見出し画像

地テシ:299 保土ケ谷宿から戸塚宿へと! 後篇

劇団☆新感線の次回公演「ミナト町純情オセロ」公式HPではビジュアルメイキング動画が一斉に公開されました。

三宅健さん、松井玲奈さん、寺西拓人さん、高田聖子さんたちのバイオレンスで激シブなビジュアルがどう撮られたのか、こちらの動画を見れば一発で判ります。
ちなみに私のメイキング動画はこんな感じ。

さあ、市議会議員・三ノ宮一郎役の私に、こんな厳ついビジュアルの登場シーンはあるのでしょうか! ないのでしょうか! それは舞台を見てのお楽しみですぜ!


さて、お正月になって割とヒマだったから旧東海道を保土ヶ谷宿から戸塚宿まで歩いてみたのコーナー。あれ? そんなコーナーだっけ? まあなんかそんな記事の後篇です。

JR保土ヶ谷駅から旧東海道を辿って権太坂を登り切り、境木立場跡に辿り着くまでが前回のお話でした。山の上の開けた場所っていいよね。今となっては建物が多くて抜群の眺望ってのはさすがに望めませんが、なんとなく落ち着ける良い場所でしたよ。
道のりはここで約半分。ここからはほぼ下り坂ですのでさっそく下っていきましょうそうしましょう。


下り道は何本かありますが、左斜め方向の「焼餅坂(やきもちざか)」が旧東海道です。なんとも可愛らしい名前の坂ですが、ここに焼き餅を売る茶屋があったのが語源だそうです。

お洒落な家が建ち並ぶ綺麗に整備された坂でした

坂の下にある雨水調整池の名前が「やきもち坂(B)」でカワイイ。いや、地域の安全のために必要である大切な施設なのですけれども。

「やきもち」ってひらがなにするとなんかカワイイよね

焼餅坂を下りきってから軽く登りになる道を歩いていると「品濃(しなの)一里塚」があります。

日本橋から数えて九番目の一里塚だそうです

この一里塚には道の両側に塚があり、切り通しのような構造になっています。となれば塚に登ってみたくなるじゃないですか。旧東海道から直接登れるのは右側(西側)の塚。登ってみたら「品濃一里塚公園」という綺麗な公園になっていました。

東側の塚には登っていませんが、そちらも公園になっているようです

ここからは緩くうねりながら下って行きます。所々に道案内の案内板がありますから迷うことは無いと思います。
ただ、次のポイントだけは迷いやすいというか判りにくいというか目を疑うというか、まあなんだか意外なコースを辿ります。

この緩い下り坂が旧東海道のようです。とりあえず進みましょう

案内板に従って進もうと思いますが、いや、ちょっと待って。左の案内板をよく見てみましょう。

ここだけ急に古風な木の案内板でした

「右直進歩道橋渡る」と書いてあります。ん? 歩道橋渡る? 旧街道を歩いていて歩道橋を渡るなんてコトあるの?
不思議に思いながら歩くとこんなポイントに出ました。

「旧東海道」って書いてあるんだから旧東海道はこっちなんでしょうね

右に逸れていく道とは別に、直進方向に旧東海道と書いてありますよ。なんか階段もあるし。
そして、その先にあるのが。

はい、お待たせしました。こちらが旧東海道です

前々回から引っ張り続けてきた、例の歩道橋です。この歩道橋が旧東海道なのです。
いや違うな。旧東海道は今いる場所から真っ正面の、あの細道です。

二台の車の間に見える、親子連れらしき人々が歩いている正面の道ね

なるほど。横浜市環状2号線を切り開いた時に旧東海道を削り取っちゃったのね。権太坂に続いて「空中で繋がる旧東海道」です。
ちなみに先ほどの歩道橋の手前にはこんな案内板もありました。

こういった案内板が随所にあるのがありがたい

こちらが「品濃坂(しなのざか)」です。上の明治初期の写真を見ると、今からは想像もつかない山々した山道だったようです。西(京都方面)から来る旅人にとっては結構な上り坂だったのではないでしょうか。
歩道橋の反対側に渡りきって振り返って見るとこんな感じ。

