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それが知りたくて立ち止まる ー春を待つということ。 #第6夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。


頭打ち、という言葉の重みを感じ始めたのは
30を過ぎたころでしょうか。

いつだっていまが人生でいちばん若い日、
そうポジティブな解釈が令和とともに主流となり
遅すぎることはない
できることをする
そう囃し立てる世間の潮流をどこ吹く風と息まき


思考の癖がどうやら個性的だと自己認知をしてからのほうがずっと生きやすく
これまでの出会いや経験にすべて合点が行き
意見が食い違ったり
どうにも納得がいかなかったり
そんな事象にも感謝の気持ちを持ち始めたわたしにも

やはり捨てられないプライド
守りたい正義がありました。


それは、これまでの章でも散々語ってきた
オンナであるわたし、自我。

わたしはわたしであるだけで幸せで愛おしくて
生きて、笑っていて、
それがわたしのアイデンティティと気づけた経験を経てもなお

わたしを認めるもの、
それは、
オンナとしても、愛し愛されること。


(↓この経験はわたしをひと回りもふた回りも
素直にしてくれました。感謝でいっぱいです。
改めて、ご購読くださったみなさまに愛を。
ありがとうございました!)


誰になにを言われても揺るがない価値観って
ともすれば最強で
固執する自分をかわいいとさえ思います。


もし、人生がいま、この瞬間終わるとして、
ああ、
あなたと出会えて、
想いを伝えられて、
美しい横顔を眺めながら眠りについた夜があって、
左手を右ポケットにお招きくださった冬があって、
うしろにハグをされながら左耳にやさしい声で愛の囁きを聴けた春があって、
スタイルのいい女の子を眺めるあなたに小言のひとつでもいう夏があって、
誕生日にはダリアの花束を贈ってくれる秋があって、
そんな時間がもしあったなら、


ああ、
後悔はなにもないな。
愛されたいひとに愛してもらえたな。
そんなわたしをわたしがいちばん愛しているな。


そう思えて、
安心して
笑顔で向かえると思うのです。


そのために、
いま、
わたしはなにをする?



あなたを愛すること、
それ以外に一体全体選択肢はあるのでしょうか。


これが、
人を愛する意味だと思う、ミモザの日の夜。



つづく

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