「学ぶ集団」を作るには、「教育」してはいけない ~教育の価値~
これまで20年以上、会社や大学で教育やら研修やら、セミナー開催やら、OJTやらテーマ支援、指導をしてきました。
そんな私がやっと気が付いたこと。
「学ぶ集団」を作るには、「教育」してはいけない
といった、集団への教育ついて解説していきたいと思います。
過去にこういった記事も書いていますので、よろしければご参考に。
私の記事の中では、比較的反響があったほうですね。
これの続きみたいな話になるのかもしれません。
教育部隊は評価されない
まず、教育部隊は、会社や上司から評価されません。
会社の経営が傾くと、まずコスト削減されるのは教育です。
しかし、「教育は不要ですか?」と聞くと、「教育は重要だ」とか言います。さらに、何か社内で問題が出ると口をそろえて「社員教育を実施する」とか言います。
教育とか言いながら、e-ラーニングの資料を強制的に視聴させられるだけだったりしますけどね。
「これのどこが教育なんだ?」と、小一時間、問い詰めたい。
「教育とは何か」を、上司や役員に教育したいと何度思ったことか。
なぜこのようなことが起きるのか。
「教育すること」について「教育されてない」のです。
評価されない理由は、簡単に測れないからです。
売り上げなら、何億円とかいうお金等尺度で測れます。
製品の不良数だって、何個という形で測れます。
え?教育だって、研修の実施回数や、参加者数で測れるだろうって?
だから「問い詰めたい」と言っているのです。
そんなの、何の役にも立ちません!
教育とは投資です!
教育にかけたコストが、回収できて初めて効果があったといえるのです。
教育に1万円かかったなら、受講者は1万円以上のリターンを出さなければなりません。出せなければ、投資失敗です。
1日の教育の投資なんて、安いだろって思ってますか?
まず、人件費。受講者30人、講師1人。
31人×8時間×社会人時給5000円=124万円
講師が研修のために準備した時間。5日間としましょう。
5日×8時間×5000円=20万円
あとは、会場の代金、空調、テキスト代。
ということで、ざっと総額150万円かかっていることに。
どうですか?教育ってものすごくお金がかかっているんです。
その教育に150万円を投資して、本当に150万円以上のリターンがあると思いますか?
そして、この「150万円以上のリターン」を測りたいのですが、これがかなり難しい。
国内外様々な人が教育効果について研究していますが、明確なものは出てきていません。
先ほどの参加者人数とか実施回数ってのは、投資しましたってだけ。
「お金を使いました!」ってが評価尺度っておかしいでしょ?
教育の間違ったイメージ
お偉いさんは、小学校、中学校、高校、大学と10年以上も同じスタイルの教育を受けてきたので、「教育とはこういうものだ」という固定概念があるのでしょう。
では、その固定概念って何でしょうか?
以下のような感じじゃないですか?
社外セミナーや研修も、こんなスタイルではないでしょうか。
最近では、はやり病で集まれないってことで、オンライン教育に切り替わってきてはいますが、基本的なところは同じ。
社内だったらe-ラーニングと称して、教育資料なんてものを見させられて、最後に演習問題を解く程度。
どうですか?
皆さんのところでも似たような状況ではないでしょうか?
これ、どんなに教育の資料が素晴らしくても、どんなに講師が魅力的な説明をしても、残念な結果になります。
そう、その教育内容が活きることはありません。
え?そんなことはない?
では、最近受けた研修、セミナー、教育をさかのぼって、3つ挙げてください。
言えますか?
言えた人は、その研修の中身を説明できますか?
ほぼ、言えた人は居ないでしょう。
私を含めてw
日本の学校教育の最初の目的
小学校、中学校の教育の目的は何か知っていますか?
いや、そもそもの目的が何だったかといった方が良いですね。
これは、戦後の日本の産業を、技術立国日本を支えるためにとても重要だったのです。
労働者が、言われたことを、その指示通りにこなすこと。
決まった時間に登校しなさい。
一列に並びなさい。
宿題を明日提出しなさい。
全員、同じ制服を着なさい。
全員が、同じことをできるようにする。
マニュアルを読むことができるように、文字を読むを教えた。
報告書を書くために、書くことを教えた。
簡単な計算ができるように、算数を教えた。
社会のルールを守る人材を育てているといってもいいかもしれません。
これを10年近く、何度も失敗しながら繰り返し行わせるのです。
そりゃ、いやおうなしにこのパターンを習得しますよね。
このおかげで、戦後の製造ラインでは、作業者が黙々と言われた作業を実直にこなし、高品質な家電や製品を安定して生み出すことができたのです。
この方向性は間違っていなかったと思っています。
もちろん、現代ではこの方向性は変わっています。
文部科学省の指導要綱を見ても、今風に変わってきています。
ですが、そもそも言われたことをきちっとこなす「ロボットのような人材」を生み出すためのプロセスで設計された小学校、中学校の教育システムです。
それをプロセスを同じまま、中身を変えるというのは、ものすごく大変なことです。
教育はプロセスである
前置きが長くなりました。
ここからが本題です。
教育は、プロセスです。
大胆に言い換えましょう。
お客様に、定期的にお菓子を買ってもらうプロセスと同じです。
あなたは今、すごく時間をかけて、お菓子の説明書を書き上げています。
そして、お菓子を食べたいと思ってない人に、お菓子の良さを説明しています。
さぁ、このお菓子を食べたいと思ってない人は、このお菓子を買うでしょうか?
