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ワルシャワに弾丸旅行してきた話

 こんにちは〜マキベリです。
ヨーロッパ留学の醍醐味の一つといえば旅行ということで、そろそろヴロツワフ以外の街についても書き始めようかと思います。
 今回は第一回として、2023年の3月にポーランドの首都であるワルシャワに行ってきた時のエピソードをお話します。



旅立ち

 ヴロツワフからワルシャワまでは電車で4時間半、速いものでも3時間半はかかります。チケットは通常片道あたり80PLNほどですが、26歳以下のポーランドの大学に通う学生はなんと、常に51%の割引を受けることができます。都市間の移動が半額以下になるのは凄い!
この日は、朝の6時にヴロツワフ中央駅のプラットフォームからワルシャワに向けて出発しました。

ヴロツワフ中央駅にて

蘇った首都ワルシャワ

 恐らく、第二次世界大戦への言及なしに今のポーランドを語ることは不可能に近いと言っても過言ではないでしょう。というのも、ヴロツワフもそうですが、ワルシャワは特に、第二次世界大戦中にポーランドに侵攻したドイツ軍によってその街の建物のほとんどが瓦礫と化し、都市中が焼け野原になった後、ポーランド人達の復興への執念によって蘇りました。ワルシャワはポーランドの人々にとって、ただの首都ではなくポーランド復興の象徴でもあるのです。

破壊されたワルシャワの旧市街1944年(wikiより引用)
現在復元後の旧市街

ショパンの街

 ワルシャワはショパンが音楽を学び、育った街としても知られています。
彼が音楽を学んだワルシャワ音楽院(現在はショパン音楽アカデミー)、 そこで音楽を教えるピアニストの方々が夜な夜なリサイタルを開くということで、チケットを購入。チケットの購入サイトがユーロ表記でしたが、幕間のスパークリングワイン付きで21€だったと思います。

Chopin Recital
曲目の一部

僕は日本にいた頃も、ショパンのレコードを集めるほどのファンでしたので、大好きな曲達をプロの生演奏で聴けるのは本当に最高の経験でした。
特に好きなのは英雄ポロネーズ、この曲は元々ショパンと同時代に生きたフランスの革命家ナポレオン・ボナパルトを指して、『英雄ナポレオン』と命名される予定でしたが、ナポレオンがロシア遠征に失敗し、敗戦する姿にショパンが幻滅したので、彼の出身国からとって英雄ポロネーゼになったのだと言われています。
 世界最高峰のピアノの祭典、5年に一度のショパンコンクール、次回は来年(2025年)、機会があれば聴きに行ってみたいものです。


リサイタルを終え、余韻に浸りながらワルシャワのGreen Caffe Neroに入店しました。ポーランドは全国的に治安が良く、基本的に夜でも一人で出歩けるので、この日は閉店ギリギリまでゆっくりして、宿泊するホステルへの帰路につきました。

ストロベリーケーキとSweet Fruit Tea

ワルシャワのランドマーク

 ワルシャワといえばこの摩天楼、文化科学宮殿です。
この建物はポーランドがソ連支配下にあった頃、1952年に当時のソ連の最高指導者スターリンによって贈られ、1955年に完成しました。別名:『スターリンの置き土産』とも呼ばれるなど、ソ連支配の象徴でもあるようなこの建造物をよく思わないポーランド人は少なくありません。

 ここで有名なジョークがあります。このワルシャワを一望できる建造物にあえて登りたがるポーランド人がいました。彼の友人が「なぜ登るのか?」と尋ねると彼は答えました。
「この宮殿を登れば、この建物を見なくて済むからね」と。

終わりに

一泊二日のワルシャワ旅行はなかなか刺激的でした。
特にショパンリサイタルが個人的にはハイライトだったかと思います。
次回の旅行編はベルリンを話そうかと思います。
それではまた次回お会いしましょう!
Do widzenia!!


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