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占いで人生は変わるのか? 「運気がいいからやってみよう」 これだけで、人生は十分変わっ…

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占いで人生は変わるのか? 「運気がいいからやってみよう」 これだけで、人生は十分変わっていきます。 とのことなので、変えてみようと思います。

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  • 惑っております??

  • イノチノツカイミチ

    天命なんか知らないけれど、 命をどう使うかは、自分で選ぼう♪ 希望が命の使いみち。 今は、"隠された幸福を解放する旅"に出ております。 心の豊かさが、現実に反映されたら、最高✨

  • 毎日ひとつ捨ててみた。

    やりたいことを探していたら、 思いがけない願望に出くわしてしまった。 億を稼ぐでも、世界平和への貢献でもなく、 「自由で、快適で、スッキリ暮らしたい」のだそうな。 生きがいなんかより、片付いた部屋でのんびりしたい。 それが、私の自己実現らしいので、 毎日ひとつ捨ててみようと思います。 2023年が終わるまで、あと132日。 132品捨てられるかな?

最近の記事

なにをしたらいいかわからないのは、安心以上の幸せを求められないから。

承認欲求が薄れたら 生きている価値とか意欲まで薄れてしまった。 制限だらけの思考が緩んだら やりたいことなんて特になくなってしまった。 不安だから欲張れた。 怖いから頑張れた。 でも、もう嫌だ。 不安と恐怖を原動力にして 不足を補おうとして 結果、何も得られない人生。 仮説の検証。データの収集。経験値。 得られたものはあるけれど、 私が欲しかったものではない。 情報収集なんかのために やりたくないことを我慢して 人生を浪費したくない。 好きなことをして、生きて行

    • 心が苦しい本当の理由について。

      苦しみは、理想とのギャップ。 なら、理想に到達すれば、苦しみは解消される。 そう思っていたけれど、 たぶん、そうじゃない。 確かに、理想も現実との間にギャップがある状態は苦しい。 けれど、今、私が感じている苦しみは、 そんな前向きなベクトルではない。 後ろ向きな、内向きな、否定の方向性。 理想があるから、苦しいのではなく、 苦しいから、辻褄の合う理想とのギャップ という理由を後付けだ。 理想に向かって努力すれば、 苦しみはなくなる。 努力していないから、苦しいまま

      • 思っても、できないこと。

        この人と喋ってみたい! と思ったのに、 話しかける勇気が出せずに終わる。 やりたい! って前のめりに思ったのに、 考えた挙句に諦める。 やりたい事をやって来たつもりでいた。 私には、行動力があると思っていた。 けれど、 やりたいと思ってやった事と、やらなかった事。 振り返れば、圧倒的にやらなかった事の方が多い。 なので、 やったつもりでいたけれど、 やらなかった事の方が多かったわけだ。 そりゃ、やりたくない人生になるよね。 やって、無意味だったと後悔するより、 や

        • 白い龍と黒い龍と透明な龍のおはなし。

          おとぎばなし。 心の中に、龍がいる。 ポジティブな想いを食べたら、白龍に。 ネガティブな想いを食べたら、黒龍に。 食べるものによって、龍は色を変える。 なら、なるべくバランスよくしなければ。 ネガティブな想いばかり食べさせてたら、 黒龍が大きくなって、暴れてしまう。 ポジティブな想いで、黒龍を浄化し、 白龍に戻さなければ… なんて思っていたのだけれど、 そもそも、全ての想いは、愛なのです。 白だの黒だの、 想いを色分けしているのは、私ですよね? 私がいなかっ

        なにをしたらいいかわからないのは、安心以上の幸せを求められないから。

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        記事

          愛されないことに悩んでいたから、愛せない人を愛する方法を見つけようとしていたみたい。

          誰を愛するか、何を愛するかは、 その時の心が決めるものであって、 意図的に選べるものではない。 なら、愛すべきものを愛せないからといって 悩む必要はないはずなんだよね。 あ。支配したり、意図的に傷つけるのは、 他者の世界への侵略なので、 愛せないこととは別の話です。 伝わるように言葉を選ばなかったら、ごめんなさい。 さて、愛すべきとされる存在を愛せなくてもいいなら、 愛するかどうかを立場や役割で決めてある方がおかしいのかもしれない。 そう決めておかなければ出来ないほど

