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拙著『民衆 対 陸軍』の12~13章は次のような内容です。

11章までの経緯で「社会主義」が消え、「議会主義」「軍国主義」が残された。1929年に浜口雄幸内閣が発足し、「議会主義」は「黄金時代」を迎える。しかし、同内閣は金解禁でつまずき、ロンドン海軍軍縮条約の締結により保守派の不興を買う。浜口はテロリストに銃撃されて命を落とし、大陸では関東軍による満州事変が勃発する。
五・一五事件により犬養毅首相が射殺され、政党政治に終止符が打たれる。その一方、事変の真相を知らない国民は満州における陸軍の快進撃を熱狂的に称賛し、満州開発による景気浮揚にも期待を寄せる。
満州事変をきっかけとして「軍国主義」が「議会主義」を圧倒し、五・一五事件の犯人を裁く陸海軍の公判では、大半の国民が犯人たちの減刑を願った。今日の価値観からすると不可解な現象であるが、この背景には教育勅語を主柱とする戦前の社会構造があった。

章節立ては以下。


12章  政党内閣の多難と満州事変
「軍国主義」は地方に根を張っていた   / 浜口内閣の時代に汚職事件が相次いで発覚   / 浜口内閣の「金解禁」は失敗に終わった   / ロンドン海軍軍縮条約による補助艦の削減   / 統帥権干犯問題が浜口首相の命を縮めた   / 満州の特殊性と日露講和への不満   / 張作霖爆殺事件は満州制圧を目指した   / 関東軍内で満州事変の計画が練られた   / 万宝山事件と中村大尉事件による日中間の緊張   / 満州事変の勃発と統帥権干犯   / 豊臣秀吉の大明国制覇の夢に近づいた

13章 五・一五事件と議会主義の後退
血盟団事件が暗殺の時代を開いた   / 五・一五事件で犬養首相が死亡   / 「軍国主義」が「議会主義」を葬り去った   / 五・一五事件の減刑嘆願運動が広がった   / 動機への理解から軽い判決が下された   / 犬養は総選挙で国民の信任を得ていた   / 教育勅語が戦前の社会構造を決めた   / 教育勅語による国家規模の「家族」   / 政党も総理大臣も今日より小さな存在だった   / 国民は満州事変の戦果に狂喜した   / 戦争は絶対的な「悪」ではなかった   / 「赤子」の立場からの犯行


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