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愚か45

 最近は、とかく精神状態がガタついていた時の人間関係の清算に追われている 精神状態がおかしかった頃は感情の振れ幅がおかしかったため「その時に隣にいてくれた」というだけで一生を懸けて当該人物に奉仕し続けるべきである、そうでなくてはならない という不健康な感情を抱いてしまっていた その影響で徹底的に都合のいい人間として相手に振る舞った結果、相手もまた別の事情でそれぞれ弱っていた事が原因なのか踏み込まれたくないところまで罵倒を受け、現在彼らとは縁を切る事を選択している 相手も弱っていたためそのような状態の時に相手の全てを肯定してしまえば当然「(補語)は自分の感情の全てをぶちまけてもいい人間だ」と目されてもおかしくはないし、それは却って彼らの精神に良くなかっただろう 私が踏み込まれたくないところまで踏み込まれて踏み躙られたのは自業自得だし私のやった事は長期的に見れば他害に近い 申し訳なかった それを鑑みても私にできる事はもう彼らと縁を切る事しかなく、その通りに実行しているが、「辛い時に支えてもらった(一方的な認識に過ぎないが)」という感情の残滓が、5年以上経った今でも精神面での関係性の清算の邪魔をしている 
 また、私自身とある神経症を患っていた頃に自分の異常な感覚を誰にも信じてもらえずそれが現在の人間不信の一部となっているのもあり、相手が弱っていっている時も「他の誰が一蹴しようと私だけは話を聞かなくては」と思い過ぎてしまったのもある 当然ながら私は専門家ではないためいくら話を聞いても無駄なのだが 
 もう一度書くが私の現実においての対応は「縁を切る」であり、ちゃんと実行できているため現実面での問題は基本的にないのだが、精神が追いついていない いつもそうだ 私は精神だけ異様に足が遅い

 現実においては手に入れ難いものほど、人間の憧れを吸って創作などの非現実において煌々と輝く まるで手を伸ばせば手に入るかのように錯覚するほどに煌々と輝く 私にとって「学生時代からの友達」というのはそういった存在だ こと義務教育下での「友達」というのはいなければ社会的弱者として扱われるがためにとりあえずで作った というケースが殆どで、卒業、何ならクラス替え程度で容易に関係が切れる コミュニティ内の誰かが弱った時、攻撃を受けた時は自分に害が及ばない限りは容易に見捨てて他人のふりができる 皆それを無意識に悟っていて、だからこそ創作物に素直に(フラットに)感動できるのだ 思い出してみれば私も行動はそれそのものだ そうであるにもかかわらずその不誠実さにいちいち傷ついて、私だけが煌々と輝く光を実体のないものだと気づくことができずに、存在しない「人並みの幸せ」に固執している 愚かしい 全ての夢から醒めたい そう思う事こそが何よりも私が「夢見るひと」である事の証明に過ぎないのに

 とにかく、私が神経を患った経験があるからと言って他人の弱りをどこまでも世話する義務などはどこにもないのだし、私だって私を人間扱いしてくれる方と付き合いたいしその資格があるのだ それを意識しつつ自然体で他人と接していきたい

 あなたは私に「何もわかっていない」と言いましたね ですがあなたにも私について知らない事はたくさんあります その上で関係性は成り立っているらしいです かなしいですね でも正しいと思います

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