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人生波乱万丈!こじらせ女から主婦起業への道|小﨑まきこプロフィール

こんにちは、小崎(こさき)まきこです。

放置しているブログにアップしていた
闇に葬られたプロフィールをこっちに移動してきました(笑)

2015年に起業してからすったもんだした2020年までの
5年間の記録が、誰かの励みになればと残しておくことにします。

1.現在の主な活動

私はベビーマッサージ教室・アロマ教室・マインド教室の講師を経て、
現在スピリチュアルマインドコーチとして、
これまでに1000人以上の方のサポートをさせていただいています。(2020年時点)

ですが、独身時代はふつうのOL、
地方に嫁いだあとは専業主婦をしていました。

子どもが1歳の時に起業し、
今も子育てをしながら家庭と仕事の両立をはかり、

地方にいながらオンラインで
全国のお客様と関わらせていただいています。

お客様には、
アロマセラピスト/プロコーチ/教員/エステティシャン/
カメラマン/保育士/ベビーマッサージインストラクター/
会社経営者/ネイリスト/会社員

など多種多様な方がおられ、住まいも日本全国にとどまらず、
海外在住の方もいらっしゃいます。

主にグループ講座、霊視やチャネリングを使ったビジネスコンサル、
各スピリチュアルセッションなどを提供しております。

2.専業主婦から起業するまで

地方住まいのただの専業主婦だった私が、
なぜアラフォーで起業しようと思ったのか。

そのわけは今から30年近くも前の、
私が中学生だったころにさかのぼります。

ー難病を発症した思春期ー

15歳の時、猟奇的殺人事件を題材にしたサスペンス映画
「羊たちの沈黙」を見たことがきっかけで、
心理学に興味をもちました。

子供のころから繊細で感受性が強く、
犯罪者と紙一重である自分を認識していたので、

犯罪者たちの心の闇に何か
無視できないものを感じたからかもしれません。

自分を理解するために、

「将来は心理学について学びたい」

そう思っていた16歳のある日突然、
筋肉が溶解していく難病を発症。

病院に運ばれた時、余命は2週間と言われましたが、
1カ月半の入院のすえ、奇跡的に助かりました。

退院した時、
この世の何もかもが美しく見えました。

雨上がりのアスファルトの匂いや、
椿についた雫、真っ青な青空の美しさに感動して、
涙がでたのを思いだします。

この時初めて、これからも当たり前に続くと
思っていた自分の人生が、
限りあるものであることを痛感したのです。

運動は一切禁止となり部活も辞めざるを得ませんでしたが、
日常生活を送っているだけでも、たびたび再発し寝たきりに。

健康が取り柄だった女の子は、
一瞬にして周囲から腫れ物あつかいされる難病の子になっていました。

持病があるということで、
希望の大学への学校推薦も断られ、
なんとか第三希望の心理学科がある大学へ進学。

念願の心理学を学ぶ日々が始まりました。


ー阪神大震災を経験!大学生時代ー

そして18歳。

大学1年生の冬に、阪神淡路大震災が起こり、
祖母は一瞬で倒壊した家屋の下敷きになって他界しました。

実際に倒壊した祖父母宅。一番死者の多かった地域

地震当日、すぐに現地に向かった私たち家族。

