【自分のふるさとを知る】

あの日、女川町はどんな様子だったのか。
いち早く学校が再開した女川の子どもたちはどんな様子だったのか。
震災後、俳句の授業を通して、「生きていく」ことを再確認できたエピソードを、講師の佐藤敏郎先生にお話頂きました。

中学二年生というと、当時二歳。
記憶がある子の方が、とても珍しい世代です。映し出されている写真や映像はどれも、今いる昔の女川の風景。昔のゆぽっぽや地域医療センターなどの資料とともに聞く、敏郎先生の話は、生徒達にとっても響いていたようです。また、敏郎先生の問いかけにもしっかり返答しており、あの日の出来事を自分事化していることが伺えました。

「防災」とは。
なにがなんでも「ただいま」を言うこと。予想外が起きても「ただいま」を言うにはどんな備えや考え方が必要か・・・。各々、考えていることでしょう。
かくいう私も、初めて敏郎先生の震災学習に参加しました。いろんな感情や考えがめぐった時間でした。どのお話にも実際の写真や動画があり、自然と講話に没入していきました。震災学習を通じて、日常を写真や動画で残すことの大切さ学ぶことができました。
なにげない一枚の写真にも、物語がつまっていること。当時を第三者に語る材料にもなること。場合によっては、記憶を呼び起こす手段にもなりうること。目に焼き付けることと同等の価値が、写真や動画にあることを学ぶことができました。向学館の業務でも、子ども達の成長を写真に残しています。
私と那南ちゃん、2人のインターン生が映り込んでいる写真もあることでしょう。
いつかのあの時を思い出してくれるピースになると嬉しいですね。


いのちの石碑について解説


生徒会長からお礼のあいさつ

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