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【大野 洋さんインタビューVol.2】粘土から道が生まれる 「粘道」が切り拓いた、ある父親の挑戦

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つるし雛に囲まれるmachimin1でのインタビューの様子


第2回目は実務型人事コンサルタントとして活動する傍ら、息子の誕生を機に粘土遊びと出会い、法人を立ち上げ様々な人に向けたワークショップを展開する大野洋さん。

「粘道」を通じて、大野さんが見ているのは10年後、20年後の世界だと言います。粘道とは何か、どうやって活動しているのか聞いてみました。


<第1回目はこちら>

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大野 洋さんプロフィール:
1974年4月6日生。奈良県出身。美術教師の父親と茶道/華道教室を営む母親のもとに生まれる。
約10年にわたりリクルートグループとITベンチャーにて採用業務ならびに教育研修業務に従事したのち独立。実務型人事コンサルタントとして活動する傍ら、息子の誕生を機に粘土遊びと出会い趣味として活動開始。2020年12月に法人設立、子ども・社会人・高齢者を対象に各種ワークショップを企画開催中。

もうひとつの軸を持つ

「20年以上人事の仕事に携わってきていることになります。40代半ばというのは、早期退職制度の対象になる年代です。労働市場においては、賞味期限を過ぎた人材かもしれないと、慢心せず常に疑いを持つように意識はしています。自分が50歳、60歳になったときのためにもうひとつの軸を持ちたいと思いました」と、語るのは市内などでワークショップなどを展開する合同会社粘道の代表の大野洋さん。

さかのぼること1997年、大学を卒業し、約10年間のサラリーマン生活を経て独立。それからも人事分野のコンサルティングに従事され、独立して約10年が経ったとき、「第三者としての立場ではなく、組織づくりを一緒に手伝って欲しい」とお客様から相談された。子どもも産まれたタイミングでもあり、先々を考えたときに家族のためにも安定した収入を得ることが良いと考え再就職。しかしその間、育児中の時短・自宅勤務体制にストレスがかかり、喧嘩をしてしまったと大野さんは振り返る。

喧嘩をきっかけに大野さん自ら家出し、1ヶ月間の別居も経験した。その後、別居は解消したものの妻に相談なく再び独立を果たし、その矢先にコロナ禍が始まった。色々な営業をしたが、収入をどうするか。その頃は1、2ヶ月くらいの間、「恥ずかしながら妻に食べさせてもらった」と大野さんは語る。

そうしてふとはじめたのが「粘土遊び」だった。


「真夜中の2時、3時までやってるんだけど……」

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粘土にハマってしまった経緯を話す大野さんと、北島さん


だが、なぜ「粘土遊び」だったのか。

大野さんは、「妻への相談なく再度独立した」ことで妻に対する後ろめたさなどがあったという。あたりまえのように送っていた“奥さんとの共働きの日々”から一転し、コロナ禍で収入が減ったことが妻や子どもと関わる時間を考え直すきっかけとなった。そういったことを考えていた時に、息子と一緒にやろうと自宅に買ってきた粘土を使って、夜な夜な捏ねていたら”自分のための作品をつくること”に没頭していった。

次第に作品が増え、自ら遊び、作品をつくるだけではなく、2020年12月に法人登記して粘道(Nendou:ねんどう)を立ち上げ、流山市内を拠点に粘土遊びに関する研究やワークショップを始めた。同時に、人事コンサルティングの仕事も再開した。


昼間に自宅で作品をつくっていると用事も入ってくるので翌日の午前2時、3時まで作っている。寝不足のはずなのだが、昼間の仕事にはつらつとする。コミュニケーションの質も上がった。

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吸い込まれそうな眼差しのキャラクターたち
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本物のようなメニューに目を奪われる

自身でも、ワークショップでも野菜や果物、お菓子、中華料理やイタリアンなどの定番メニューを模したものから、食べ物以外の季節の飾り物など、幅広い作品をつくる。「照りが足りない」と指摘を受け、作品の表面に調味料のみりんを塗った作品もつくっている。

ある程度、なにかお題やテーマがないと作れない。はじめはポイントだけ伝え、困った時に手を差し伸べるスタイル。楽しそうな子と興味を示さなかった子がいても、親がリピートして参加させることもある。親が『体験をさせてあげたい』と思っているという見方もできるのか。どんなお題を出すべきか、頭を悩ませます」(大野さん)

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ワークショップの様子

なぜ、自らつくるだけでなくサービスを提供しようと思ったのか。

「高校生から社会人にかけて25年以上にかけて選手・コーチとしてアメリカン・フットボールに携わってきました。高校生の頃は週末だけ奈良から大阪に通い、スポーツ推薦で大学に進学しました。『仕事もアメフトも日本一を目指す』と求人広告を出していたリクルートを受けて、マンションディべロッパーであるリクルートコスモス(現:コスモスイニシア)に入社し、人事とアメフトを並行しました」(大野さん)