どこに埋まっているのかわからない祖母を探して
手を血だらけにしながらがれきを掘りましたが、
あまりの惨状にどうすることもできず、

あちこちのがれきの下から聞こえていた
助けを求める声が途絶えていくのを、
ただ聞いているしかありませんでした。

倒壊した家屋で道が塞がれ救助がこない状態

この地震をきっかけに
PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が
世間一般に知られ、

私は将来カウンセラーなどの人を癒す仕事がしたい
と思うようになったのです。

持病はまだ不安定で時々寝たきりとなりましたが、
こんな私だからこそ辛い気持ちの人に共感することができる。

そう信じていました。

ですが、大学の教授は

君は繊細過ぎるから、カウンセラーの仕事はやめておきなさい

と反対。

私は教授のアドバイスと自分の適性も考えたうえで、
カウンセラーの夢をあきらめ、
不動産会社の営業職として、就職する道を選びました。


ー何もかも失い人生崩壊!社会人時代ー

新卒で入社した不動産会社では、寝食を忘れて仕事に打ち込み、
新人ながら全店舗でトップ3の営業成績を出すことができました。

しかしそこで待っていたのは、
根も葉もない噂話を流され、
同期からも白い目で見られるという辛い現実。

また上司がトラブルを起こして失踪した案件を引き継ぎ、
事務所に監禁されるわ
上司は消されるわで
ストレスから身も心もボロボロに。

周りが全て敵に見えて、
ポケットにはカッターナイフを入れて持ち歩く日々。

実際会社の行き帰りには
トラブルとなっていた取引先のチンピラに
脅されたりもしました。

私の心は、誰も信じられず尖り切って
昔観た映画の犯罪者のように、
一触即発の状態でした。

そんな姿をみて心配した父親からの

「辞めてもいい」

という一言で退職を決意。
(当時は仕事を辞めることなど思いつきもしなかった)

運よく他の不動産会社に引き抜かれ、
心機一転またがむしゃらに仕事をしていた時、

突然、弟が自ら命を絶ちこの世を去ってしまったのです。

営業まわりをしている時に知らせを受け、
駅の歩道橋でしゃがみこみ大声をあげて泣きました。


病院へかけつけて対面した弟の変わり果てた姿。

合流した両親とともに
自殺現場の検証立ち合い・事情聴取など、
その日は悪夢のような人生で一番長い1日でした。

私たち家族は、
弟を助けられなかった自分たちを激しく責めました。

震災を経験して以来、
両親はボランティア活動に力をいれていましたが、
一番身近な家族を救うことができなかったのです。

特に母は弟を溺愛していたので、私は

余命もわからない難病におかされている自分が死ねばよかった

と強く思いました。

このとき私は

「生きていても仕方のない人間だ」という無価値観

を生み出してしまったのです。

さらに時を同じくして友人が病死。

この頃、元カレのストーカー被害にも悩まされ、
短期間で人生最大の悲しみとストレスを味わった私は、
朝の通勤電車でパニック障害を起こしてしまいました。

それからは過呼吸のため
袋をかかえながら通勤する日々。

精神的にギリギリのところでがんばっていましたが、
飛び込み訪問中にお客様から、

おまえみたいな何の悩みもなさそうな若い女に何ができるんや!

