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デンマークの教育をみていて感じること: その1・指導とサポートの違い

先日、長女の通うMiddle school(中学・インターナショナルスクール)で、親子面談がありました。こちらは8月に新学期が始まりますので、1学期過ごした状況を踏まえて、の面談ということです。

コロナの影響もあり、バーチャルでのミーティング。
私たち親子も、各教科の先生方もそれぞれの自宅からGoogle Meets越しの面談です。

小学部での面談はこの3年の間に長女、次女と何度か経験してきましたが、中学部に入っては初めての面談。カリキュラムや授業の体系も小学部とは大きく変わったし、どんなふうに面談が進むのかな、と心構えていました。

生徒自身が自分のことを知るための「サポート」

日本の三者面談とは違い、成績や進路のことはほとんど話しません。
話題は、専らクラスでの自分。ちょっと会話を再現してみます。

先生:一学期、この教科のクラスで自分が良くできたな、と思うことはなんだと思う?
長女:時間に遅れずに行けたのと、〇〇はよくできてたかな。
先生:うん。その通りだと思う! とても集中してできてたし、この学期でとても成長したよ。よくできたね! じゃあ、逆に少し大変だったな、challengingだったなと思うことは?
長女:あまり積極的に発言しなかった。。。
先生:うん。そこは私も気になってた。授業内容は難しい?
長女:ううん。そんなことはない。
先生:うん。私もあなたはちゃんと内容をわかってると思うよ。何か解決策はあるかな?
長女:もっと自信をもって、手を挙げるのを増やそうかな。。。
先生:そう!それはいいと思うね。アイディアをシェアすることは自分だけじゃなくて周りのクラスメイトにもそのことを考えるきっかけをくれるし、何をサポートすればいいかもわかりやすくなるから。恥ずかしがることなんてないよ。自信をもってたくさんアイディアを出して欲しい。何かサポートしてほしいことはある?
長女:まずは手をあげてみます。
先生:いいね!じゃあ次の目標はそれね。それから、、、自分では気づいてないかもしれないけど、あなたにはリーダーシップの素質があると思うの。いつも仲良しの友達が困ってるのを進んで助けて、サポートしてあげてる。とてもいいことだと思う。あなたの良さは仲良しのグループ以外でもきっと伸ばせるわ。少し意識して違う友達とペアを組んでみてもいいかと思うんだけど、どうかな?
長女:あまり喋ったことない人とは緊張するから、、、
先生:そう。それもあるわね。でもあなたの輪が広がることは悪いことじゃないと思う。少しチャレンジングかもしれないけど、私も協力して少し考えてみたいけどどうかな?
長女:はい。。。やってみます。
先生:すばらしい!じゃあ次の学期はそれをやってみましょう。親御さんから何かありますか?
親:とても満足してます。サポートに感謝します。
先生:それはよかった!ではまた!

ということで、親の出番は最後の数秒(笑)
上の会話は一例ですが、どの教科の先生もスタンスは同じ。

- 教師や親は、生徒のサポーター
- 自分を知ることの大事さ
- 自分の主張を大事にすること、また表現すること
- なぜその問題があるのか、納得した上での自己解決への導き

個性を活かしつつも、自己肯定・問題解決能力を育む

これは漠然とではありますが、小学部のころから学校における先生のスタンスの日本との違いを感じていました。日本の教育でも、このような言葉は耳当たりが良く、良く聞く言葉な気がします。実際、こちらの学校の新学期の親への全体説明でも、このキーワードは毎年先生方から聞きます。ただ、どこか、自分の中でこの言葉は建前で、実体のないような、具体性の見えない言葉でもありました。
それが、今回の娘と先生との実際のやり取りを横で見ていて、
子供たちの自己肯定感問題解決能力の育みを促す実体のあるアプローチの一部を垣間見た気がしました。

教師の役割は、生徒を「指導する」よりも「サポートする」という言葉がピッタリ当てはまるように思います。基本、子供の主体性を重視し、提案と同意に基づき行動する。困ったことがあれば、それを言葉などで表現すればいつでもサポートする。子供は、自分の意思が尊重されることを知り、自己評価によって自分自身を知り、自分は常にサポートされていることを知る。その中で、自分の得意なことやりたいことを自分で見つけていく、という文化がこの頃からあるのだろうと感じました。
自分の意見が現実世界に反映される成功体験も重要なのだと思います。事実、この面談から1週間も経たない現在、先生から提案のあった「新しい友達とのマッチング」が既に行われたよ、と娘から聞きました。

あんまり喋ったことなかったから緊張したけど、話してみたら楽しかった。また友達が増えて嬉しい!(長女談)

うまくいかないこともあるとは思います。娘は男の子グループの騒がしさがどうしても苦手で、特に集中して勉強したいサイエンスのクラスで困惑していることを先生に伝え、そこでも議論が行われたようで、新たなグルーピングが進んでいるそう。お互いに快適に、かつ互いの成長をサポートするコーディネーター的な役割がこちらの先生には大きいのかもしれません。各教科でその先生の個性も違ってアプローチも多様なのがまた面白く、体育の先生はむしろ男の子のグループにも積極的に入るように勧めたり。そうして、ただ騒がしいと思っていた子が、意外と周囲の友達に優しく気配りできることに気づいたり。。。それでも合わないならまた考えよう(笑)と。多角的ではあるけれども、上記の一貫したスタンスがあるので、子供たちは混乱なく、フォローしていけるのではないかとも感じています。

これは一朝一夕にできた文化ではないのも理解できます。もちろん日本と比べた場合、時間的な制約や学校・教員に求められるものの違いはあるとは思いますが、その土台は、学校教育が始まる前から実は始まってるんではないか、そう思える場面が日常の中にちらほら見えます。

その一つが、「先生や親が子供を叱らない」

次はこの話をしてみたいと思います。

今日はここまでにします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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