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三日坊主日記 vol.92 『四月一日、独立記念日』

1993年の今日、僕はフリーランスのCMディレクターとして独立した。ということにしている。


僕がいたCM制作会社は、某大手制作会社にいたプロデューサーがスポンサー(親会社)を見つけて独立した会社だった。その人が独立するときに僕が合流して一緒に立ち上げた会社で、バブルの波に乗って約5年間CMを作りまくった。我々も非常によく働いたが、親会社がバブルの申し子のような会社だったので、とにかく金回りが良かった。

金回りが良いと何かと仕事がし易い。一緒に立ち上げたプロデューサーはもちろんだけど、まだ20代の僕にもある程度の決裁権のようなものがあった。だから仕事が早い。少々お金の掛かることもその場で即決できた。機を見るに敏。そして何より親会社はCM制作の利益をあてにしてないから、利益率を抑えてその分を制作費に使えるから良いモノができるのである。


そうして僕らの会社はあっという間に仕事が増え、超忙しくなった。土日も夜中も関係なし。多い年は年間200日東京に滞在し、家には着替えをとりに帰るだけ。死ぬほど働いて、よく遊んだ。


何もかもが嘘のように順調だったが、ある日突然バブルが崩壊した。僕らの会社は相変わらず忙しかったが、親会社がもたなかった。バブルの申し子はバブル崩壊とともに消えることになった。僕はそのまま親会社から切り離してCM制作会社を存続したかったのだが、結局そうはならず解散することになった。


さて、これからどうするか。いろんな会社が熱心に誘ってくれた。とてもありがたかったし、ずいぶん迷ったんだけど、結局フリーランスとして独立することにした。会社として動いている仕事を何本か抱えていたし、新たな企画も何本か動いていた。会社がなくなる以上それらの仕事を続ける訳にはいかないので、何処かの会社に引き継いでもらう必要がある。


それらの残務整理をしている間にもフリーの僕に仕事を出してくれる人たちがいる。結局数ヶ月間は残務整理をしながら、フリーの仕事もしている状態が続き、はっきりとした独立記念日がない。だから、キリのいい1993年の4月1日を独立記念日ということにしたのだ。


あれから31年。とても長かったような気もするし、あっという間だった気もする。何もできていない気もするし、それなりに成し遂げた気もする。


これから何年この仕事ができるんだろうか。まだまだやりたいこと、やらなければならないことがたくさんある。あと31年はさすがに無理でも、もう暫くは頑張ろう。

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