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私がパチンコを辞めた理由

大学時代(30年前)
南新宿の裏通りのパチンコ屋にふらっと入り、麻雀物語のデジパチで千円が一万円になった。それが私とパチンコの出会いだった。

怖くなって、幡ヶ谷の小さなパチンコ屋で、卒業まで「たぬ吉くん」という羽根物ばかりやってたが、勝っても10,000円くらいで、生活費の足しになるくらいだった。

大学のある中央線御茶ノ水駅のとなりは、後楽園球場や場外馬券場など、レジャー施設の多い水道橋なので、私たち大学生は授業が終わると意味もなくブラついていた。

水道橋近いパチンコ屋で「ポップカルチャー」という権利物があった。単純に「77」だの、「33」だのが揃うと当り、一回400玉しか出ないのだが、何十連チャン!という爆連するスゴい機種だった。
だいたい2万以内で当たるので、貧乏学生には有難いパチンコだった。

たぬ吉くん(京楽)
ポップカルチャー(西陣)

卒業後、田舎に帰ると市内はパチンコ天国だった(笑)
大手の○や、ナム、🌻が進出してきたのは最近で、地場チェーンのパチ屋が当時多かった。

田舎は給料が激安で、だいたいの人は生活が苦しく、通勤の車の維持だけでも支出が大変なので、パチンコはごく一般的な娯楽である。ただ、生活苦から借金地獄になったり、自死などの悲惨な話も例外なくある。

私は最初は320分の1(いわゆるフルスペック)の海物語を打っていた。雑誌でみる攻略法などで出すのはまずムリで、とにかく当たり回数が15回前後で、波データが安定し、400回程度回ってる台をやっていた。

島攻略というのは、同じ島の台番号下一桁「1」が当たってると次は「7」、「2」だと次は「8」、「3」が当たってると次は「6」なんてのがあった。

また、時間攻略というのは「当たり時間」というのがあって、18:35、19:35、20:30など、「一斉に当たる時間」というのが店ごとにあって。それがわかってる人は時間をつぶしてたりしていた。

最高で20回以上出したこともあったが、長くは続かないし、そんなアブク銭はすぐ消えてしまった。

やがて、パチンコメーカーは、一円パチンコや確率を199分の1や99分の1に下げたパチンコ機を売り始めた。

これらは得てして、釘が渋くてモードがよいか、その逆か、どちらもダメかという代物で、海物語ブラック(1/199)以外はあまりやらなかった。

平成30年、改正健康増進法が施行され、台で喫煙ができなくなり、私も一時期、店に行かなくなった。ドヤタバコができないからだ(笑)喫煙室は玄関近くになった。

そして、コロナ以降、私の攻略法も効かなくなり(笑)台を代えようと、店を代えようと収支がプラスにならなくなった。
まるで、追尾されているような…
どのパチンコ屋も経営が厳しくなったと感じる出来事だった。

座ったとたん、隣が当たる、自分の台が当たるとすぐ店員が来る、サンドに何枚もカードを入れ、インカムで喋り始める… 

パチンカーの皆様は心当たりあるのでは
ないだろうか?
キレイなお姉ちゃんが来るのは確かにウレシイのだが(笑)

以下のサイトは全国のパチンカスの皆様に(笑)ぜひ観ていただきたい。
今のホルコンはカメラ顔認証どころではない。

我々の想像を越える管理をされている、まさに養鶏場!


ということだ。
さすがに30年やってきた私でも、バカバカしくなって半年前に辞めてしまった。

養鶏場のニワトリは毎日餌を与えられるが、最後はどうなるか…
まあ、パチ屋もそういうことです。
怖いですね。

借金地獄、悲惨な事件が少しでも無くなるように、お役に立てば幸いです。

「パチンコ屋の顔認証システムがヤバい」
https://xn--ebkfw1n4a9bq4bye5o9b7e.xyz/system/kaoninsyou2.html


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