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月経カップや吸水ショーツを使い始めて3年が経った

1月1日、本来ならばめでたい年明けのタイミングで災害が起こりとても気持ちが塞いでいました。
被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

震災から、現在2週間以上経ち、
被災地のいろんな情報や映像を見ながら
自分にとって今考えていることを書いてみようと思います。
特に女性の身体を持つ自分が気になっているトピックが
「生理用品のこと」です。

自分の経験も踏まえて
果たして、災害においてどんなスタイルが最適なのか
2024年時点での考えを連ねてみたいと思います。
今も避難所生活を強いられている人と、自分の経験を重ねることは少しはばかれるようにも思いましたが(私が居たのは快適な病室だし…)
経験してこそ、やっぱり自分は間違えていた。と反省してこの文章を書いています。

何かひとつでも読んでくださる方に届くといいなと思います。


突然入院が決まった時、私は生理が来た

これは昨年の体験なのですが、
家族の入院(未成年者)の付き添いで私が7日ほど同伴者として入院したことがあります。

それも突然に決まったことで、かつ、コロナ禍の対策として「同伴者は感染症に罹患していないか検査し、交代は原則無し」ということになっていました。(2023年下半期時点)

私自身が健康体である以上は
同伴者として病院から出ないでください。
ということでした。

その説明を病院の待合室で聞いているタイミング
私は
生理がきていました。
軽くパニックになっていたと思います。
改めて病院を出て身支度することもできなければ、
「自分以外の家族に同伴を交代してもらう」という選択肢もなかったのです。

私は3年ほど前から月経カップ、そして吸水ショーツ(生理用ショーツではなく、経血をショーツが吸い取る製品)を使用しており
全くそれが手元にない状況なったのです。

子どもの状態を鑑みて、即入院させていただきありがたいと思いつつも、まずい…私が無事に付き添いできる気がしない…と焦っていました。
看護師さんに一時子どもを見てもらっておき、
病院内の購買店で買った夜用ナプキンだけがそのときの命綱でした。

子どもはまだ小さいので、同伴者は添い寝スタイルで寝ることになりましたがそれもまたしんどい。
ベッドも汚したくない。
今私と子供に必要な洗濯物、必要な入院用グッズはひと通り配偶者へ伝え、持ってきてもらえるように手配しました。

とはいえ、自分の配偶者に
月経カップは毎回毎回煮沸消毒するからよろしく。あと、わたしの経血を吸ったショーツは血の塊を取り除いて、30分くらいぬるま湯につけて、押し洗いして血を全部絞り出して、ネットに入れて洗濯して。あと乾燥機は×」とは流石に指示できませんでした。

そもそもなぜ私が月経カップや吸水ショーツに切り替えたかと言うと
「災害に遭った時、手元に紙ナプキンがなくても平気なように自立したい」

という、今考えたら「無知〜!」
と叫びたくなるようなきっかけでした。

この考えは実際使用し始めて「こりゃ緊急時には続けられないわ…」
という感想と共に反省することになります。
(そして入院の時に伏線を回収したわけです。)

紙ナプキン、やっぱりすごい


月経カップ、吸水ショーツを使い始めた3年前の私は「これで紙ナプキンを使わない、強い私になる」
と本気で意気込んでいました。

最初は快適!とも思っていましたが
しばらくすると自分のおざなりな性格故に
消毒や洗い方が足りず、膀胱炎を起こしてしまいます。

「紙ナプキンが1番衛生的」
「月経カップ、吸水ショーツはめちゃくちゃ水を使う」
「血を吸ったものを再度使用するにはしっかり消毒する為に道具も必要」

と紙ナプキンから離れて初めて知ることになりました。

10代の頃に生理になった時点で当たり前にあった紙ナプキン、使い捨てのタンポン。
それが普通過ぎて気がついていなかったのです。

そのうちに「布ナプキンはいいよ」とおすすめされることもありましたが、なかなか踏み切れず(その頃買えるような経済感覚ではなかった)
やっと
「月経カップ、吸水ショーツ、やってみるか!」と思い立って取り組んできました。

紙ナプキンを必要としないことが「緊急時、来る災害に強い私」を作る、そう信じていました。

配偶者にもなるべく、「今自分は生理だから」と常日頃伝えるようにもして家族の中で「女性の機能としての生理」への意識を持ってもらうようにも努めていたつもりでした。

でも、やっぱり今の私には
「月経カップを手洗いしてください」
とか
「吸水ショーツを洗ってください」
とか家族にお願い出来ませんでした。

なんなら、「わたしの引き出しのここに紙ナプキンのストックと生理ショーツがあるから病院の荷物に入れて持ってきて」

とお願いすることすら出来ませんでした。


「生理用品」は自分の身体を守る為にあり、周りの人達にも「血を流して排出した後不衛生にしない」ために存在しているのです。

「いざ手元に何もないとき、生理がきた」
「自分の家じゃない場所で生理になってしばらく滞在しなきゃいけない」
ということで感じた「紙ナプキン」のありがたさ。

1人の女性に対して、紙ナプキンは余るほどあって良い、改めて思います。

「災害に強い私(緊急時生理で困らない女)」を作る必要は本当にあるのか、自分に問い直す必要があるように思いました。

災害に遭ったとき、生理に困らない場所を

緊急時、生理で困ったら「めちゃくちゃたくさん紙ナプキンがあるし、自由に使える状態」がやはり良いと思っています。

ひとり一人、経血の量もしんどさも辛さも恥ずかしさも痛みも違うからこそ
「余るほど紙ナプキンがある」状態を私は望みます。

SNSで見る「再利用できるし、布ナプキンは?」とかの意見には
つよめに「NO!」と言いたいです。
普段使いで「自分でこうしたい」と選択(洗濯)している方はそれで良いと思っています。
私もやはり、通常時には「月経カップ」も「吸水ショーツ」も使っています。

ただ、精神的にも水にも空間にも余裕のない緊急時には「余るほど紙ナプキンでお願いします!」
と言いたいです。言います。

節約して使えば、紙ナプキンと言えども膀胱炎になります。そのほかの関連症も心配です。

経血をきちんと処理する為に必要なのは
「使って捨てられることを研究された紙ナプキン」なのです。

3年使って私が思うこと



めんどくさい

それに尽きます。
面倒なのです。
紙ナプキンを使わない、持続可能な私を求めていた気持ちももちろん忘れてはいません。
このめんどくさー!に向き合える余裕がある時に
「月経カップ」や「吸水ショーツ」を使っています。もう精神的にも体力的にも無理!
て場合もあります。めんどくさいんです。(3回言った)

だからこそ「生理で困ったら助けてもらえる」
そう思えるような人、環境を少しずつでも増やしていきたいんです。
こうした私の拙い文章でも
「そうなのか…」と思ってもらえるひとが一人でも増えたら幸いなのです。

「生理で困っても自立しなきゃいけない」と思わなくていい、そんな社会が一番です。

最後に

改めて、
今も避難所生活を強いられている人と、自分の経験を同じことのように表現して申し訳ない気持ちです。ごめんなさい。

それでも今わたしから伝えたかったことを書いてみました。
一人でも多くの被災地、避難所生活、2次避難所、集団で移動を強いられた女性の皆さん、中学生の子達が
「快適な生理」「衛生的な生活」を送れますように。







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