社会人時代には、仕事にもアメフトにも厳しいコーチと出会った。そうした積み重ねが組織の中でサービスを行う原点となったという。


粘土と、家族と、共に生きていくために

不思議なもので、「粘道、粘道」と言っていると関係のない人事の仕事が増えてきた。粘道を始めたことで、過去の成功体験によらない、いわゆるゼロベースで仕事をできるようになった。

粘道を立ち上げて初めは大野さん一人で営業活動をしていたが、1人で「粘土を商材にしたビジネス」を行なっていると「一体何をしている人なんだろう」と“怪しまれる”こともあった。そこで、粘土に詳しい専門家の力を借りたいと思い、「ねんど博士」として大学・大学院で教鞭を執る中川織江さんに連絡した。大野さんの母親と同世代で毎年奈良に行っている、という共通点もあったので顧問として参画してもらえるよう依頼した。

中川さんは自分の子どもが小学校に進学したときに、ランドセルに勉強道具を詰める姿を見て「自分も勉強しよう」と考えて心理学を志したという。日本女子大学大学院に進学し、京都大学霊長類研究所でチンパンジーの粘土遊びを研究、博士課程後期修了をして文学博士となったユニークな経歴で活動している。

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「ねんど博士」中川織江さんと


もっとも、さまざまな反省もあるという。家族に相談せずにワークショップのスケジュールを組んだところ、後で「休日祝日は月3日までに」とお願いが入って、ワークショップの開催は月に数日程度となった。一方で、子どもの保育園の送迎を行う。夫婦間での役割分担をどうするか、そのバランスの試行錯誤は続きそうだ。

「親子向けのワークショップを行う店舗のオーナーはママさん。持ち込んだ時に、試作品を見て納得しないと実施できないので、どんなワークショップをするのか、その工程やつくるプロセスを教えて欲しいと言われた。頭のイメージをたよりにわたしたちが面白い、作りたいと思うものをつくりなさい、と。そうすると、女性のお客さんとの接点も持てるようになりました」(大野さん)

<過去のバックナンバーはこちらからご覧下さい>

編集後記

暗いことを書いてしまって恐縮ですが、私は就活が思うように進まなかったり、SNSをやりすぎて心療内科に通ったり、そういった経験がある(いまでも、自分のことを書くと暗くなるので、あまりしていないのですが)ので自分の話をするのがあまり得意ではありません。その前提で書くのですが、「履歴書には書けない、取材して書いた他人の話を出発点にしたら違った道が開けるんじゃないか」と思ったことが私にとっての転機だったかなと思います。大学や専門学校を卒業してすぐに20代前半くらいで結婚したり、大学を卒業後も新卒枠で就活を続けなくてはいけなかったり、日本での生活に限界を感じて留学し、抽選で当てたワーキングホリデーで恋人と同居を始めたり、そんな人にたくさん会いました。あるいは、一見上手くいっている人も需要のある仕事に自分を合わせて消耗したり。一度そうなると結婚や老後の人生の全部の結果に対して「自己責任」を追うことになってしまい、選択の余地がなかったのに「そのときに『普通』の人生を選ばなかったから人並みの人生を送れなくても仕方がない」とプレッシャーをかけてくる社会に違和感を持っていたし、とにかく自分自身が上手くいかなかった。そんななか、「景気が良くなってから希望の仕事に再チャレンジしたら上手くいった」などの明るい話は元気が出たのですが、雑談ベースではよく聞くのですがあまりメディアに出てきません。そのせいで、ただのレアケースとなってしまい、前例になっていきません。「思いを仕事に発揮できるまでに何をしていたのか」、履歴書を見ているだけではわからないその人の履歴を一件でも多く拾っていけたらいいなと思います。
 ある意味で“スクラップアンドビルド(こわしてつくる)”を延々と繰り返す粘土には、先入観のない新たな視点をみつけるヒントが詰まっているのかもしれないな、と思いました。「粘道」がどこまで続いていくのか、大野さんのこれからの道のりを追いかけたくなる話でした。

丹野加奈子:大学で美術史を学び、主に楽譜などを編集する音楽関係の出版物の制作会社で営業や編集、アートディレクションに携わる。27歳頃、SNSに投稿した読書感想文約200本分を編集プロダクションに持ち込んだところ、広告記事執筆の取材に誘われてライターに。定期購読誌やwebメディアでの記事執筆、書籍の編集・構成(ブックライティング)を行っている。得意分野はアート、デザイン、漫画など。趣味は、地域の銘菓の写真を撮ることと、デジタルイラスト作画。

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