生き甲斐にした働き方に進んでいる。
きっかけは、子どもに何か粘土で作るように頼まれたことであったという。ただ、いつの間にか気づけば夜な夜な粘土を無心でこねるまでに没頭するようになった。
その結果、それまで不安定だった仕事への不安や試行錯誤していた家族との時間の持ち方等の雑念が自然と消え、シンプルに自分が正しいと思える行動を出来るようになったと大野さんは語る。

息子の一言から始まった「ラッキーパンチ」によって、今ではNendouを立ち上げるまでに至っており、人生を粘土遊びに捧げていると言っても過言ではない。都内のオフィスでバリバリ働いていた大柄の体育会系ビジネスマンが、今ではアトリエで子どもや高齢者向けの粘土遊びワークショップを開催している。なんとも難しい連想ゲームである。(笑)
大野さんの今の姿は、綿密に計画され、それを実行したからこそ出来上がった状態ではないかもしれないが、「ラッキーパンチ」の支えによって、その時その時の悩みを前進する糧にしてきた愚直さによるものである。

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ミニチュア粘土たち

INTERVIEW3:好奇心からドハマりした粘土遊びが働くフィールドを広げる

粘土との出会いによって、人事コンサルタントにも好影響が出ている。今までは経験値を体系化したコンサルを行っていたが、もっと良い方法はないか?と改善案を考えるようになった。「粘土をこねながら、最適解を妥協なく探す経験がそうさせている」と大野さんは語る。

また、大野さんは人生を通じて粘土遊びに取り組んでいきたいと考えているようだが、それは「過去の出会いやご縁への恩返し」でもあるようだ。具体的には、自分の祖母に直接的に尽くしてあげることが難しかったとしても、過去にもらった感謝の気持ちを例えば高齢者向けワークショップを通じて返していく。それが間接的であったとしても、どこか無意識に「ご縁」を紡いでいくことが大野さんにとってのキーポイントなのかもしれない。

きっかけは好奇心から始まった粘土遊びが、いつのまにか自分の生き甲斐になり、趣味の域をとうに越えて働くフィールドとなっている。これからどのような出会いが、大野さんの粘土遊びを進化させていくのか楽しみで仕方ない。

<過去のバックナンバーはこちらからご覧下さい>

編集後記

「ご縁」という言葉は人脈と言ったり、リレーションと言ったり、様々な類語が存在しているが、大野さんのインタビューからはまさに日本語で表される「ご縁」の深さを感じ取ることが出来た。大野さんが人生の分岐点で「ラッキーパンチ」にぶつかっているのは、目の前のことに愚直に取り組んでいるし、出会いを大事にしているから。都内で営業として勤務していても、大野さんのように生き甲斐を実際に仕事にしていらっしゃる方とお会いする機会はなかなか無い。これこそ、地域に出会いを求めて繰り出している醍醐味かもしれない。

インタビューア/北島プロフィール:千葉県流山市在住の1児の父。流山での定住や子育てをきっかけに地域活動へ参加を考えmachiminへ訪問。得意や好きを活かした事業活動を考える中で、「流山やmachiminに関わる方へインタビューをして憧れの存在を見つけられたら楽しそう」と思い立ちメディアの立ち上げに着手。サラリーマンをやりながら、父親として・一個人として地域に関わる生き方・働き方を探求中。

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