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気仙沼の航海

 東京から岩手・三陸方面を目指して友人と二人ヒッチハイク旅をしていた。釜石で別れ、ぼくは気仙沼へと向かった。2、3台の車を乗り継いで夜、気仙沼についた。気仙沼の駅を中心に、しんとした街を歩いた。ザックには寝袋が入っていたので、手頃な公園に野宿地を決めた。時間を持て余したので、重たいザックはそこに置き、港の方へ歩いて行った。震災以後に作られた、複合施設に10時までやっているカフェがあったので、暑いホットコーヒーを啜った。八月の終わりだったため夜の寒さは問題なかったが、蚊が寝袋から突き出た顔を襲ってくるので、あまり心地いい眠りではなかった。
 翌朝、早めに漁港の方に散歩に出てみたのだが、どうもこの日は漁港はやってなかった。仕方ないのでぶらぶらして時間を潰し、新しくできた仮設飲食街のお店が開くのを待った。開くとそこは、漁師さんが朝早くご飯を食べる食堂であるとともに、朝風呂に入れるトレーラーハウスも横付けされていた。鶴亀の湯・鶴亀食堂という名前だった。これは、と思い湯に浸かった。風呂から上がりさっぱりした気持ちで、朝ごはんという段取りである。メカジキのカマ煮定食を食べた。なんだか底なしに明るいおかみさんたちの顔を見ていると、この場所が経験した災害があっても肯定的に生きて行こうとするその姿が眩しかった。サービス精神も旺盛でどんどんぼくの白米をついでくれる。ぼくも気を良くしてのんびりしていると、地元の漁師さんが3人やってきた。話の内容を聞いていると、二人は地元の方で一人は初めてこの食堂を利用したとのことだった。
漁師さんとおかみさんとぼくと、小さな店内で同じ空気を共有していたので、ぼくはあまり喋らなかったが、自然な形で会話を聞いていた。その漁師さんは、温厚な人柄がにじみ出た笑顔で、自分は高知で漁をやっている、と言った。魚を追い気仙沼までやってきて、今は2日ほどの休み。冗談交じりの言い方で「俺の船高知まで乗るか?」と聞いてきた。ぼくはその後のスケジュールが頭をよぎり、次に船酔いや命の危険、そひて最後に「漁師は陸と海では人が違う」という言葉を思い出した。ただそのお誘いはたまらなく嬉しかったのだが、ひとまずこの場では笑いながら濁しておいた。
 

もっぱら、船に乗れば物事の見方が大きく変わってただろうな、と後悔したのは随分先のことである。偶然が偶然の出会いを生み、人生が変わるような船出を自分の手で、拒んでしまったのだから。

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