何も言えなかった
無力感、というのは大きな絶望だ。
友達の悩みを聞いても何も言えなかった。
子どもの話を聞いてもアドバイスできなかった。
そんな人たちが保健室に相談にくる。
言葉かけで楽になれる方法があるなら、私も知りたい。
傾聴や対話、カウンセリングマインド、コーチング、認知行動療法……様々な知識を学んでいるつもりだけど、正解なんてない。
理想の形はあったとしても、私の求めるものと相談者の求めるものは違うだろう。
元気づけられたい人もいる。
自分の良さを見つけたい人も。
よくわからないモヤモヤしたものを言語化して欲しい人もいるし、具体的な助言を欲す人もいる。
でもほとんどの場合、何を求めているのかすらわからない。
ただ、人の悩みなのに一緒に苦しむことができるのは、その人が優しい人だからだ。
目の前の人が悩んだり苦しんだりしている姿を見ることがつらくなるくらいの共感力の高さ。
力になりたいというあたたかさと責任感。
だからこそ相談者は、その人に相談することにしたのだろう。
その時に何も言えなかったなら、多分それがベストの対応だ。
表面的な励ましはすぐに見透かされる。
正論はわからない・できない相談者を追い詰める。
だけど人は自分の無力感に向き合う強さもないから、誰かにアドバイスをしたがる。
相談者が望んでいることは、自分の弱さを知っててくれることだと思ってる。
調子が良いときも、悪いときも、変わらず接してくれるような。
何を話しても、嫌われたり幻滅されないような。
悩みから一時避難しても、また同じことで悩んでも、何度も聞いてくれるような。
いずれ自分の力で立ち上がって、元気なところを見せたいと思えるような。
そんな所を求めているのではないだろうか。
保健室にいると、そんなことを考える。
私自身も話を聴くことしかできなくて悩んだときもあったけど、その経験があるから聴けることもある。
皆、誰かの力を借りながら、誰かを助けている。
私も、あなたも。
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