見出し画像

お金を払って、後悔を買う。

現実より、感情を優先しよう。
そう決めた途端に、間違えた。

行きたたいイベントがあったのだけれど、
目先のお金を惜しんで、
欲しかった感情を逃してしまった。

予約で完売ってわけでもなかったし、後からでもなんとかなると思っていた。甘く見ていた挙句に、現場に行きながら、イベントに参加できないというなんとも残念な結果となった。

イベントがなくても、ずっと行きたかった念願の地だ。参加できなくても、楽しみでしかないはずなのに、浮き足立った分、悔しさに引きずられる。

6000円を惜しんで、たぶんこの先、一生行くことができないイベントを逃してしまった。
後悔は深い。

そして、思う。

感情を味わうために生きているのなら、後悔やがっかり感を味わうために、今の現実を選んだということ。誰でもなく私自身がそれを望んで。

信じ難いことだけれど、楽しみでワクワクできる現実ではなく、悔しがって後悔する可能性のある現実を、選んだのだ。

こうから可能性はあった。見誤っていた。
なんとかなると思っていたことも、
ダメなら諦めがつくと思っていたことも。

ウキウキした気分は、買えた。
それなのに、同じ条件で6000円お得に望みを叶えられるかもしれない可能性を選んだ。

自分に都合のいい現実を夢見ていた。
なるとかなる方に賭けた。
現実ではなく、可能性を選んだ。
だから、毎度、裏切られるんだろう。

そして、お金のために、本当に叶えたかった現実を逃し、期待していた感情の代わりに、味わいたくもないそれを味わい、待ち遠しい気持ちにまで水を差した、というわけだ。

今にして思えば、たった6000円。
けれど、選んだ時は、6000円も得をしたと浮き足立っていた。

そして、6000円と引き換えに、後悔を買った。

得した瞬間のいい気分を差し引いても、割りに合わないほどの悔いを得た。

感情の敵は、現実ではない。
思考も立ちはだかるけれど、ラスボスではない。本音には敵わない。

真の敵は、欲得なのかもしれない。

損したくないという気持ち。得したい。
内容が同じなら、安い方がハッピーでいられる。

お金。人気や名誉。信頼、安心感。
欲しいと思うもの全て。
それを得たいがために、行動する。
本能や本音だけではなかった。

欲得も感情を生み出す。 

そして、おそらく、お得な感情というのは、
私の中で喜びのレベルが高い。
だから、誘惑に負けて、選んでしまう。
本音よりも、欲得を。

また、選ばせるのも上手いのだ。
詐欺師のように上手いこと言いくるめて、思考を懐柔し、本音に妥協させる。私みたいに芯のない人間なんか、一瞬で陥落してしまう。

本音も欲得から得られる感情も、どちらも心を動かす効果は同じ。生きる動機を生み出すもの。
つまり、手段はなんでもよく、感情を得られさえすればいいのだ。怠け者の私を動かすために。

そもそも、思考は、本音と欲得の区別をつけようとは思っていないかも。する意味がないから。

思考は、合理的で、
本音は、わがままで、
欲得は、要領が良い。

本音だけで生きられるなら、欲得なんて存在しない。現実とのバランスを取るための緩衝材みたいなもの。
むしろ、本音よりもは現実的で、配慮がある分、社会的な気さえする。

行き過ぎなければ、有用で、有能。
反面、ずる賢くて、小賢しい。
悪知恵が働き、最小限の努力で、感情を生み出す。思考を騙し、本音を懐柔する。

感情はギャップによって紡がれる。
今と未来。今と過去。
本音と思考のせめぎ合いもあれば、
思考と欲得の攻防もある。
三つ巴になることも。

本音は、最強のラスボス。
そして、欲得は同等の力を持つ双子。
本音と対になるもの。とてもパワフル。

しかも、感情を生み出す効率が非常によい。
小さな欲得で、ガンガン感情を稼いでくれるけれど、諸刃の剣でもある。

結局、本音を蔑ろにするのは思考と変わらないので、失敗した時、深手を負う。
いい気分を失い、更に、欲に走った自分を責めたくなる。欲得には、リスクが伴う。

頃合いというか、ちょうどいい範囲がわかればいいのだけれど、悩んでしまうと、どんどん欲得に流されていくし…

少なくとも、お金を払って、不機嫌を買うことはやめよう。

そういう判断基準が束になっていったら、
私の中にも芯みたいなものができるのかな?

 fumori 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?