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自分の髪が嫌いだった

爆誕!の瞬間から髪が多かったから病院で見つけやすかったと聞く。
さらさらだったがめちゃくちゃ量が多かったらしい。
一つ結びにしたら、結んだ先が頭の大きさと同じくらいで父の会社の同僚に「ジャマイカの風吹いてますね!!!」と言われたとか。この社員さんはご病気で突然死されたので、父の中ではこの人との会話の唯一と言える思い出になっていた気がする。いや、唯一ではないかも。うめ吉特大ぬいぐるみがある。私に買ってくれた うめ吉は、度重なる引越しのどこかのタイミングでカビたかダニが沸いたかで捨てられてしまったが、あのいわさきちひろの絵本のようなどことない表情を今でもよく覚えている。

これまでの人生、7回の引越しに伴って色々なものを捨ててきた。
ピアノも捨てたし、当時の価格で1万円以上したトトロのVHSも捨ててきた。
レゴは父の単身赴任先に置いたまま私と母で引っ越したら、その後父の転勤(7年後に私は大学進学とともに父のところへ越してくる)先でおもちゃ買取りに出され、まさかのプレミア付きの価格で相当な額になり、父の川釣りのリールに化けた。
一人っ子の私が寂しくないようにと、親はほぼ制限なく欲しいおもちゃを買ってくれてきた気がする。欲しがるおもちゃがテレビゲーム系ではなかったので、親としても買い与える抵抗がなかったのだろう。
レゴやパズル、世界の名画シリーズ、月刊天然記念物など。特に集英社のこども百科の中毒性は特筆だ。この時点に出会う前に小学館発行のこども百科がテレビのCMで話題になり早速買ってもらったが、知識が薄くてつまらないなどとのたもうた。もっと分厚く、知識量が多い=文字の多いのを読ませろと怒って、ハリーポッターのアズカバンの囚人とともにアーケードで買ってもらい、持ってくれようとした母の手を振り払ってお腹に抱えて帰ったのを覚えている。載っている知識を全て頭に入れたくて、しかし入らないのが悔しくて、一日中読んでいた。キャンプに持っていった気もする。自分の知らないことが世界に多すぎて、本当に悔しかった。今もその悔しさは変わらず研究の推進・原動力になっている気がする。無知の悔しさ。

話が逸れた、髪の話に戻ろうと思う。
小さい頃から、髪が多かったので、ひっつめていた。
二つ結び、ポニーテール。いついかなる時もきっちりとひっつめていたい。
親は幼稚園児の私の髪をぎちぎちに結んでいたし、私もそれが当然と思っていた。
結びながら、母はよく「私みたいな縮毛じゃなくて本当によかった。お父さん譲りで本当によかった」と度々言った。
私はそれを心底嬉しく思っていて、母が羨む自分の真っ直ぐな髪が誇らしかった。
小学校4年生の頃である。俗に言う思春期移行へのホルモンバランス変化とかいうやつに伴い、髪質が変化したのである。
母があんなに羨んでいた直毛はすっかりいなくなって、捻転毛や縮毛がどんどん私の頭を覆うようになった。
その時期と同時に、通い慣れた小学校からの転校を経験した。私は小学校6年間を3つの小学校で体験したが、4.1.1という登校年数だったので小学校の最後2年間の思い出はロクなものがない。
方言はきつく、米や水の味は異なり、太陽はいつまでも沈まない。父の上司のお子さんを毎朝マンションでピックアップして小学校に通っており、母は「こんなことさせてごめんね」と私に毎日のように謝ったが、何の感染症を持っているかもわからない野良猫にその子が引っかかれないように毎日守るのは確かに大変だったので、その苦労に対して謝られているんだろうなと思っていた。今なら少しわかる。立場を利用して親の人間関係を子供の人間関係にまで波及させることの理不尽さやずるさが。

転校先の小学校で定められていた制服は動きづらく、東北から引っ越してきた私を担任の教師は「ずーずー弁喋ってみ?」と晒し者にし、教室で嘲笑されたりして(完全にいびり、いじめの世界だ)一日中小学校では無表情で過ごし、帰って玄関先で歯軋りしながら悔し泣きしたことも覚えている。
そして髪。母が羨む髪を私はもう持っていないし、どんなに引っ張利ながら乾かしても髪はジリジリにうねっている。
小学生なりにメンタルがガタガタの私は何をしたか。
自分のジリジリの髪を抜いて抜いて抜きまくっていた。
トリコチロマニア(抜毛症)というのだそうだが、完全に異常だった。