と名刺を破かれ、投げつけられたことがきっかけで、

張りつめていた糸が切れ、
朝起きることも仕事に行くこともできなくなってしまいました。


ー鬱になり引きこもりへー

病院で鬱病と診断され休職することになったのですが、

家にいると無価値観を感じることに耐えられず
たった2ヶ月で職場復帰。

しかし、すぐに会社が倒産し、
ある日突然職を失ってしまいました。


この時の私はまだ25歳。

若すぎる私には受け止めきれない辛い現実の数々に、

こんなに苦しいなら死んだほうがマシだ

と思いつめ、夜中に弟の遺骨をもって家を飛び出し、
電車に飛び込もうとしましたが、
足がすくんでできませんでした。

通報でやってきた警官から逃げるように
近くの公園に身を潜めましたが、

すぐに保護されて警察署へ。

いい歳して何やってるんだと我ながら情けなくて
警察署へ迎えにきた両親の顔を
まともに見ることができませんでした。

子どもを失った両親が一番悲しいはずなのに、さらに悲しませてしまっている。両親を助けるどころか、この先立ち直れる気がしない。

自分がどうしようもなく無力で無価値に感じました。

思い詰めすぎて、頭がおかしくなりそうだったので
毎日薬を大量に飲んで考え事をしないようにし、
ただ息をしているだけの肉体となりました。

その後2年間、家に引きこもり、
私はネットの世界へと現実逃避する日々をおくるようになります。


当時SNSといえば掲示板やmixiくらいしかなかった


そのあいだに同じ痛みをもつ人と
気持ちを吐き出せる場所がほしいと思い、
「自死遺族の会」というオンラインコミュニティをつくりました。

顔出しや実名公開こそないものの、
同じ境遇で苦しんでいる見えない遺族たちが、
私の心の支えとなったのです。

この会は今でも続いていて、
常時500人以上の方が在籍しており、
この25年間の運営で在籍数は延べ5000人を超えています。


当時は自死遺族がこんなにもいることに驚きましたが、
思えばこれが

「想いを共有する人たちが集まる場所」

を作った最初でした。

ー傷が癒えないメンヘラ女となり社会復帰ー

ネットの世界へ現実逃避している間に、
少しずつバイトを始め、
だんだん社会復帰できるようになったのは20代後半のこと。

元々繊細だった私は、深い悲しみが癒えないまま、
より傷つきやすくなっていました。

自分を守るため攻撃的な性格となり、
いつも職場の人間関係でトラブルをかかえては転職を繰り返す日々。


30代になった頃、実家を出て、
ある男性とお付き合いをはじめました。

そしてプロポーズされたのを機に、
ついに鬱の薬を手放すことができた
のです。

経済的に裕福な男性だったので、
その時の私は幸せになれる喜びよりも、

もう働かなくていいんだ。
もう職場の人間関係にわずらわされなくていいんだ。

と辛いことから逃げられる安堵感を感じたのを覚えています。

しかし、ほっとしたのもつかの間、

婚約したとたん彼は豹変し、DVがはじまりました。

メンタルの弱かった私はすっかり洗脳されており、
DVを受けていることにも気づきませんでしたが、
髪は半分白髪となり、婦人科系の疾患が進行してしまいました。

入院・手術を口実に、仕事をやめて
一人暮らししていた部屋を引き払い、
結婚式の5カ月前に逃げるように実家に帰りました。

事実上の婚約破棄です。

(簡単には逃げられず、
元婚約者からのストーカー行為は1年ほど続いたのですが・・・)

式場のキャンセル、結婚報告をしていた親戚・友人たちへの
連絡などもあり、とてもみじめな気持ちでした。

どうして私の人生はうまくいかないのだろう。

不幸なことばかり起こるし、嫌な人間ばかり寄ってくる。

幸せはやってくるとすぐに遠ざかってしまう・・・。

何か私に問題があるのではないか?

という考えが頭に浮かびましたが、すぐに打ち消し、
私はこれまで通り

ぜんぶ周りの人や環境が悪い!
わたしは精一杯やってるし間違ってない

そう決めつけて
自分を見つめなおすことはしませんでした。


ーついに結婚、念願の母となるも産後鬱にー

その後、縁あって地方在住の男性と結婚。

出産はできないかもと言われていましたが、

不妊治療の末、38歳で男の子を出産することができました。

しかし予後が悪く、産後1ヶ月で手術を受けるなど、
体力的にも気力的にも余裕がない生活が始まりました。

ジャンボな息子(生後1ヶ月)も一緒に付き添い入院。
新生児に気を遣いながら寝るシングルベッドは狭かった。


夫は仕事が忙しく、家事も育児も手伝わず、
無言でご飯を食べ、お酒を飲んで寝てしまう。

知らない土地で誰にも頼れず、
夫に助けを求めても

「お前が好きで産んだんだろう」

と理解されず、話し相手にもなってくれない。

私の孤独は深まるばかりでした。

全く寝てくれない息子にも手を焼き、

産後うつから育児ノイローゼとなり、
夫とは険悪な状態が続きました。

ホルモンバランスの乱れもあって、
何を言われてもカッとなり、
毎日はらわたが煮えくり返るほどの怒りをこらえ、

「息子が自立したら離婚してやる!」

と離婚届をお守りがわりにして
過ごしていたのです。

息子を連れて車中泊をしながら家出(単なる四国旅行になった)

