見出し画像

「この人ってこんな風に生きてきたんだ」を知って起こる変化〜身近な人編〜

こんにちは!ミクロストリア ライターのMadokaです!
6月8日(木)
低気圧が近づきているからでしょうか・・・朝から頭痛と戦っています。
今日も私のページをクリックしてくださって本当にありがとうございます。

さて、昨日の記事では、私がミクロストリアに興味を持つきっかけとなった一冊の本「世界は五反田から始まった」についてご紹介させていただきました。(昨日の記事はこちら

そこから実際にいろいろな人に話を聞いて回るようになって気がついたこと、その後の変化について、今日はお話させて頂こうかなと思います。


見えているのも知っているのもほんの一部分

あなたにとって、たとえば父親や母親、祖父や祖母というのは、多少見た目に変化が起こっていくものの、あなたが生まれたその瞬間から父母であり、祖父祖母ですよね。
あたかも、その人がずっとその存在でい続けて今日まで過ごしているような感覚はありませんでしょうか?

「誰しもかつて子供だった」まずこれを知ること


その父母、祖父祖母も子供だった時代が当然あるのです。
(当たり前でしょと思いますが、近すぎるとなかなか思えないのです。)
子供だった彼らがここまで成長して、大人になって、老いていく、その一連のドラマを想像するだけで、現在自身も一児の母である私にとっては、非常に感慨深いものがあるのです。
また、どのような子供時代を過ごしてきたのかを知ることも、相手を理解する上で欠かせないステップだなと感じます。これ、友人や恋人、配偶者でも同様だと思います!

「親である前に一人の人間なんだ」

そして彼らが自分と同じ年代の頃にどのように悩み、乗り越え、今に至るかを知ることは、私たち子供にとっては一番身近な人生の指針の一つともなり得るのではないでしょうか。(もちろん時に反面教師ともなり得るでしょう。)
「ああ親も、親である前に人間なんだ」この感覚になると親の見方ってすごく変わってくるがしました。

「全部含めて受け入れようかな」と思えるようになる

親ってどうしてこうなんだろう!なんて思うことありますよね。私の両親もそれはもう破天荒で(笑)子供ながらにこんな親になりたくないと何度思ったことでしょうか(笑)
とは言え人並みにしっかり育ててくれて、大学まで行かせてくれましたし、感謝もたくさんあります。

今自分も親になってみてこう感じるのかもしれませんが
ここまでの人生色々あって、ここまで彼らが生きてきてくれてることがわかると、自分がされて嫌だったあれこれも、その彼らの人生の中の点の一つであって、それも含めて彼らなんだと受け入れられるようになりました。
(もちろん絶対にしてはいけないことしたらは処罰されるべき)
じっくりと話を聞く前と後では少し、親との関わりが変わったように感じます。


本人にとっても人生の振り返りになる

父、母、祖父や祖母にとっても、これまで自分が歩いてきた道を改めて振り返る機会になったようで、残された今後の人生も前向きに生きていこうという原動力になったようです。
「自分史」というと、人生の最後にまとめる印象もありますが、もっと早く、普通に家族と会話できる元気なうちに、家族親族みんなで一緒に話す機会はすごく大切だと感じました。

「自分史」ではなく「ミクロストリア」として残す

「自分史」はよく聞きますが、出来事を連ねるだけではもの足りないと思っています。
だから私は、聞いた話を「自分史」という形ではなく「ミクロストリ」という、普通の人が主人公の物語として残していきたいと思っているのです。
きっとその方が、読み手の脳裏には生き生きと当時の社会の様子であったり、主人公の心情が伝わるとように思うからです。

さて今日も長くなってしまいました。
次回の記事では、近所のおじちゃん・おばちゃんに話を聞いた時のことを書こうかなと思います。
ご覧いただきありがとうございました「!

ミクロストリア ライターMadoka


この記事が参加している募集

はじめての仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?