中高時代、受験期もチリチリ毛を抜きまくっていた。パーマは禁止というルール(縮毛矯正が禁止かどうか校則として定められていたかは知らない)を厳格に守り抜き、卒業式の次の日に縮毛矯正をかけた。
さらさらの髪とはその後8年間付き合うことになる。縮毛矯正と共に、自分の見た目というものに対して執着し始めた。
成人式の前撮りが一生残る写真である事実に戦慄して過酷なダイエットをやり込み、17kgの減量に成功した結果、「努力でなんとかなる」自信がついた反面、周囲からの反応の変わりよう(特に異性からの態度)に戦慄してむしろ人間不信になった。そしてそんな私にも「カレピ」なる存在がついに生じる瞬間がやってくる。「髪が真っ直ぐできれいだね」と言われた。今思えば生え際とか数ヶ月後の変化から私の髪が元々は直毛じゃないことぐらい分かれやこのオタンコナスと思うけれども、当時完全に「男に合わせる女」だった私はメンテナンスを欠かさず2ヶ月毎ぐらいで縮毛をかけまくり結果として毛先から10センチ程度は常にパキパキに枝分かれしている最悪の髪質で生活していた。その後髪について何か言われた記憶はない。

その人物とは遠距離期間にして2年目、年に一度の旅行に出かけて帰ってきた頃に、なんというか気持ちが吹っ切れた。
もう〇〇年も付き合っているんだし、そろそろ結婚。。。みたいな雰囲気を出していたのだが、もう如何にもこうにも全然ダメダメお話になりません状態で、「結婚式は長い髪で編み込みでやりたいな(キラキラピンクハート」みたいなふざけた幻想を維持するのに疲れた。枝毛がひどくみすぼらしいこんな髪、切り落としてしまえと旅行から帰ってきた週の週末に髪を20センチくらい切った。「男みたい」と彼からは不評だった。知ったことか。人間関係を切ったのはそこから髪が6センチ伸びた頃だった。
ヘアドネーションに興味があったが、10センチほど足りなかった。しかし、切り落としたくて切ったボロボロの髪を誰かにあげるなんて、憎しみも一緒に押し付けてしまいそうでそんな優しくないことはしたくなかったので、あれでよかったと思っている。
そんなこんなで髪は短くなった。
初めての感覚だったし、なんだ髪が短いのも意外と似合うじゃんと思ったが、「やっぱ黒髪さらさらストレートだよね」と言われたのがしこりになっていたのか、ストレート気味が好みで、短くしても仕上げにはアイロンを使ってもらうのが好きだったり、癖を抑える重めのシャンプーを買ったりしていた。

今年はコロナで美容室に行かなくなり、海外では髪が短いとレズと思われる、などの話を聞いてからなんとなく(本当になんとなく)伸ばしていたここ最近からの今回の美容室である。ちなみに研究室の友達にレズと思われるらしいが本当かと聞いたら、「そんなステレオタイプな話、10年以上も前の話だよ笑。ここはNYなんだし、レズじゃないんならレズなの?って聞かれたら違うよ、でいいじゃん笑」て言われてそらそうだ。と思った。レズじゃないんでしょ?という前定で話を進めないところが美しい。”レズじゃないんなら”というif前置きを、私だったら会話の中にすんなりと混ぜ込めるだろうか。今はまだ無理だろうな。でもできるようになりたい。

歪んだ髪の癖を気にして抜いていた話(生え際が奇妙なことになっており気付かれた)や、初めて一人暮らしを始めたら途端に髪を染めたくなる感情に自分でも驚いた話をしながら、髪を切ってもらっていく。どんどん軽くなっていく感触と、ショキショキというハサミの音が心地よい。染める時にはアルミホイルを使うのも新鮮な感覚だ。全部染めではないので、一部の毛束をとって染めていく。縮毛矯正の時のような硫黄の匂いはしない。紫と赤と茶色を入れたんだって。色の魔術師みたいだと思った。

仕上がった髪を見て、本当にびっくり仰天最高の気分である。
今までのどんな私よりもかっこよくなっている。そう、かっこいい自分。私はここ3ヶ月は1回もスカートを履いていなくて、というのも ものぐさなのではなくてズボンで十分に着飾れるこの街が好きなのだ。研究室にいる私はおしゃれを抑えた私で、週末になればデートだから着飾らねば...となっていた過去の私とは違う。まぁそういうことはここ2年間ぐらい博士学位研究であっぷあっぷのズタボロだったからしていなかったけれど。
鏡に映る私は自分の癖毛のウェーブを活かした素敵な髪型をしていて、すました顔をして座っている。
嘘だ。
マスクで口元が映っていないだけで、めちゃくちゃ笑顔をしている。
ハイライトのように入れた茶色の髪は、太陽に透かされて輝くのを楽しみに待っている。

今回の引越しでも、いろんなものを捨てることになった。
自分の髪が嫌いだった私も、この髪型になって捨ててしまった。
それでいいと思う。


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