See you there.

先に断っておくが、これは自分の頭の中を整理するために書いているので内容はめちゃくちゃになるはず。でも今の頭の中のカオスを整理しないと現実感がないままになりそうなので、殴り書きする。

テキストの出だしを1、2行書いただけで放置する癖がある。後に何を書こうかも考えず、それで数日放っておく。何かひらめいたら続けて何か書き、思いつかなければ削除。昔からこれは変わらない。
5日ほど前に1行だけ書いて放り出していた出だし。

ちょっと火星に寄って、starmanと一緒に月旅行に行ってくる。

David Bowieの新しいアルバムが届くのを待っていたから、そんなことを書いたが、何もなければせいぜいいつもの「日々之雑感」の中の1行に混じって終わりだったろう。

だが、突然starmanは私との月旅行をキャンセルして一人で旅立ってしまった。Bowieの訃報。仕事帰りにふとスマホで見たニュースで知り、混乱したまま地下鉄に乗り、混乱したまま帰宅し、twitterやFacebookの情報を漁る。

呆然とするしかなかった。混乱しながら情報を漁り続け、どうやらこれは現実らしいと認識し、Youtubeで片っ端からBowieの曲を再生し続けていたら涙が出てきた。自分でもびっくりしたが、とにかく涙が出てきた。


私が動くBowieを認識したのは『地球に落ちてきた男』で、なぜだかわからないが中学生の時に深夜のTVで放送していた。内容は全くちんぷんかんぷんだったけれど、とにかく人間離れしたルックスと存在感に釘付けになった。
その後MTV全盛期になり、ちょうど「Let's Dance」がバカ売れするが、いまひとつピンと来ないまま、どんどん70年代の音を掘り下げて「Ziggy Stardust」にぶち当たる。とんでもない衝撃だった。お金がなかったから『戦場のメリークリスマス』は何年か遅れて500円で観られる映画館で観た。原作が収録されている『影の獄にて』も必死に読んだ。

Bowieのことだけじゃなく、特に10代後半から20代中盤まではとにかく気になるものを全部吸収してやろうという欲がものすごかった。音楽も聴いたし、本も読んだし、映画も観た。

大好きなアーティストはたくさんいるけれど、30歳前後からBowieが飛び抜けて好きになった。なぜかはわからない。多分時代とともにカメレオンみたいにコロコロと変化し、一線を退かすに、何をやってもBowieであろうとする美意識の強さとタフさが一番の原因のような気もする。もちろん、そのルックスも。


インドでZiggyに会ったことがある。
北の山間部の町、チベット亡命政府のあるダラムサラ。
寒い寒い2月の夜、シェアしていた女の子と安レストランで食事をして外に出ると、今まで観たこともないようなものすごい星空が広がっていた。星明かりで月が見えないくらいの星空。二人とも言葉をなくしながら小走りで宿へ戻り、部屋からブランケットとポータブルのCDプレイヤーとスピーカーを持ちだして屋上へ駆け上がった。ブランケットにくるまりながら寝転び「Ziggy Stardust」をかけた。私も彼女もシラフじゃなかったけれど、空からZiggyが降りてくるのを見たのだ、確かに。


何を書いてるんだか全くわからなくなってきた。
いいんだ、これは脳内垂れ流しの、カオスを整理するためのテキストだから。

Bowieが旅立ってしまって地球に取り残された今、まだどうしていいのかわからなくて、混乱しているし、喪失感でちょっと変な精神状態のままだ。きっと世界中に私みたいな人がたくさんいる。あそこにも、ここにも、きっとすぐそばにも。だが、Bowieは最後の最後までDavid Bowieであり続け、自らの最期までを見事にエンターテイメントにして去っていった。しっかりと彼の術中にハマった私達を天国から見下ろしてほくそ笑んでいるかもしれない。多分ほくそ笑んでいる。自分のステージプランに間違いはなかったと。最後の最後までしてやられた感。それでこそのBowieだ。



人間の一生なんて宇宙の流れから見ればほんの一瞬だから、きっともうすぐどこかで会えるのかもしれない。でもね、今とても寂しいんだ。自分の中の青春の尻尾みたいなものがむしり取られたようで心がひりひりするんだよ。でも、もうぐずぐずと嘆くのは今日で最後にする。音楽は消えることはないし、これからもずーっと聴き続けていくし、ほんの一瞬のようで長い長い時間を生き延びていかなくちゃならないからね。

See you there, David. 



©madokajee

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