ヴィバッサナー瞑想体験記①ヴィバッサナー瞑想について
2018年、8月末~9月初旬にかけて
千葉県にある、ダンマーティッチャという瞑想センターにて、10日間の瞑想修行のプログラムに参加してきました。
気になっている人の後押しになったり
誰かのインスピレーションとなることを願って、
体験記を書きます。
※あくまで体験記ですので、公式見解とずれたりしている可能性があります。
ヴィバッサナー瞑想とは
ヴィバッサナー瞑想は、
仏陀が悟った経験が基になっている修行法で
25世紀前に仏陀が発見し、
2500年の時を経ても、人から人へと紡がれているものです。
目的は心の完全なる浄化。
仏陀について
そもそも仏陀という人について
恥ずかしながらちゃんと知らなかったのですが、
仏陀は様々なところで
精神統一の修行をし、人間として最高位の精神統一 で至ったものの、心のなかに、まだ怒りや、恐れや不安などといった心の汚濁がまだ残っていることに気付いたそうです。
そこで、自分の内的感覚に集中、観察する
厳しい瞑想修業を通じて、それを浄化し、
とうとう完全に解脱に至られたそうです。
そのプロセスを体系化され、
他者に実践法として分け与えられたものが
ヴィバッサナー瞑想の起源です。
次にヴィバッサナー瞑想の特徴を2つ、私が感じた視点からお話します。
ヴィバッサナー瞑想の特徴①教えや実践法の純粋さ
これは、
自分が感じた特徴ですが
一つめは、ヴィバッサナー瞑想法の
教えや実践法の純粋さです。
驚くべきことに、
ヴィバッサナー協会は、全て純粋な寄付精神によって成り立っています。
つまり、参加者から、プログラム参加費を強制的、もしくは価値交換的に徴収することもしないし、運営も、指導者も含めて完全な無報酬で成り立ってます。
実費くらいとってもいいのでは?という声が何度も上がったそうですが、創設者であるゴエンカ氏という方が「そうすると、必ずいつかエゴが肥大化し、純粋さが失われる」というところから
そういった決断をされたそうです。
参加者としてもコースのなかで「寄付に対するマインドセット」も丁寧に共有されました。
見返りや、虚栄心や強制感も一切なく
他者に、この経験を分かち合いたいという慈愛の心からするものだと。
この慈愛の心を基にした
寄付によるドネーションのお金や人の流れが
瞑想法の純粋さをつくっています。
そのため、瞑想法の教えや実践には
①お客様だからといった甘え
②商業による歪み(「これだけお金をつめば、どんどん精神的に豊かになれる」「表面的に、幻想による精神的発達をもって、精神的に豊かになったとする」など。)
が全くないのがすごいと思いました。
ヴィバッサナー瞑想特徴②心とからだの感覚をただ観察し続ける
次に、印象的な特徴は
瞑想法のシンプルさ。
どうやって心の浄化を目指すのか
基本的にやることは、ただただ
感覚・呼吸と共にいる(観察する)
だけです。
瞑想修行中は
朝4時半~夜9時まで、十時間程度座り続けて
呼吸や感覚を観察し続けます。
「そもそも心の汚濁はどうして生まれ、そして増えるのか」
左の図なのですが、
私たちは、心や体が感じた感覚にたいして
心地よい、心地悪いといった、快・不快といった反応をします。
これは、幼少期に学習の過程で、最初に人が習得するものです。
その反応が潜在意識下に
・快楽がもっと欲しいという渇望感
・不快な感覚は味わいたくないといった嫌悪感
を生み出し、その潜在意識に支配されて思考や行動をとり、どんどんそれを肥大化させていくといった流れです。
では、「どうすれば、汚濁が増えるのをとめ、浄化できる」のでしょうか
仏陀がいうには、右の図のように、「心や体が感じた感覚に反応せず、
ただただ客観的に観察し続ける」。それが答えなのだと言われていました。
そうすると、感覚も含めた全てのものは変わらないものはない(諸行無常)なので、いつか、生まれた感覚は、自然と消えていき、渇望や嫌悪は増えない。
蓄積されたいた渇望や嫌悪感は、増えることがないと、自然に表面に現れ、またそれに反応しなければ徐々に消えていくという事でした。
だからこそ、呼吸や感覚を観察するすべを長時間の瞑想や、日々の生活の戒律によって、体得するといった10日間のプログラムなのであるという事に腑が落ちました。
以上が、ヴィバッサナー瞑想の特徴などの説明になります。
書いていたら、長い文章になり、すでに1時間かかってしまったので、自分が経験した事については、もう1つの記事に記載しましたので、そちらをご覧ください。
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