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愚か26

 ギャルになりたい 補語です
 私は自我と戦っています 恐れからくる世界への敵意を抑え込むために自分を痛めつけて均衡を保とうとしています 以前インターネットで「これを他人に言おうものなら問答無用で殺し合いになる」といわれていた言葉が、私が日常的に自分にかけていた言葉で驚きました 「誰かや何かのせいではなく、ただお前がお前であるから悪い」、という言葉なのですが、あまり自分にもかけてはなりませんね…
 というわけで、私は自分にも世界にも大きな敵意を抱えています なので必然的に作るものが全て攻撃的になるのですよね 敵意のなさそうなものを作ると「お前はこんなに敵意の塊なのに何を無害ぶっている?」と思ってしまうまである なので、何というか、「ギャル(概念)」というか、「私ってかわいい!みんな頑張ってる!自分らしく生きよう!ご自愛しよう!」というような発信ができる人間が本当に羨ましい 本当の本当に羨ましい 彼らもおそらくは何か内面化された規範やコンプレックスと戦っていて、前向きな言葉も空元気や彼らに掛けられた残酷な言葉に対する反論である事の方が多いとは思いますが、そういった自我との戦いや他人への反論をそういった形で出力できることがもう羨ましい!
 一方私の書いたことと言ったら「大人しく絶望させろ」だの「幸せに生きるな気持ち悪い」だの「義務も果たしてないのに権利を主張するな」だの、しまいには「初めからいなかったみたいに消えたい」と言い出す始末 言葉が強い 暗い 最低限「これは自分との戦いであってあなたは何も関係ありませんよ」という感じで表現してはいますが、あまりにも攻撃的ではあります
 仕方ないのですよ、これが一番自分の温度感に合っているのです 自分を慰める言葉など書こうものならあっという間に惨めになる 鼓舞すればするほど自意識が底まで沈んでいる事を意識してしまう そしてそれがまぎれもなく自分のせいであることも意識してしまう(これはおそらく全ての悪いことを自分のせいにしてしまう認知の歪みが原因ですが…)
 また、「鼓舞」して高揚する事よりもただ平坦で、おだやかである事を良しとしているのも前向きであれない事の一因かもしれません このnoteにも前向きめな記事はいくつかありますが、そのどれもが「悲観しない代わりに楽観もせずに現実をただ見つめる」というような結論になっている気がします そこをうまく加工すれば比較的前向きっぽい何かが生まれるカモ…生まれないカモ…

 なぜこうまでして前向きな事を言いたいかというと、やはり受け入れられたいからですよね 苦しみの発露さえもわかりやすく、皆様のお口に合うよう整型したい そうしないと…殺される!?そういった認識があります まあ殺されなくとも、誰も助けてくれはしないでしょう しかしこれは強迫観念に近い 削除対象です 早く治しましょう チャーミングに助けを求められずとも、適切に困っていることを伝えることができればきっと大丈夫でしょうから…

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