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5月の残像

職場の増築工事が、ひと段落した。

工事自体はGW明けに終わったのだが、システム関係の整備やら備品類の発注やらやることがごまんとあって奔走していた。ちなみに、上層部の意向で通常通りお客さんは受け入れながらの作業である。不可能ミッションすぎる。

設計段階からメジャーを片手に飛び回ったかと思えば見積もり書とメーカーのカタログをうんうん唸りながら見つめたり、もはや自分は何者なのかよくわからない。医療職なんだけど、という疑問はとりあえず横に置いておくしかない日々であった。

並行して、小学校の運動会やPTA総会、周年行事の打ち合わせなどPTA役員としても奔走しており、はっきりいってこの5月は私の歴史上もっとも忙しかった。もう師走として認定してもらっても悔いはない。まだ終わってないけど。

増築にしろ周年行事にしろ、新しいものを生み出す作業が多くて、最初の一歩のアイデアを出すのが苦手な私は本当に苦労した。ゼロをイチにできる人は本当にすごいと思う。

そこに無いものを、在るものにできる力。

言葉にすればひらめきとか、発想力とか呼ぶのかもしれない。いわゆる創造性の高い仕事、たとえば作家や漫画家、イラストを描く人や広告を作る人なんかもこのゼロ→イチ能力が高いんだと思う。羨ましいことこのうえない。

他方で、イチを2に、あるいは10にする力はそこそこある、と勝手に自負している。アイデアをあっちにつなげてこっちに結んで選択肢を増やしたり、あたためて熟成させるのはわりと得意なのである。誰かのイチの上に成り立つ他力本願な能力なのだが、まあまあ役に立っている気はする。

私の周りには、父をはじめとして読書家がちらほらいる。総じて、みんな会話の内容が豊富で、一見つながりのないようなところからヒントを見つけたり、例えを持ち出したり、物事と物事のつながりを見つけるのが得意なのである。

私のこの、アッチコッチ能力とでも呼べばいいのか、とにかくそういうつながりを見つけたりアイデアを膨らませる力も読書によって培われたのかもしれないなあ、とふと思う。

活字中毒気味なので、忙しいときほど本を読みたくなる。癒し、というかもはや現実逃避に他ならないのだが、ページをめくるだけで瞬間的にその世界に入り込めるものは私にとっては本しかない。

本の中は、現実世界のように時計の針がいつも過去から未来に向けて動くわけではない。場所も時間も人もくるくる変わる。読んでいるほうはそれを頭のなかでつなげて咀嚼するわけだが、それが結果的にアッチコッチ能力になっているのではないか、と思ったりする。

自分への褒美で、昨日は大ファンのピアニスト、アリス=紗良=オットのリサイタルに行ってきた。久々の来日公演、しかも曲目が大好きなショパンだったのでどうしても行きたかったのだ。

初めて生で聴くアリスの音は想像を超えて美しく、荘厳で、ときどきピアノかどうかわからなくなるような音がした。それはもう本当に次元の違う世界で、ゼロ→イチどころではなくゼロから無限に音を生み出していて、怖くなったくらいだ。

誰かから受けとったイチが、いつか自分や他の誰かの大事な2になるかもしれない。だから、焦らないようにしよう。最近忙しかったせいか、アリスの音を聴いていたら、なぜかふとそんなことを思った。

5月は終わるけれど、やるべきことはまだまだある。私にできるのは、相変わらずアッチコッチ奔走するだけだ。明日からも、日々は続く。誰かのイチの上で。

この前、子どもたちと磯遊びをしていてふと顔をあげたら、青い空に白い雲、力強い日差しが目に眩しくて、季節が動こうとしているのを感じた。私個人の事情なんてお構いなしに、時間は過ぎる。さらさらと、でも確実に。

それがなぜか、とても嬉しくてホッとした。

キラキラした5月の海は、残像となって今も瞼の裏でチラついている。



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