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悟りはシンプルである

目が覚めると『オンサンマヤサトバン』と脳裏に聞こえてきました。
正確には、言葉と音声の中間のようなものです。

日が変わって家にたどり着き、ほとんどそのまま寝た後でした。

昨日はやっぱり面白い日。
新橋でジミーさんの定期コンサートがあって、せっかく行くのだから新橋の神社をいくつか回ってみました。

烏森神社



鳥居と階段が合体コンパクトな日比谷神社
ミストが出る手水
お稲荷さんや狛犬が古い
反射でよく見えない💦


ちょっと寂れた感じの鹽竈神社


そして会場には、先月から参加の春美ちゃんがお友達を誘ってまた来てくれました。ありがとう。


彼女は私より年上で大いに健康で、やりたいと思ったら好きなことをできる経済的余裕があり、羨ましい限りのアグレッシブさでスピリチュアルな場所へ行ったり、イベント、勉強会(スピだけでなく地域社会活動も含む)を経験しまくっています。

今日の私の香りはアンカーでした

不思議なのですが、私の行くところ、知り合う方、多くの方がとても物質的に豊かで、精神的にも社会通念よりずっと開けています。単に私が「持っていないから」誰と会っても相対的にリッチに見えるのかも知れないけど、地位とか名誉とか上下関係が得意でない私には、そんなみなさんと一緒に楽しい時を過ごせるのが居心地よく幸せです。
自分基準で一人でいると、いったい生活はどうなっていくのだろう?って思ったりするけど、のびのび生きてる人を見ると「まだまだ日本は大丈夫だね」なんて思えてくる。

のんびり起きて『オンサンマヤサトバン』を調べてみると、簡単なものでは「仏様と私たち人間は差が大きいように思えるけれども、本来は同じである」という解説でした。
人間の中の仏性なのかな。

段々、自分が宇宙の声を受け取っているのを認められるようになって来ました。ずっと、自分の声なのか、ハイアーセルフのような高次の声なのか、明確にできたらいいのにと思っていたのですが、箕面弁財天さまのお守りを部屋のどこに置こうかなと考えていたら(それは身につけるものだぞ)と3回も聞こえて、もう受け入れざるを得ないなと。

ジミーさんの演奏会には、来年2月のインドヒマラヤツアーを主催協力するインド人のSanjeev Bhandariさんがいらっしゃいました。弟さんが経営する旅行会社が日本にあります。ツアーでは現地でサンジープさんが経営する4つ星ホテルに泊まり(とても景色が良いらしい)、2つの洞窟へ行きます。1箇所はよく知られた有名な場所ですが、ジミーさんがいて、サンジープさんがガイドするだけに、他では味わえない旅になるでしょう。

どちらか忘れましたがインド政府の命令で洞窟は途中から通れないようになっていて、それはその先に今まさに悟りを開いている修行者がいるから。あまり長居しない方が良いくらいエネルギーが強い場所です。

サンジープさんによると、インドでは「良い師匠に付きなさい」と言われ、よく吟味して自分の師匠を選ぶことがとても重要なのだそうです。
なんと師匠は神以上だと言います。
インド式では、足を触ることが相手に対する尊敬を表すのですが、神さまの像と師匠がいた場合、先に触るのは師匠であり、何故ならば「グルに従うことで神様に会えるから」です。
導き手を非常に重視する文化なのですね。

自由大好きの私には、あまり師匠と弟子みたいな世界は得意ではないのですが、愛と尊敬に基づいた意識は美しいものだと思います。

素敵な昼寝演奏会、私がここにいるわけは、きっと528Hzが特に私に必要な周波数だからでしょう。
528Hzは愛の周波数、太陽の周波数、第3チャクラの周波数。
私は自信を表す第3チャクラが小さくなっていると再三言われて来たのです。

たっぷり528Hzを浴びた後、いきつけのインド料理のお店でみんな楽しく歓談。
みんなサンジープさんからインドのお香をいただきました。ありがとうございます。

サンジープさんからガネーシャ贈呈
いい笑顔の信長コンビ


春美ちゃんは快調に疑問や不満を語ります。
そんなに「持っている」のに、やっぱり不平不満はあるのです。彼女の言い分や気持ちもよく分かります。私が同じ立場だったら、そう思うかも知れない。

スピリチュアルの中に、自分の生き方、あり方を追求して、答えを求めて、どうしても納得へたどり着けない。
経済的に十分で、健康に問題がなく、時間さえ自由に使えるとしても、彼女の疑問や悩みはなくならない。

なぜなら、苦しみは自分で作っているから。

ジミーさんは彼女に「真理はシンプルなんだよ」とアドバイスします。

シンクロの連続で自分の望んでいない方向へどんどん引っ張られる。なぜだろう?
そして、スピリチュアルな人に「あなたはどうにも抗えない。抵抗するな。」と言われ、運命は自分で選べるはず!と思う彼女は苦しい。
私だって、望んでもいないことを「運命です。やりなさい」と言われたら、えー冗談じゃない!って思うでしょう。
一方で、依存的に何かお役目通りに生きたら迷いがなくて楽だろうという考え方もスピリチュアルの世界にはありますね。
それを宗教と言うのですが。

私の今週受け取ったものに「人間はさせられている」という感情が苦手であるというメッセージがあります。
波風立てないように言われた通りロボットみたいな生き方は人間をやっている意味がないように思います。
でもあらゆることが自由だったら何をどうしたものかわからなくなりますね。
自分に基準、好み、目標、マイルストーンがあることで、それが成就したか、達成されたかも分かって満足できる。
同じことに対しても、心が受動的か能動的か、私たちは選ぶことができます。

やりたいことと違う方向に行っているのは、方違えじゃないけど、迂回する方が良い結果に結びつくのではないかと私は言いました。直線でなくて経由することで、ご縁が増えて、豊かな実りとなるのかも知れない。
無限の可能性があり、誰かががっかりするようなことを言って来たとしても、違うと思うなら取り入れなければいい。
全員を納得させたり満足させたりすることは出来ません。
人それぞれがユニークな体験をするために生まれて来ました。違いも恩寵なのです。

ちょっとだけジミーさんと春美さんと5月28日生まれ528の渡邉さんと4人で新橋の飲み屋で2次会をしました。
3人とも経営の経験者。イキイキと人が蠢き、くだらないことを語り、酔っ払いが笑顔で交流する店内で、流れる音楽に合わせて歌う春美ちゃん。
ああ、もがく彼女をニコニコと笑顔で見守る存在がいる。彼女は自分で三次元の人間らしい自分を見つめている。

なんだかいいコンビ


人間は尊いものだというけれど、その理想はお上品な高級な世界に鎮座しているわけではありません。
もっと混沌とした何でも一緒くた、流れる川の水面にキラキラ光る輝きが人間の生きた証なのかも知れない。
しがらみに生きてお互いを救い、お互いの磨き砂になる。

誰かが決めた正しさなんて、放り投げてしまいませんか?
自分の良心に従って、それが外から間違いだと言われても、誰の人生ですか?
人生の途中にゴールはありません。
永遠に続く変化の波の中にいるだけ。
沈んだらきっと誰かが手を差し伸べるから、泳いだり、身を任せたり、ただ心のままに。
きっと視界の外側にも色んな人がいるから、必要な時につながることでしょう。
お互いにGood Luck!

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