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エッグプラント

〜グリーン〜

「あれ、朝ごはん食べないの」

 蒼はシリアルをボウルに入れながらきいた。

「うん。今日は朝からカフェで仕事に集中したいんだ。なんか『いい感じ』なんだよ。」

 蒼は冷蔵庫から牛乳を取り出してボウルに注ぐ。

「早く終わりそうなの?だったら、晩御飯一緒に食べようよ。今日はせっかく私の貴重な平日休みなんだからさ〜。」

「そうだね。また後でラインするよ。」

 表参道のアップルストアの脇を入ってすぐのところにあるスターバックスの二階の壁際の長椅子でミドリは旧式のMacBook Airのキーボードの上に指を這わせていたが、どうしてもいつものように指が滑らない。

「・・この人すごい殺気立ってる・・。」

 目を閉じてさながら瞑想しながら企画を練っているミドリは業界知る人ぞ知る個性派のバラエティ放送作家だ。奇才とも鬼才とも天才とも表現される。

 カフェのような場所でざわめきの中で目を閉じてBGMに聴力の照準を合わせて気持ちを入れて、「ゾーン」に入れていく。アナログラジオのチューニングをダイヤルで少しずつ合わせてミニFM局を探すような作業が感覚的に最も近いとミドリは言う。最も最近のデジタル世代にはまったく分かって貰えないが。

 そうしながらその場にいる人の「磁気のようなもの」〜雰囲気でも気配でもないミドリが独自に感じている感覚として一番近いものが磁気とのことらしい〜を感じて、その「磁気のようなもの」から着想を得て頭の中で再構成してコントや舞台の登場人物に仕上げていき、最後一気に企画に落としていく。その一連の流れをキーボードに走らせるのだ。

 その一連の作業をしながらやり方を覚えてきたのだが、その場の人たちの注目を少しだけ自分に向けた方が、「磁気」を感じやすい。特に自分の事に意識が向いていたり、話題にしていなくてもいいので、自分の存在を一瞥でもすれば、そこにいる人の発する「磁気」の波長のようなものを感じやすくなる。そこでいつしか髪の毛をビリジアンに染め、服も原色グリーンのものを着るようになったのだという。

 ちょうど企画がいい感じに纏まってきていたので、なんとかその場を離れたくはなかったが、隣に座る「殺気」とも「邪気」ともつかないものがノイズとなってうまくまとまりをつけることができない。そういう「悪い気」もネタになることがあるのだが、今回感じた「気」からは何も生まれそうな気配がなかった、というより確実に邪魔だった。

 思わず「ハァ〜」と大きめのため息をついた。こういう時はまとまりかけた企画が頭の中で砂の城がスコールにさらされたように解け崩れ落ちて、もう一度最初から考えなければいけない。

 諦めてアンドロイドのスマートホンを手に取り、ラインを開いて蒼に連絡を入れた。

「今日なんか思ったより調子出ないからお昼一緒に食べない?このままだとまた徹夜になるかもだけど、気分転換して夜からやろうかと思うんだ」

 というメッセージに少し疲れた男の絵文字をつけて送信して席を立とうとしたら、横に座っているショートカットの女性が自分のことを睨みつけて何かボソボソっと喋っていた。目があったのでミドリは何も言わず全力の微笑みをプレゼントしたら、彼女は少したじろいでいるようだった。

「え?本当?嬉しい。じゃ、迎えにいくよ。」

 直ちにリプライを入れ、蒼は急いで支度をしてミドリがいつも「シャアズゴ」と名付けた真っ赤なアイミーブに乗り込んだ。

 蒼は表参道ヒルズの向かい側のパーキングメーターにアイミーブを停めた。反対側の歩道にミドリがいるのが見えた。赤い車に緑の男、いいコントラストだ。

「あーちゃん、今日は?」

「こないだ話してたビーガンレストランに行こうかと思って」

 表参道から青山通りを西に進み環状6号線を左折し、ヴィーガン専門店「トーキョーツパイ」近くのコインパーキングに車をとめた。

 工事現場にあるプレハブのような建物にこざっぱりとした簡素な内装のお店に入り、蒼は定番の豆腐カツプレートを頼み、ミドリは日替わりメニューを注文した。

「なんか最近はプラントベースのお肉が増えて来たけど、お肉食べない為に獣肉に似せた味に近づけるのってどうなんだろうね。」

 蒼の指摘は禅問答のようにも感じる。豆腐カツはいかにも豆腐をベースにした味だった。

「でも、需要と供給なんだから、それを求める人がいれば人が罪悪感なく食べられるものを作るのが企業努力ってことなんじゃない?だってさ、ほら精進料理だってわざわざ見た目を近づけてるじゃない。肉を食べたいという根源的本能的欲求を律するとのが宗教観だと思ってるんだ。」

 ミドリは現実主義者で今あるものを疑うことより肯定することに脳を使いながら、その現実の輪郭を見極めようとする傾向がある。

「だって、それって純粋なベジタリアンじゃないじゃん。なんていうの、罪悪感から逃げる為のベジタリアンとかヴィーガンとか変じゃない?」 

「純粋なベジタリアンなんていないよ。草食動物だって草を食べながら虫とかも一緒に食べて栄養補給してるって言うし、そもそも植物だって生きているんだから、殺して食べるという行為に違いはなくない?」

「そういう話じゃなくて〜、私が言いたいのは、肉を食べたいのを我慢して肉に似せたものを食べて納得するっていう考え方の問題よ。牛を殺すの嫌だから大豆を食べるっていうのは、極論すると植物は殺してもいいっていう、なんというか生き物の中にランク付けというか、差別的な意識を内包していると思うんだよ。」

「それ言い出したらさ、じゃ、あーちゃんはなんで菜食主義なの?てところに戻って来ちゃうけど」

「別に私は罪悪感でお肉とか食べないんじゃないもん。野菜がいいから野菜食べてるの。」

「それはずるいよ。だって、今は一般論の話をしているのだから、せめて個人の嗜好ではなくて、あーちゃんの思想を話さないと。」

「だから〜、そういう話じゃなくって・・」

 話し足りない二人はお店を出てから、そのまま目黒川沿いを歩きながら話を続けた。他愛もないうだ話は日頃のストレスを吹き抜けるそよ風にしんなりと溶かし込んで浄化してくれる。

「ねえ、今日は書斎でお仕事したら?最近ずっとお外じゃん。」

 蒼はここ一週間でおそらく7回目の質問をした。

「ごめん。でも、アイデア取りは外の方がいいんだよ。」

「うん。そういうと思ってたよ。」

 蒼はこのやりとりでいつも自分に言い聞かせていた。ふと見上げた目黒川沿いの桜並木は夕日に照らされて萌黄色に輝いていた。

#創作大賞2023

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