そんなとき気分転換に行った
ベビーマッサージ教室の先生が、

とても素敵な女性で、太陽のようにあたたかな笑顔で
包み込んでくれることに安らぎを覚えました。

ふともらした私の孤独な気持ちにも
優しく寄り添ってくれ、

「よくがんばってるね」

そう声をかけてくれた瞬間、
私の中でこらえていたものが一気に爆発し、
号泣してしまったのです。

ほんとはずっと誰かにそう言ってほしかった。

これまで私なりにがむしゃらにもがいて、
がんばってきた人生を初めて認めてもらえた気がしたのです。

号泣したあとは、とてもすがすがしい気持ちになるとともに、
久しぶりに心から笑えた気がしました。

久しぶりの笑顔

何回かベビーマッサージ教室に通ううち、

私も先生のように産後ママの心の支えになりたい。
孤独な子育てをしているママが集う場をつくりたい。
何より先生のような太陽のような人になりたい。

という思いがふくらみ先生に相談すると、
資格をとってベビーマッサージ教室を開いたらと言ってくれたんです。

まさか、ただの専業主婦の私が教室を開くなんて、
その時は想像もしていませんでしたが、

じっくり家に帰ってから考えてみると、
どんどんやりたい気持ちがわいてきました。

知らない土地で初めてのママ友もできた

この先、社会復帰をしようにも、
これまでのキャリアを活かせない地方住まい。

生活のために割り切って、
やりがいのない仕事をしている自分は想像できなかった。

その点、個人事業主になれば、自分のやりたい仕事ができ、やりがいも十分。収入も得ることができ、知り合いのいない土地で人とのつながりができるかも。

その時の私は、もうすでに孤独から脱出できた気がして、
とてもワクワクしていました。

ーベビーマッサージ教室で起業ー

それから1年かけて資格を取得。

乳幼児をかかえながらの試験勉強は大変でしたが、
目標に向かってがんばることは楽しく、
一時的に夫との不仲や辛い子育てから解放されるひと時でした。

寝不足でがんばっている時


そして息子が1歳半の時に、
ついにベビーマッサージ教室をオープンしたのです。

社会とのつながりや、久しぶりに仕事ができる喜び、
やりがいを手に入れ、

たくさんのお客様に囲まれて
生き生きと笑っている自分を想像していました。


ベビーマッサージの良さを伝えようと、
夜な夜なブログを書き続けました。

ところが毎日ブログを書いても、
チラシを作って配っても、お客さまは全く来ませんでした。

外に出れば、赤ちゃん連れのお母さんをたくさん見かるのに、
誰も来てくれないのです。


なぜなのか、わけがわかりませんでした。


毎晩1時間半ごとに夜泣きする息子に授乳しながら
ホームページを作ったりブログを書いたりした結果、
寝不足でイライラが募り、夫や子供に当たる日々。

思うように集客できず、

・地方だから集客できない
・知り合いがいないから、口コミがおこせない
・息子が手がかかるから仕事に没頭できない
・頼れる実家がないから、一人で全部やるしかない
・ベビーマッサージ教室じたいが下火だ

と、私はまた今まで通り自分以外の要因のせいにする始末。

ここでまたあの思いにとらわれたのです。

どうして私の人生はうまくいかないのだろう。
夫とは不仲で子育ては辛い。
離婚したくても経済的に自立できないし、仕事はうまくいかない。
優しくて愛情深いお母さんになろうと思っていたのに、実際は子どもに怒鳴ってばかり。誰にも相談できず、わたしの気持ちをわかってくれる人もいない。

でもどうすればいいのかわからない・・・。


ーマインドを学ぶきっかけー

まだあきらめたくなかった私は、ベビーマッサージ教室だけじゃなく、
資格をもってるアロマ教室もはじめたらいいんじゃないか!
と思い調べると

常に満席の教室運営をされている、
素敵なセラピストさんのブログを見つけました。

それがマインドの恩師との出会いです。

先生が、ブログに書いていた

人を癒すにはまず自分から

という言葉がなぜか心に刺さり、ちょうど先生が新しく募集されていた
<マインド講座体験ワークショップ>に参加。

講師やセラピストが自分を癒していないままお客様と接すると、お客様にネガティブなエネルギーを渡してしまうし、逆に受け取ってしまうこともある。

と聞き衝撃をうけました。


実は昔エステでバイトをしたことがあったんですが、1ヶ月で
体が重くて動かなくなるほどの疲労を感じ
やめざるを得なかった
過去があったのです。

エステや整体を受けに行っても、
なぜか施術が終わると余計に体が重くなってしまう
ことが多々ありました。

友人の肩をもんであげただけで、
ひどい頭痛
になったこともあります。

そういった経験から、自分がエネルギーに敏感だ
いうことには気づいていたのですが、

まさかネガティブなエネルギーを受け取ってしまっていたとは、、、
これぞ青天の霹靂でした。

起業してお客様と関わることで、しんどくなってしまうのはイヤだ。人からネガティブなエネルギーを受け取らない体質になりたい!