このお菓子は実はものすごく美味しく、栄養バランスも整っていて、とても素晴らしい商品だったとしましょう。
でも、買いません。
だって、欲しくないのですから。
そう、お菓子に価値を感じていないのです。
だからお菓子の説明にも価値がないのです。
実は、教育は商品を売るプロセスと同じなのです!
じゃぁ、どうするのか。
教育の目的は何かということを定義しましょう。
教育の効果は先ほど話した通り、お菓子の販売と同じ。
購入してもらい、食べてもらうこと。
そして、リピーターになってもらうこと。
いくら、お菓子の効能を暗記できても、リピーターになってくれなければ、それは失敗です。
教育も、いくら手法の説明をしても、何回も実際のテーマにて使ってくれないと、それは失敗です。
モノを売るプロセスと教育のプロセス
ありがたいことに、販売をするというプロセスの研究は盛んで、様々なモデルが存在しています。
有名なのはAIDMAでしょうか。
ネット販売を考慮したAISASってのもありますね。
研修やセミナーは、Mの記憶の部分です。
その前に、3つもやることがあるのです。
この3つがおなざりだと、最後の行動までたどり着きません。
必須研修とかいって、強制的に記憶させても、価値を感じていないので、すぐに忘れます。
A:Attention(注意)
まずは振り向いてもらうこと。
紙の広告、ネットのバナー、ポケットティッシュの裏、テレビのCM。
誰彼構わず、まず目に情報が飛び込むようにします。
研修ならば、社内広報とか、社内雑誌とかでしょうか。
I:Interest(興味)
つぎに、ターゲット層にしている人に、興味を持ってもらいます。
お菓子なら、女子高生だとか、健康志向の40代男性だとか。
教育なら入社何年目の、どの職種の人なのか。
この人たちに興味を持ってもえるキャッチコピーを作ります。
「〇〇なあなた、日ごろ××でお困りではありませんか?それは△△ですぐに解決できます!」
怪しい広告?
そうなんです。
あれは、この目を引くキャッチコピーのテンプレートを使っています。
D:Desire(欲求)
つぎに、価値に気づかせます。
「これって、今の私にピッタリじゃない?
お菓子を食べて、健康増進になるの?
私の問題はこれで解決できる!」
本当に解決できるかどうかはおいといて、解決できそうだと思い込ませます。そのぐらいの夢を持たせます。
つまり、期待値を明確に持たせるわけです。
この手法を使うと、作業が楽になる。
この手法を使うと、上司や周りに褒められる。
この手法を使うと、給料が上がる。
このA(注意)、I(興味)、D(欲求)を満たす仕掛けを作ること。
ここまでのプロセスが、教育者がまず作ることです。
人を集めて教えることなんて、二の次です。
M:Memory(記憶)
人は、このAIDの部分が満たされれば、勝手に学びます。
教えたいことが、あなたしか知らない、あなた独自のことだったら、あなたしか教えられないでしょう。
しかし、今やネットの時代です。
論文、動画、文献。
少し検索すれば、大体の情報が手に入ります。
つまり、本気でほしいと思ったら、自ら取りに行けるのです。
では、このM(記憶)の記憶の部分で教育者は何をするか。
ここは習得の段階です。
教育者としてあなたは、「安心して失敗できる場」を用意することです。
人間は、トライアルをしながら、情報を習得していきます。
トライアルですから、失敗をします。
日本人は、失敗を「恥じ」と受け取る人が多いです。
なので、安心して失敗できる、失敗しても恥ずかしくない場を作る必要があります。
集合教育で、グループを作って演習をさせるってのがこれに当たるのかと思います。
私は、このやり方は古くなってきていると感じています。
もう少し先の、もっといい方法が無いか模索しているところです。
A:Action(行動)
そして最後に行動してくれる状態にすること。
実際に購入してくれるだけではなく、リピーターになってもらう。
手法も1回使って終わりではなく、何度も使ってくれる。
やっぱり、トライアルと実際は違います。
実際の場で、サポートをしてくれる人がいると、リピートにもつながりますね。
後は、仲間です。
近くに同じことをしている仲間が必要です。
困ったことを相談したり、悩みを共有したり。
これがないと、よっぽど強い意志が無い限りは、やめていきます。
あの人が続けているから、自分も続けるかーみたいなものってのがあります。
そういったコミュニティを作る必要があります。
発表会とか、研究会とか。そういったものでしょうか。
まとめ
ということで、いかがだったでしょうか?
教育をする前に、多くのやることがあるってことです。
この話は、「学ぶ集団を作る」という話です。
不特定多数の、その内容に興味がない人を、持っていきたい方向性に向けて、そして実行、リピートさせる方法です。
それには、評価方法を「教育人数」ではなく「何度も使ってくれる」に変え、「宣伝と期待」に力を入れ、「教える部分は後回し」って話でした。
結局、私たちは教えることなんてできないのです。
学ぶ意義とその価値を伝え、そして学びをトライできる場を作る。
これだけなのです。
これまで、教育を行っている人の評価は、きっと研修実施回数や、教育人数だったはずです。そこに価値があったから、そこを高めるための努力をしてきたと思います。
しかし、教育の目的はそこではない。本来の教育の価値は、行動変容。つまり使ってくれるようになることです。
リピートして使ってくれるようになることを価値とした場合、おそらく教育全体のプロセス設計も変わってくるんじゃないでしょうか?
そう、あなたは価値に支配されているのです!
いただいたサポートは、有益な情報を提供し続けるための活動にあてていきたいと思います!