見出し画像

愚か28

 特に輝かなくてもいい 補語です
 人はなぜキラキラしたいのか インターネットを見ていると、「私だって本当はキラキラしたかった」という怨嗟がたびたび目に入ります どうも環境の如何は問わず、女性も男性も、貧しくとも豊かでも、何歳であっても何やら美形の異性を配偶者にすることや豪奢な体験をすること、さらに遡れば教室内で望ましい存在になる事にコンプレックスを抱えているようです
 卑屈な上にコンプレックスの塊ではあるものの、私にはそういう関係のコンプレックスはあまりわかりません 元々あまりよくわからないのだという事に最近気づきました 一応今も「学校で青春する(修学旅行のしおりの表紙を描いたツイートなどを見ると気が狂う)」「コミュニケーション能力」「うまく生きていく事」などにコンプレックスがあるのですが、その八割程は「これにコンプレックスを持つのが『普通の人間』なのか」と思い後付けで身につけたエミュレートに過ぎません 私の思春期にもそれなりに楽しい記憶はあります 発病した思春期後半や、個人的なトラウマに基づくコンプレックスはさておき…
 キラキラにあまり興味がないので描くものも私自身もキラキラしていません だからなのか昔からキラキラにコンプレックスを持っている人間に目の敵にされやすい傾向にあります 彼らからしたらキラキラしていないのに平然と生きている私は本来生きていてはいけない存在なのでしょう 異なる価値観で生きている人間を目にした時、「そういった考えでも生きていけるのか」ではなく「生きていてはいけないから殺そう」になってしまうのは古来よりの人の性ではありますが、個人的に私は彼らを許してはいません 仮に今会ってもにこやかに話しますから、心の底でくらい許さない権利を下さい
 では私には何のコンプレックスがあるのか それはもっぱら「普通に生きる事」でしょう そう、「キラキラする事」以前の問題なのです 他人を恐れずにいられる事、またはそうでなくてもそれに足る勇気を持っている事、途中で体力を尽かしてしまわずにしっかりと身繕いをする事、自分を鼓舞することを惨めに思わずにいられる事、たとえ善と思えずとも光に向かっていける事…私はそれらを「普通」だと思っていて、そういった「普通」でありたいと思っていて、なれない、どころか興味すら湧かないから自分を憎んでいます 私も他人と健康な関係を築きたかった 健康な精神でいたかった こんなにも世界を恐れたくなかった 何から間違えたのでしょう おそらく生まれた時からでしょうけれど…

 最近、モラトリアム期の友人との縁の清算が全てつきました もう私には「普通の人間」になどなれない事をいい加減理解して、「普通でない人間」なりの生活にシフトしていきたいものです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?