と即マインド講座の申し込みを決めました。

当時の仲間とは今でもいい友人関係

その講座は、心を癒し自分のあり方を整えるだけでなく、
セラピストに必要なマインドも学べるというもの。

その結果、ネガティブなエネルギーを受け取りにくくなるのだと聞いて、
それならばと高額なお金を払い講座にのぞみました。


ー40歳で心を癒すー

10か月間のマインド講座中は
徹底的にこれまでの自分と向き合うことになりました。

そして、

波乱万丈な人生を周りのせいにしたり、運命だと思ってあきらめていたけれど、私の心が招いてしまったことだったのだ

ということを強く思い知らされたのです。

癒されない心がネガティブな思考や行動を引き起こし、
その結果のぞまない現実を引き寄せる。

すべてはその連鎖でした。

足かせをつけたまま行動しているようなもの

40年間の自分のいたらなさを直視するようなワークは辛く、
時に気持ちが1ヶ月もふさぎこんだこともありました。

講座を修了しても、特に現実は変わっておらず、
これからどうなるのかも今いちピンときていませんでした。

ただ心の中は穏やかになっていて、
胸の内でずっとくすぶっていた火種は消えていました。


ー突然訪れた現実の変化ー

変化を感じたのは、講座を修了して4カ月ほどたった頃。

その時わたしはアロマ教室のオープンに向けて
準備中だったのですが、

ふと夫が家事育児をよく手伝ってくれるようになったことに
気が付いたのです。

またそれまではご飯を作っても何も言わなかった夫から

「おいしかったよ」「ありがとう」

などの言葉がでるように。

それから意識して講座で学んだことを実践していくと、

夫はどんどん家事育児を手伝う愛妻家に変身し、
ベビーマッサージ教室も人が集まるように。

念願のおうちで仕事ができる生活

またオープンしたアロマ教室も満席続きの人気教室となったのです。

アロマワークショップも大人気

あれほど苦手だった人間関係も
ストレスなく誰とでも付き合えるように

心が整うと、人からネガティブなエネルギーを受けにくい体質になっていることも感じられました。

3.心の変化が夢を叶えてくれた

家庭も仕事も人間関係も、全部うまくいく人生でありたい。

どれかだけでは満たされない。

その成功のカギを握っているのが
個々のマインドであると確信した私は、
学んだことをお客様にアウトプットしてみたのですが、

夫婦関係が激的によくなったり、収入が増えたり、
親との関係が改善するお客様があとをたちませんでした。

その効果に、他のお客様からも
もっと教えてほしいというご要望をいただき、
2018年よりマインド講座を開講。

いちばん最初の生徒さんたち

あっという間に他府県や海外からもお問い合わせをいただき、
オンラインでもサポートさせていただけるようになりました。

2018年からすべてのサービスをオンラインに移行

また2019年以降は、よりお客様の悩みの根本解決を目指して
脳科学や量子力学やスピリチュアルの分野も取り入れたことで、
問題解決能力がさらに増し、おかげさまでリピート率は9割を超えています。


4.現在のわたし(2020年当時)

自分の心と向き合ってから1年後、
わたしは念願のマイホームを手に入れ、
自分のペースで好きな仕事をしています。

自分で間取りを考え住宅情報誌に掲載された写真

最初は起業を主婦の気まぐれとしか思っていなかった夫も、
今では全面的に仕事を応援してくれるようになりました。

子どもも私が家で働く姿を見ることで
「働いているお母さんかっこいい」
と言ってくれています。

息子1年生の春

努力が苦にならない天職と思える仕事に、
プライベートでは趣味のフラダンスを楽しみ、
興味をもったことに自己投資できる経済的な余裕。


何もかもうまくいっている人と
思われることも多いのですが、
先述のとおり、決して順風満帆な道のりではありませんでした。

今のような生活を実現できるまでに
長い月日を費やしてしまったことから、

あと10年早く今の自分になれていたら
人生の可能性はどれだけ広がっただろう

なんどそう思ったかわかりません。

もちろんすべては自分にとって
最適のタイミングで出会えた学びだと思いますが、
お客様には、そんな遠回りをしてほしくない。

周りの人や環境に左右されているように見えても、
自分の人生は、自分にしか築けないのだと
声を大にして伝えていきたいと思っています。


5.さいごに


家族や友人、災害などで
人が一瞬で命が尽きるのを見てきました。

私自身も余命宣告をされた身(からしぶとく30年)。

だからこそ、お客様には時間に限りある
たった一度の人生を、一刻も早く輝かせてほしい。


そのためには私のようにメンタルが弱い人でも、
がんばらずに理想の人生を叶えられる自分になる方法がある
ということを知ってほしい。


スピリチュアル能力を開花させる方法や
エネルギーをコントロールし人生が飛躍する方法

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私が40歳で起業したように
今からでは遅い、なんてことはありません!

あなたとのご縁を楽しみにしています。

最後までお読みいただきありがとうございました。


〜こちらの記事は2020年までの変化です〜

このあとさらに衝撃のビフォーアフター!

to be continued…


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