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海ほたるで突如消えた車

うみほたるを上から眺めると変な気持ちになる。東京湾にまっすぐ伸びる水上の道路。その終着点で車たちは突如姿を消す。ああ、これは地下に潜ったから、見えなくなっただけだ。でも、こんな広い海の真ん中で?知識として頭の中にある事実に、実感が湧かない。海ほたるから東京湾を眺めたときもそうだった。なぜ車で、海のど真ん中にこれたのかがよくわからなかった。

そういうものが身の回りに溢れている。スマホの画面を触ると画面が切り替わるのは指の静電気を感知して操作が実行されるから。GPSで位置が特定できるのは衛星が飛んでいるから。わかっていても実感はない。醤油は豆から作られていることも、水道水が雨から作られていることも、知っているだけ。そんなことを思い浮かべてはキーボードに言葉を打ち込んでいるが、キーボードをタッチすると即座に文字が並ぶのも不思議。10本の指は私が言葉を思い浮かべるよりも早く動く。自分とは別の生き物が指先に棲みついているみたいだ。

なんだかふわふわしている。すべてが。お台場から海ほたるまで泳いで行ったとしたら、その場所の位置がちゃんとわかるような気がする。仮にスマホをタッチするたびに静電気のバチっという音が鳴れば、ものを動かしていると思えるのだろう。自分の心臓を直接触ることができたら、生きたいとも死にたいとも思っていないのになぜか動き続けている、その理由を知れるかもしれない。

こんなことを考えていると、自分の無力さを残念に思ってしまう。自分のことは全部自分でやろうと心がけてきた。誰かにお金を借りたことはないし、精神的な依存も極力避けている。自分の意思に従って生きていけるようにしたかったからだ。なのに私は海ほたるへ泳いで行けない。移動のためのガソリンを自掘り当てることも加工することもできない。完全に生かされている。これだけいろんな経験をしてきたというのに、ちっとも前に進んでいる感じがしないではないか。

サウナに行くと、体の中で血が巡っている感覚を味わえる。その感覚が本当に血管の刺激によるものなのかを知らないけれど、少なくともそれらしい体験ができるのだ。頻繁に利用するわけではないが、サウナはいい時間だと思う。サウナが何度もブームを起こすのは、この世の中に実感の湧かないものが溢れているせいで、混乱している人がたくさんいるためだと私は思う。1食分の栄養がバランスよく配合されたパンを食べれば、体はちゃんと動き続ける。でもそのパンに必要なものが全部入っているとは到底思えないから、混乱している。添加物が悪いとかサプリメントが悪いとか言いたいのではなく、実感が湧かないと混乱するのだ。

知識と実感の間には大きな溝がある。職業柄いろんな人の知識を話してもらう機会に恵まれてきた。聞いたことを整理して文章なり画像なりに表現する仕事をしてきた。だからとにかくいろんなことを知っている。でも大抵の知識は、活用されることなく頭の中で冷凍されているのだ。私が「あらゆることに実感が持てない」と悩む原因の一つは、職業ゆえなのかもしれない。

取材をさせてもらった人の家に、後日プライベートで訪れ何泊かさせてもらう機会があった。それは田舎の古民家。都心暮らしの私には想像もできないような豊かな自然がある場所に、招いてもらった。家の中には蜂が飛び回り蟻が歩き、巨大なムカデが落ちてきた。私は都心暮らしの割に、虫に対する抵抗がない。特に気にせず過ごせるのだが、寝床にもいろんな虫が潜んでいたようで、寝るたびに身体中に赤いポツポツが増えていくのだけは困り果てた。とにかく痒い。痒いこと以上のストレスってなんだろうか。夜に酒を飲むと特に痒い。傷跡になるから掻いてはダメだという葛藤がさらにストレスを大きくした。冷凍庫にあった保冷剤を当て続け、東京の皮膚科でもらった薬を塗ったが、痒みはひとつも治らなかった。為す術なく落胆したのは束の間。なんとかしなくては頭がおかしくなりそうだった私は、過去に見聞きした知識を引っ張り出した。

翌日、季節外れのドクダミを探し、家にいあった「いいちこ」に何枚か漬けておいた。植物をアルコール漬けにするとチンキというものになる。そんな話を思い出して試すことにしたのだ。祖母が、昔はよもぎやドクダミを薬にしていたという話も思い出した。

数日後、私が適当な塩梅でこさえたドクダミチンキは、絶大な効果を発揮してくれた。虫に刺された直後に塗るとかゆみが治る。赤みは小さい点にとどまった。ドクダミという植物の薬効も、アルコールが植物の成分を抽出してくれることも知っていたが、知識でしかなかったのだ。自分の体で試したことで、実感に変化した。すると薬というもの全体への見方が変わってくる。薬とは何かの原材料から有効成分なりサポート成分なりを抜き出して凝縮したものだ。皮膚科でもらった薬が効かなかった理由は私に有効な成分が含まれていなかったためなのだろう。処方箋を信じ塗り続けていた私は弱すぎると思った。解毒作用のあるドクダミを塗って治るということは、虫は私の皮膚に毒を入れたということだが、それも自分で解毒してみて初めて実感した。虫に毒を盛られ、毒に効く薬を作り、塗って解毒されるところまでを、自分自身で体験できたことで、芋づる式にいろんなことに気づくこととなった。

私はとても嬉しかったのだ。誰でも知ってることなのに、自分の体を通して大発見したような喜びを得ていた。冒頭に連ねた「実感の湧かないもの」たちに囲まれて暮らしていた私の人生観を変えるには、十分な出来事だった。こういうことがあるから、私は生きていられるのだろうと思う。心臓はわけもなく動き続けているのではない。自分の心臓を直接触ることができなくても、いつくるかわからない喜びを期待してるとわかる。私の指がキーボードを叩き続けるのは、嬉しかったことをいつまでも覚えていたいから。パソコンに文字が現れるのはMacBookが優秀だからで、GPSがあるのはこういう喜びを私に与えるため。海ほたるで車が消える理由だけは、まだ実感を持てない。

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