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    旅のエッセイを載せます。

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僕の奥能登支援を巡る旅

坂本さんとの出会い 2021年秋、奥能登芸術祭をきっかけに珠洲市にやってきた。 歩き始めて何日目だったか覚えていない。奥能登の夜は暗く深い。何十キロ歩いても商店は数えるほどしかなく、最後に辿り着いたスーパー大谷に滑り込む。パンやおにぎりを買って食べながら歩く。重たい荷物が肩に食い込み、足はもうすでに感覚が無い。倒れるようにして吸い込まれたテトラポッドの隙間。10月の寒さに震え、星と波の間に眠った。夜明け前、寒さに耐えかねて高台にあるスズ・シアター・ミュージアム(旧西部小

    • 鹿

      島に鹿あり 鹿追う犬あり 鹿追う人ありて 水を飲んで 飛んだり跳ねたり 駆けた海に 陽は落ちて ほらサシバが帰ってきたぞ と 指す空高く 帰りのチャイム 私もまた渡り鳥 島に鹿あり 鹿食う人あり 何千何万いくつかの 懐かしい時 悲しい時 焚き火にくべた語らいが 何千何万いくつかの 森の奥で鳴っている 私もまたそのひとつ

      • 星たちのささやき

        夜空の青さを そっくりそのまま ぼくの心と とりかえてしまいたい 果てしない孤独の海を 僕らは旅する どうかお願い 今夜ばかりは おしゃべりをやめて 星たちの囁きに 耳を澄まして あの星はそろそろ終わりなの 星にも炎のような命があって 生まれてきては死んでゆくんだ ほらあの星を見てごらん もうじきさ もう眠ろう うん そのうちお日様が 朝を運んでくるさ

        • VOID

          ぼくはただここに在る 目に飛びこんでくるのは 街の光線 源氏蛍もほとほとと 耳を通りすぎてゆくのは 街の軋む音 きりぎりすは鳴くことも忘れて 鼻の周りを漂うのは 街の饐えた匂い みみずはアスファルトの下で静かに泣く 手のひらで掴むのは 街の冷たさ 猿は胡桃を手に笑う 口にするのは 街の言葉 鯨は海の底で黙って歌う ぼくはただここに在る 一緒にいる自分というものの存在も忘れながら ぼくはここに在る 顔のない人間が隊列を組んで過ぎていく ぼくはここに在る ぼくは文明の

        僕の奥能登支援を巡る旅

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        記事

          椅子をつくる

          外側の椅子と内側の椅子  2020年の暮れから尾道で家の改修工事に参加している。泊まりがけで工事しているため、作業終わりにはみんなで食卓を囲む。至福のときだ。そんな時、何かの拍子で前作っていた椅子の話題になる。それは丸太をくりぬき、背中からお尻まですっぽりと包まれる椅子だ。2年に及んだ制作途中で、その造形が下顎のように思えてならなくなり歯の彫刻をあしらった。そんな変わった椅子を見て「ぶっ飛んでるね!」と制作を依頼してくれたのがミドリノコヤ店主のみどりさんだ。それが昨年の春先

          椅子をつくる

          霧の海

           何度もなんども新しいノートの一ページ目をめくる。大抵隅の方から二、三行書いてみる。えんぴつで、タイピングで。 三日坊主どころじゃない、五分と持たない集中。意識はとびとびになり、別の本の適当なページを開く手、字面を追う目。言葉を用いて何かを語ることから距離を取るようになった。端的にいえば文章化にすることから。 自分の中で感情が言葉により過ぎていると感じたからだ。言語化以前の豊かな、幅のある心の色模様を言葉の檻に押し込んでしまっている気がした。  紙に殴り書きにした多くの

          霧の海

          歩くこと 雪山にて

           2020年はあまり上手に歩くことはできなかった。自分の歩み方、リズムが整わず混沌としている時間が多くあった。  そんな年の瀬、雪が多くある長野県は北安曇野郡小谷村へと向かう。目的地は、車道から山道を歩いた先にある真木集落だ。車道が途切れるところで長靴の上から、かんじきを履く。かんじきは、日本で古くから使われている雪の上を滑らず、埋もれずに歩くための道具だ。  真木集落には、ここ2週間ほど人が入っておらず、山道は雪の中に消えている。膝上くらいに積もった雪を、太ももあたりで

          歩くこと 雪山にて

          京都の縁

           それまで広島県は尾道市にて、古い日本家屋を改修していた。その予定を切り上げて、京都へと向かう。  目的は、徳正寺というお寺にて開かれる写真家、石川直樹のトークイベントに参加するためだ。石川さんの写真は、写真と対峙したものをそこに立っているのではないか、と思えるほどに迫るものがありその風の輪郭をかすかに感じさせてくれる。今回は「地上に星座をつくる」という文章がほとんどの新刊に伴うイベントだ。  知り合いから、主催者とお寺の住職と知り合いだから、と今回誘っていただいた。少し