          愛されないことに悩んでいたから、愛せない人を愛する方法を見つけようとしていたみたい。

          今日が不幸だとしても、私は未来に愛されている。

          仕事ができるって、幸せなことだった。 歩ける事も、ご飯を食べられる事も、 やりたくない事でもやれる事も。 生きていること。 何かできること。 出来なくても、何かを感じられる事。 生きている事が、幸せ。 命は、可能性の塊。 私は、今という可能性を体感している。 可能性の体感こそが、幸せ。 不幸でも、不幸を体感できることは、幸せなこと。 生きている間の全ては、幸せ。 なので、幸せになろうとしなくていい。 幸せになるために、必要な条件はない。 今には可能性しかなく、

          今日が不幸だとしても、私は未来に愛されている。

          期待に応えられない私を意識することはできても、期待に応えられた私に気づくことは稀かもしれない。

          ずっとお膳立てしてもらって生きてきた。 そう思う出来事があって、反省した。 これまで私の代わりに、 お膳立てをしてくれていた人々がいたから、 呑気に生きてこれたのでした。感謝しかない。 そういった事が好きな人もいるし、 得意そうな人がやっているように見えたし、 少なくとも嫌いじゃないから引き受けているのだろう。 私には向いていないからそういう役回りが来ないだけ。 なんて気楽に考えていたけれど、 私を含めたみんなの為を想って 仕方なく引き受けてくれた人もいたかもしれない

          期待に応えられない私を意識することはできても、期待に応えられた私に気づくことは稀かもしれない。

          善良であることと、相手が幸せであることと、私が幸せであることは、関係ない。

          善人が幸せになるとは限らないし、 悪人が不幸せになるとも限らない。 世の中とは、理不尽なもの。 その設定が間違いだったのかもしれない。 自分を幸せにしよう。 幸せに生きるために、善いことをしよう。 そう決めたから、 暴れ狂う悪人の自分を律して、 善人らしく振る舞った。 悪人の私が抵抗したところで、 根はいい奴なのだよ。 納得できなくても、最後にはちゃんとやるもの。 なんて思っていたけれど、 そもそも善人の私なんていなかった気がしてきた。 ただの私が、頑張って善いこ

          善良であることと、相手が幸せであることと、私が幸せであることは、関係ない。

          生きる事は、とてつもなくシンプルなのに、シンプルな生き方に辿り着くまでが、とてつもなく複雑。

          目指す方に目を向ける。 心のベクトルを変える。 そのための前提を考えていたら、 能天気ピーポーみたいなノリになってしまった。 そんなスーパーポジティブな設定を語らせて欲しい。 私とは、幸です。 幸福な存在です。 幸福のために存在しています。 幸せな存在なのに、今が不幸だとしたら、 私の世界が間違っているのかもしれません。 現実は答え。過去からのギフト。 出口に文句を言っても、 同じ運命が予約されるだけですよ。 すべての思いは、命と共に巡っています。 人生とは

          生きる事は、とてつもなくシンプルなのに、シンプルな生き方に辿り着くまでが、とてつもなく複雑。

          諦めても、叶う夢はあるみたい。

          フェイクニュースかと思ったら、本当のことだった。 心底、驚いた。 オゾン層が回復するということにも、 その報告が一年以上も前になされていたことにも。 環境破壊なんて、 私が小学生の頃から問題視されていた。 けれど、大人たちや世の中は、 日々の暮らしを豊かにすることに夢中だった。 当時は貧しいから仕方がないと思っていたのに、 国家が豊かになるほどにお金が正義になっていった。 環境は大切だけれど、社会はそれを望んではいない。 私は、早々に諦めることにした。 貧しく

