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三日坊主日記 vol.114 『トイレの神様は見ている』

僕がお世話になっている接骨院は、自宅の1階を改造してご夫婦で営んでいる。


ご主人は子供たちにサッカーを教えながら、自分でもフットサルをするスポーツマン。明るくて、面倒見が良くて、腕もいいので、いつも多くの患者さんで賑わっている。


僕はもっぱら週末サッカーの後、身体のメンテナンスをして貰いに通っている。半日走り回って、ちょっと気になった箇所をその日のうちに治療してもらう。その習慣を始めてから調子がいいし、怪我も減った。


先日、接骨院に到着して着替えるためにトイレに入ったら、誰かがお小水で酷く汚している。その時の選択肢として考えたのは、①先生または奥さんにそのことを伝える。②知らん顔して着替えを済ます。③掃除する。少し考えて、僕は②を選んだ。


①を選んだ場合、広くない、カーテンで区切られただけの空間なので、その声は必ず皆に聴こえる。そこにいる誰もが良い気分はしないだろうし、自分自身も告げ口するようでいい気がしない。


②を選ぶと、次に入った誰かが僕と同じ選択を迫られることになる。そして次に入ったその人から見ると、僕は恐らく最大の容疑者になるし、先生や奥さんの中でも僕は容疑者のひとりになるだろう。


③は、非常に大人気ないというか決して自慢できることではないが、僕の選択肢としてほぼなかった。この3つの選択肢から②を選んだ僕は、果たして正解か否か。


さて、ここからが本題。


この話をあるコミュニティーで何人かに話してみた。当然ながら皆の回答は適度にバラけたんだけど、(僕的に)意外だったのは③が多かったこと。そして、③を選んだ人は口を揃えて、当然のことだという。中には、家のトイレはもちろん会社やお店、駅のトイレでも。そしてそれが小さい方だけでなく、大きい方であっても掃除するという強者がいたことにも大いに驚いた。


理由は、まあよく言うトイレにはトイレの神様がいて、キレイにしていると運が良くなるというのもあるけど、それ以上に③派が言うのは、次に使う人が気持ちいいから。キレイにしてあると自分が気持ちいいから、人にもそうする。だから③を選ぶと。


人の気持ちになって考える。物心ついた時から親に、先生に、周りの大人に言われてきた人間として生きる基本中の基本。それは分かる。それはその通りだけど、誰が使うか分からないトイレでそれができるか。


ええ歳したおっさんが今更ながら考えさせられた、どうでもいいようでとても大切なお話。皆さんは何番ですか。







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