          京都の縁

          小さな港町で

           もうあたりは真っ暗になり、しんとした冷たい空気が僕らを奮い立たせた。日が暮れる前、午後四時くらいにはその日の野宿地を決めなければいけない。だがこの日は行けどもいけども、ただ広々とした薄気味悪い道が続くだけだった。沿道に面した床屋さんの夫婦が、物珍しそうに顔を出しホットの缶コーヒーを二つくれた。上にパーカーを羽織っていたものの、ハンドルを握る手が寒さで限界だった。缶コーヒーの暖かさを手でじんわりと感じた。四国に根付くお遍路文化のおかげか、総じて四国の人は優しく、その暖かさが身

          小さな港町で

          気仙沼の航海

           東京から岩手・三陸方面を目指して友人と二人ヒッチハイク旅をしていた。釜石で別れ、ぼくは気仙沼へと向かった。2、3台の車を乗り継いで夜、気仙沼についた。気仙沼の駅を中心に、しんとした街を歩いた。ザックには寝袋が入っていたので、手頃な公園に野宿地を決めた。時間を持て余したので、重たいザックはそこに置き、港の方へ歩いて行った。震災以後に作られた、複合施設に10時までやっているカフェがあったので、暑いホットコーヒーを啜った。八月の終わりだったため夜の寒さは問題なかったが、蚊が寝袋か

          気仙沼の航海

          境界線

          海沿いに面した小さな街。1日取り立ててやることなし。 曇り空の中重いバックパックを背負って北へと続く道を歩く。 気がつくと広い芝生の広場のようなところに出た。荷物を置いて一休みする。 その奥には白い壁と赤茶色の屋根をした三角屋根の建物が見えた。 ニュージーランドの先住民マオリの集会所「マラエ」だ。 中には十数人、雰囲気のある老人が車座になって座っている。うち数人は伝統である入れ墨のある顔だった。 入り口近くにいた、頭から黒いマントのようなものを羽織った老婆は、僕に向かって

          クラス企画のあるべき姿

          「すわる・よむ・ねる」その後     高三の三はクラス企画で「すわる・よむ・ねる」と題し、一人一冊本づくりをした。学園祭当日は、クラス中心に置かれた本棚に、つくった本と自分たちの好きな本を並べた。すると、自然と会場に来てくれた人との会話が生まれた。結果として「すわる・よむ・ねる」のゆったりとしたあの空間は、押しつけがなく手に取りたい人がそっと本を開いて、思い思いの時を過ごせるコミュニティースペースのように機能していたように思う。 学園祭の時期がやってきて、三年目としてこの

          クラス企画のあるべき姿

          雨宿り

          カトマンズの街角で、ホームステイをしていた家のみんなとヨーグルト屋に入った。 ネパールでは大人数のファミリーで住むのは当たり前らしく、この日はみんな仕事を休んでくれた。子供も含め総勢十人くらいだった。僕もその時マハラジャンファミリーの一員のような気分でいた。  ひとり旅なんかで、観光地を歩くと平面的、地理的な旅に止まってしまう。でも現地の人と一緒に歩くことができると、行く分か立体的にその土地が見えてくる。そうして歩かなければ、看板もない、小さなショーケースに白い液体が入

          朝の効力

          ロトルアという街で、少しまちの外れにあるfunky backpackerというゲストハウスに入った。 名前に反して暖炉があったり、壁画があって孤独さを紛らわしてくれる暖かい宿だった。 夜も更けもう寝ようかと思っていると、隣のベットのアジア人と目があった。 彼は周りのもう寝ている人に気を使い、アイコンタクトで電気を消してくれないか?とメッセージを送ってきた。まだ言葉も交わしていない者同士、言葉を用いるより自然だった。 僕は電気を消し、眠りに入った。 翌日眩しいくらいの朝日で目

          朝の効力

          カオス

          混沌。カオス。 日本語の授業でそれは、言葉で言い表せない世界を指す言葉だ、と教わった。表しようがないから、混沌・カオスとしてあらわすのだと。 だとするならばあの夜ほど混沌とした夜は、無かったのではないか。 その不思議さを、言葉によって伝え共有したいが、言葉で説明できてしまってはその世界はカオスではないことになる。 でもとにかくこの不思議なふしぎな夜のことを少し。思い出しながら語ろうと思う。 友人と旅を始めて一週間くらい立った頃。ある温泉街の大きな街にたどり着いた。 街が一

          不思議な夜のこと

          パシュパティナートというところに行った。 ネパールに着いて何日目の夜だったかは分からない。 シヴァ神を祀るヒンドゥー教の寺院だ。ネパールでは最高の聖なる土地で、 インドからも巡礼にやってくる。ネパールには60の民族と70の言語があり、複雑な文化が根付いている。 僕がお世話になった家族はヒンドゥー教のネワール族だった。 この日僕たっての希望で、ここを訪れた。 川沿いにいくつかの大きい寺院があり、死体を焼いて流すところや 神聖な祈りを捧げる場所があった。 なるべく近づいて

          不思議な夜のこと