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愚か39

 私には幼少のみぎりから指摘されている「他人の忠告を一切聞くことができない」という欠点がある かなり筋金入りで、精神状態が良くない時は耳も目も本当に情報の受け入れを拒む もはや意思の問題ではない 幼少期から劣等感が強く、他人から少しでもマイナスなことを言われると正気ではいられないのだ 物心ついた時から「普通」に憧れていた 悪い意味で「普通」でありえない自分を呪っていた
 それに薄ら自覚があるからか、内省を深めることを今まで主眼に据えて生活してきた 外部からの忠告をどう自分に飲みやすいように加工するか、何なら先回りして一足先にアップデートできるかを考えてきた 根底の臆病と劣等感を何とかしない限りは根本的な解決は望めようもないのだが、しかして解決しない内にも社会生活は営んでいかなければならない そのため今のようになっている まあこの姿勢は他人に害を及ぼす事も多いため、いいバランスを探っている最中ではあるが
 しかし、私の、下手すれば社会的怪物になるかもしれない程の人格的欠点がインターネットでは有利に働きがち のように思える 「忠告を聞けない」という事は「マイナスな意見を避けることができる」という事でもあるのだ これは忠告以上にノイズの多いインターネットでは有利に働く 実社会での問題人物がいつまでもインターネットでは生きていける原因でもあるとも思う このような構造のインターネットは割と歪んでいるとは思う が、完全にこういった歪みを正してしまって実社会の基準に照らし合わせてしまうとどうなのだろうか 私も含む「石の下の虫」たちを焼却した先(本当に骨も残らず焼却してくれるならまだしもここでの「焼却」とは口を塞ぐ事だけのことが多い)には何があるのだろうか 私にはわからない

 近頃、色々あって「私は残酷な社会の中で良心的であるせいで締め上げられている」と思わざるを得ない、思わないと生きていけない精神性について考えることが多かった 私は「良心的」「無害」であることが完璧にできる人間は存在せず誰もが少しは誰かに迷惑をかけているもので、その中で自分をそのように思う事は「自分が誰かに迷惑をかけているかもしれない」という客観に蓋をする事であり、なかなかにリスキーな心がけだと考えている その上で為される「無害」「良心的」というのは八方美人以上にはなり得ないのではないか その状態ではまともな人間は去っていき、八方美人である事につけこんだ、他人を振り回すのに躊躇のない人間しか集まってこないように思える
 しかし、それを理不尽にも思う 他人に意見するほどの勇気はない、かといって完全に自分の感情を押し殺せる程の膂力もない、それらを客観視したらきっと壊れてしまう…そういった人間が最後にたどり着く先が「私は残酷な社会の中で良心的であるせいで締め上げられている」という価値観なのだと思う 自分を救ってくれる価値観を持つというのは悪ではない 誰も自分に合った処方箋を持つ それが粉か糖衣かカプセルかシロップか くらいの違いだと思う

 では私の「薬」は何なのだろうか この年齢になってまだ探している

 21日のボーマスに出ます よろしくお願い致します


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