旧東海道の風情もなにもあったもんじゃねえ

歩道橋を下りたところにある案内板を見てみましょう。なるほどこういうことね。ちょっとややこしいけど、この先も案内板通りに進んでいけば大丈夫です。

歩道橋がキッチリ旧東海道に組み込まれていますね。かつては真っ直ぐ繋がっていたこともお判りかと思います

ここから先は比較的平坦な道をくねくねと進みます。川沿いに進んだり、「赤関橋」でちらっと現東海道に合流してすぐ離れたりとクネクネした後、「秋葉大橋下」というポイントで現東海道に飲み込まれます。
この辺りは山崎製パンやPOLA化粧品などの大きな工場が並んでいます。

旧街道沿いには大きな工場がありがち

あと、急に蔵だけが残っている敷地があったり。

旧街道に蔵はありがちですが、なぜ蔵だけが残されているのかは謎です

そしてその先の不動坂交差点あたりでまた現東海道から離れます。

右側の真っ直ぐ進む方が現東海道で、左の方の細道が旧東海道

また、この交差点は「柏尾の大山道」と呼ばれる大山阿夫利神社への分岐点でもあります。

ちょっと判りにくいけど、ちゃんと案内板が出てるでしょ

東京辺りにも大山阿夫利神社への参拝道は多く、渋谷を経由する国道246号線も有名な大山道(矢倉沢往還)の名残ですね。

不動坂で国道1号から離れた旧東海道はこの先でまたスグに現東海道に合流しますが、その間に気になるレンガ造りの建物を見つけました。

横浜の赤レンガ倉庫と同じ構造なのだそうです

こちらは「鎌倉ハム倉庫」といいまして、日本で初めてハムを製造した齋藤家の貯蔵庫だったそうです。鎌倉ハムはいくつかの系列に別れながらも現在でも存続しています。

この辺りで見つけたカラーマンホール。当然、箱根駅伝がモチーフなのでしょう

旧東海道はその先の五太夫橋で再び現東海道に飲み込まれた後、柏尾川を渡った辺りでまたしても分岐して戸塚駅へとぶつかります。
そのちょっと手前にあるのが「伊東医院」

大正モダンな建築ですが、やはり窓回りは改修されているようです

江戸末期に創業した医院が現地に移り、大正14年に建てたのがこちらの建物。外観はそのままに整備され、横浜市認定歴史的建造物に指定されています。

さあ、ここまで来れば戸塚宿は目の前です。目の前なのですが、ここでJR線に阻まれました。

踏切があったことを示す看板。そして左の看板を拡大してみましょう
「想い出の戸塚大踏切」ということで、やはり有名な踏切だったのでしょう

かつてはここに「戸塚大踏切」と呼ばれる幅広い踏切があったそうですが、今では跨線橋で繋がれているだけです。
またしても「空中で繋がる旧東海道」ですよ。

かつて戸塚大踏切があった場所を上空から。丁度電車も走っていきました

この跨線橋を渡った先あたりが戸塚宿。のハズです。行ってないけど。

跨線橋を渡りきった端っこから。この先が戸塚宿本陣あたりです、多分

本陣跡なども残っているようですが、そろそろ疲れてきた上に日も陰ってきました。戸塚駅にも着きましたし、これで今日の旅を終えましょう。

まあ、JRの線路は越えたからよしとしましょう

保土ヶ谷宿から戸塚宿への旅、いかがだったでしょうか。途中でフラフラと寄り道しながらも約11km、約3時間、標高差約80mの旅。登ったり下ったり引き返したり脇道に逸れたり、なんだか楽しい散歩でした。
品川辺りの旧東海道を歩いた時も思ったけど、意外と古い建物が残っていたり、僅かながらも旧街道の風情が感じられたりして面白いんですよね。
都心から離れるほど興味深い発見も多くなるので、またいつか旧東海道を散歩してみたいと思います。


とはいえ、東海道を走破したりする気は全然ありません。ただ単に旧街道を歩くのが好きなだけなのです。つい先日も府中辺りの旧甲州街道を散歩してとても面白い発見をしたのですが、そんなに頻繁に旧街道散歩日記を書かれても困ると思うので、それはまたいつか。

では、また来週。