なんでもない一日を記念日にしてくれた私へ。
夏ですね。
2年前の今日、noteを始めました。
自己受容を体感し、
全てを受け入れられる気がした。
これからはチャレンジングな人生を送ろう。
そんな決意からでした。
実際は、チャレンジしようにも、
やりたいことは見つからないままですし、
ダメな自分が本性だと知ったところで、
自分に自信なんか持てないし、
他者を信頼したいのに、
裏を読もうとしてしまうし、
無意味で無駄なプライドだけは高いし、
傷つくことがなにより怖い。
未だ、惑っております。
全てが焦土と化した戦場に、
たった独りで生き残っていたあの日。
疲弊して、荒れ果てた心は、
なにもない一面の砂漠だった。
戦いには勝利したものの、
やけに静かな不穏な世界で、
ただ途方に暮れていた。
帰るべき家も残ってはいない。
あったとしても帰りたいとは思わない。
勝利によって、しがらみから解放された。
人生を犠牲にして、獲得した自由。
どこへでも行ける。
なのに、行きたい場所がない。
私はあの時のまま、どこにも行けずにいる。
行きたい場所も、帰る場所もないまま、
同じ場所から世界を眺めている。
2年経っても、私は変わらなかった。
けれど、殺伐とした砂漠はもうない。
草も生えないと思われた荒れ果てた焦土は、
緑とカラフルな小花で覆われている。
背の低い草花の行き着く先には、
雪を頂く山脈が連なり、
清々しい景観が広がっている。
ここが戦場であったことは、きっと私しか知らない。
2020年から私自身はあまり変わっていない。
けれど、気づいたら世界が変わっていた。
そんな2年間だった。
成果と言えるほどのなにかはないけれど、
あれほど理不尽だった現実が、
妙に優しくなった気がする。
自覚はないけれど、
私の内面の世界が変わったのかもしれない。
誰もいない荒れ果てた戦場から、
観光用のポスターみたいな豊かな原風景へ。
そんな無自覚で細やかな変化に気付くことが
できたのは、noteという表現の場があったから。
ありがとう。note。
そして、365日の中の、
なんでもない1日だったはずの今日を
記念日にしてくれた2年前の私へ。
noteを始めてくれて、ありがとう。
一年後の私は、今日の私に感謝してくれているのかな?
来年の私は、今より変わっているのかな?
大きな目標はないけれど、
来年の自分のためになることをしてゆこうと思う。
fumori
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?