「入試代行」「宿題代行」「レポート代行」の価値
悪いと思いながら、やってしまう人がいる。
なぜこういった問題が発生するのでしょう?
結論:入試、宿題、レポートを課した人、先生が悪いのです。
正しい目的を、本当の目的を学生に理解させていないのです。
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
<学生視点の価値>
なぜ不正行為をやってしまうのか?
それは、その人にとって価値があるからやるのです。
マイナスの価値と、プラスの価値。
これを比較したときに、プラスの価値が上回ったのです。
入試テストでいい点を取って合格したい。
宿題代行、レポート代行もそうでしょうね。
勉強するのめんどくさい。
マルっとコピーして出せば、それで解決!
楽ができるというのが、プラスの価値。
ただし、バレたら怒られる。
これはマイナスの価値。
そして、このマイナスの価値には、運要素があります。
バレるかバレないか。ギャンブルです。
ハイリスク、ハイリターンに賭けたのです。
これは、その人たちが、なぜテストをしないといけないのか、宿題をしないといけないのか、レポートを出さないといけないのか。
それを理解できていないのが原因だと思います。
それを周りの大人、親、先生が言っているだけ。
理解させていない。
ここに問題があると思います。
言ってるのに伝わらないって人は、こちらも見てくださいね。
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
<入試テストの価値>
入試テストってなんであるのか、あなたは理解していますか?
教える側の先生の立場になって考えてみましょう。
もし、自分のクラスに、ABCのアルファベットすらわからない人と、帰国子女で英語が堪能な人がいたとしましょう。
この人たちにあなたが英語を教えるとしたら、困りますよね?
前に以下の記事でも書きましたが、集合教育には前提があります。
それは、全員が同じレベルであることです。
違うレベルの人がいると、教えることが困難になります。
もし、不正をして入試に合格し、レベルの高いクラスに配属されたとしましょう。
おそらく、授業についていくことはできないでしょう。
水泳で1km泳げって言われても、50mも泳げないから、溺れるだけ。
希望する大学に入ってから頑張る?
いや、もう溺れてますから。
先生が溺れている人を助けていると、泳げている人は暇になります。
とても教育としての効率が悪いのです。
どうしてもやりたいことがあるから、その大学に入りたい?
そんな人には、こんな言葉を送りましょう。
「後で後悔する時間を必要とする人は、今やる時間がないと言っている人である。」
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
<宿題の価値>
算数ドリル、漢字の書き取り。
たくさん子供のころに出されましたね。
正直、私も宿題の価値なんて感じていませんでした。
いかに効率よく、早く終わらせるかしか考えていませんでした。
漢字の書き取りなども、1マスずつ10個書くのではなく、流れ作業的に1画ずつ10マスに書き、2画目を10マスに書き…
算数ドリルだって、巻末に答えがあります。
それを写せば終わりです。
そう、目的の認識が間違っています。
期日までに白い紙を埋めることが目的になっているのです。
結局、漢字テストでは漢字が思い出せず、算数だって手順がわからず、答えが書けない。
そこで、私は学校のテストでいい点を取るために、自ら模擬テストを作って、それを解くようにしました。
そう、目的を、「白い紙を埋める」から、「テストでいい点を取る」ということに変えたのです。価値基準を変えたのです。
それ以降、テストの点数がグンと上がり、放課後に残って漢字の書き取りをすることは無くなりましたw
先生が宿題を課すのは、それは手段です。
覚えてもらうための。
手段はいろいろあっていいのです。
本来の目的があるはずです。
そこを押さえて、行動する。
なお、私は子供の時に、自分は都道府県を覚えなくていいと周りに言ってました。
だって、他の人が知ってるでしょ?
他の人に聞けばいいじゃんって。
その代わり、自分はほかの人が知らないことを知っておこうと。
ホントに扱いにくい、めんどくさい子供だったようでw
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
<レポートの価値>
現在、私はとある大学で、学生に講義をしています。
ある企業の平社員ですが、とある縁で、大学の講師もしているのです。
普通の先生は、最終テストで単位取得したかどうかを判定します。
とても客観的で、公平ですよね。
実はテストって、楽なんです。先生にとって。
学生を見ていなくても、テストの点だけ見て、習得したかどうか判断するので。
私の講義ではテスト無し。
15コマの講義の中で、レポートを3回。
それと、毎回の講義の学生の講義感想メモから、習得したかを判断しています。
日頃の感想内容と、レポートの内容を見ると、一目瞭然なんです。
「あ、こいつわかってる」
と
「あ、こいつ、ダメだ」
ってのか。
レポートってのは、その学生の思考レベルを測るものです。
どれだけ思慮の深さがあるか、広さがあるか。
1つのレポートでは、正直わかりません。
どこかのHPにある情報をコピーしただけかもしれませんからね。
しかし、複数のレポート、日ごろの感想の視点、思慮の深さ。
こういったものを複合的に見ると、その学生のスキルが見えてきます。
あと、講義感想メモは複数あるので、比較すると筆跡が違う(代筆)のもわかりますw
学生たち、ちょっとは頭を使ってバレないようにやれよーw
さて、実は私はテストは嫌いです。
記憶力を測る問題は特に。
昔はスマホなんて無かったので、いちいち図書館に行って情報を探すということが必要でした。この作業はとても非効率です。
なので、記憶力というのは、とても重要なスキルだったのです。
覚えていれば、図書館に行かずに問題が解けますからね。
でも、現代は検索が簡単にできる。情報が引き出せる。
いかに正確に問題を読みとり、短い時間で正しい情報をネットから引き出すか。文明の利器を使いこなすスキルが重要になってきているのです。
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
<まとめ>
周りの大人や先生が方は、自分の時代のやり方を、現代の学生たちに当てはめていませんか?
昭和なら、そのやり方が正解で、問題は無かったと思います。
いや、言われたことを実直にこなす人材が必要だったのです。
でも、時代は移り変わったのです。
言われたことを文字通りにこなす仕事は、AIやロボットにとって代わろうという時代です。
これからの時代は、独自の発想をし、新しいものを生み出す人材。
ようは、考える、思考する訓練をすること。
言われたとおりに宿題しろ、いい大学に入れ、期日までにレポート提出しろ。これらは手段です。
そもそも、なぜ入試テスト、宿題、レポートが必要なのか。
そういったことを、うわべだけじゃなく、本質的に学生自身に考えさせる。
そういったとこから、始めてみませんかね?
価値基準が変われば、行動も変わりますよ。
そう、私たちは価値に支配されているのです。
いただいたサポートは、有益な情報を提供し続けるための活動にあてていきたいと思います!