          諦めても、叶う夢はあるみたい。

          矛盾した人生を否定せず生きてゆきたい。

          私が知る世界は、私だけの世界。 同じ現実を生きながら、 私たちは、異なる世界を生きている。 たぶん私は、淋しいのだろう。 無意識に同郷を求め、 出会う度に相手に期待し、 異邦であり続ける自分に絶望する。 同じ人間なら、分かり合えると思っている。 それが、勘違いだったのかもしれない。 なので、世界を変えようと思う。 私たちは、自分の世界を生きる唯一の人間である。 共通している現実と、体感する自分がいるだけ。 どこに目を向けて、何を感じて、どう解釈するかは、 全て個

          矛盾した人生を否定せず生きてゆきたい。

          強くなれないなら、自分と同じだけ、他人を甘やかすのはどうだろう?

          こうやって生きたほうがいい。 私の中には、そんなルールがある。 守っている限りは、大事にならない。 ちょっと嫌われたり、 ちょっと悪口を言われたりするだけ。 傷つくけれど、安全は保証されている。 命にとっては、ベストチョイスなはずなのに、 そんな生き方を、忌々しく思っている。 ルールは、私を守るためのもの。 けれど、守らなければならないほど 私って、弱かったっけ? 守られて生きているのに、 なんで辛いの?不幸せなの? 生きる意味がないとか思ってしまうのは、なぜ

          強くなれないなら、自分と同じだけ、他人を甘やかすのはどうだろう?

          ありたい自分を願うほど、憧れは遠のく。

          好かれたいと思っても、嫌われるし、 愛されたいと願っても、そうはならない。 なら、自分で自分を愛そうとしたけれど、できなかった。 決意して、方法を考え、実践した。 けれど、心は思うようには動かない。 たぶん、それが答えだった。 現実的な努力ならできるけれど、 努力の対価が、望み通りとは限らない。 現実的な成功に辿り着いても、同じこと。 求めているのは、行動の先にある現実ではなく、 現実が変わる事でもたらされるはずの感情だから。 けれど、感情はコントロールできない。

          ありたい自分を願うほど、憧れは遠のく。

          人の役に立てる歓びは、今しか味わえないもの。

          最悪の本性を自覚した。 最低な自分については認められた気がしていたけれど、 あんなの可愛いものだった。 卑怯で、卑屈で、萎縮した私は、最悪だった。 ありがたい事に、今、私の周囲には、優しく、 仕事も人間性もできた人しかいないので、 これまでのように人のせいに出来なかった。 自分を責めることしか出来ない上に、 その苦しみは、現実逃避を誘うもの であることもわかっていた。 善人のフリをしたがる自我が、 傲慢な本性を隠すために、 星の数ほどの言い訳を考えてくれたから。

          人の役に立てる歓びは、今しか味わえないもの。

          ニュートラルな現実に反応している私がいるだけ。

          許せない自分は、 被害者ポジションでいたい自分。 嫌な事をされた。 私は悪くないのに… 理不尽だ。辻褄が合わない。 なのに、怒りの行き場がない。 あ。そっか。 私が被害者になれば、 相手を加害者にする事ができるじゃん。 怒りを吐き出す場所ができた。 あー、よかった。 例え無意識だとしても、そんな腹黒い事を 考えているなんて思いたくはないけれど、 やはり傷ついた私と言うのは、嘘だったように思う。 体感としては、あり得ないくらいリアルだけれど。 今思い出しても、胸がキ

          ニュートラルな現実に反応している私がいるだけ。

          私が裁かなくても、みんな自分で自分を裁いているのかもしれない。

          私は、卑怯だ。 数日前の出来事を思い出しては、 自分を裁いている。 裁く私と裁かれた私を どうにかしようと焦っている。 なぜ、私は自分を責めるのだろう。 なぜ、私は責められなければならないのだろう。 一つは、私の中にある純粋性。 悪く言えば、完璧主義。白黒思考。 その行為を卑怯で許されないことにしているから、 責め裁かれている。 二つ目は、因果応報。 与えたものを与えられるのなら、 私は卑怯なことをしたのだろう。 自覚は、ある。 全然、別件なのだけれど、 そう

          私が裁かなくても、みんな自分で自分を裁いているのかもしれない。