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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第1日目

前回のお話


1. 第1日目(2007年7月10日)

稚内ー音威子府ー(旭川)ー網走ー摩周

▲ 7月10日の行程


1.1 最長片道切符の旅、スタートです

▲ 稚内駅

 稚内の朝は早い。まだ4時前だというのに窓外はすっかりと明るくなっていた。身支度の後、おやど天翔を出たのは5時半過ぎで、ここから稚内駅までは歩いて15分ほどである。7月でも肌寒く、長袖を持ってきて正解であったと、早朝の稚内市街を歩きつつ思った。きょうは季節臨時の特急〈はなたび利尻号〉の運転日ではなかったから、稚内駅はまだ閑散としている。窓口が開くまではまだ多少の時間があったので、僕は線路の終端部へと向かった。

▲ 最北端の線路

 稚内駅をぐるっと回り込むようにフェリーターミナル方面へ向かうと、駐車場に隣接して、その場所はあった。「最北端の線路」と書かれた看板が立てられており、ここが紛れもなく、日本で最も北に敷かれた線路の終端部であった。かつては、ここよりもさらに線路が延びていたと聞くが、今はもうその面影はなかった。

▲ これが最長片道切符だ

 窓口の開く時間になり駅まで出向くと、昨日言っていた通りに、発券作業をしてくれた。当然のことながら、経由線区があまりにも多すぎるために機械での発券はできないから、いわゆる手書きの乗車券での発券だ。出札補充券という縦12.5センチ、横8.5センチ大の薄っぺらい紙に、「稚内→肥前山口」と手書きで記される。通用期間は57日。運賃を表す領収額欄には「90,820円」と記された。その他、事のついでに、青春18きっぷの常備券、オレンジカード、入場券などをまとめて購入したので、計11万円程度の買い物になった。支払いを終えると、JR北海道発足20周年記念らしく、ポストカードを頂戴した。昨日応対してくれた駅員さんに「頑張ってね」と励まされ、僕もいよいよ始まるのだと実感が湧くのだった。しっかりと入鋏印を押してもらい、かくして最長片道切符で行く迂路迂路西遊記本編は幕を開けるのだった。

1.2 始発駅稚内から

▲ 普通名寄行き

 最初の列車は、6時24分発の4326D普通名寄行きである。キハ54形で、北海道と四国にのみ在籍する車両である。かつてはこれが宗谷本線の急行列車として活躍していた車両である。乗客は、僕を含めて2名。関西弁で話す男性は、僕に「早朝、南稚内から歩いて来ましてな、朝一番の列車で一番短い区間で行きまんねや」という。「お兄ちゃんは、どこ行くんや」と聞くので、「これからちょっと九州まで」と簡単に答えると、「へ~、長旅やな」と驚いた。

▲ 利尻富士は裾だけを拝む

 南稚内でもう一人の乗客が降りて、代わりに学生が数人乗ってきた。南稚内を出ると、最初のハイライトが訪れる。稚内の街中を抜けて、丘陵地帯を上がって、視界が開けたところで右手に海が見える。この海の景色もすばらしいが、ここでの車窓は海よりも、その先にある利尻富士である。早朝は気温が下がって、もやが立ちこめることが多いから、中々利尻富士を拝むことはできない。果たしてきょうはどうか。視界がぱっと開けると、空は一面に雲が覆っていた。しかし、その下にはなだらかに海に向かって沈みゆく稜線がくっきりと見えた。きょうの利尻富士は裾だけが見えたのである。何も見えないよりはマシだと思って納得する。

▲ 天塩川

 幌延付近からは、雲間から日差しが出てきて、さらに牧草地帯を行くので風景も一変した。天塩川が接近して、その雄大な流れを車窓に映すと、ここからは比較的なだらかな宗谷本線の中でも山岳路線へと変貌していく。その間、トンネルを通過するが、宗谷本線でトンネルというと、ここくらいのものである。列車は、音威子府へ向かっていた。

1.3 音威子府にて

▲ 音威子府駅
▲ 音威子府そばは準備中

 音威子府駅はかつて天北線との分岐駅であって、そのせいか構内は広い。林業が主産業らしく、ホームには木彫りの機関車がモニュメントとしておかれている。何とも長閑な村を感じさせる。僕が、わざわざ音威子府で途中下車したのは、特急に乗り換えることが一義的にあったわけではなく、駅舎内で販売される名物の蕎麦を朝食として食べていこうかという考えがあったからである。普通列車を降りるなり、改札口で最初の途中下車印を押してもらった。ふと、改札の向かいにある蕎麦屋を覗くと、まだシャッターが降りたままで、しかし中ではガサゴソと物音がする。どうやら準備中の様子で、シャッターを叩いて無理に開店させるのは憚られるので、久しぶりに食べたかったところだが、ここは諦めてまたの機会を探ることにした。

 特急スーパー宗谷2号の到着までは25分ほどある。旭川までの特急券を購入する。当然、それでも時間が余るから、駅舎内に併設されている天北線資料館を見学する。実は、音威子府には過去に何度か訪問しており、天北線資料館も何度か脚を運んでいるから、正直新鮮な感じもないが、なるほどという感は受けた。

 それでも到着時間までまだ15分ほどあるが、閑散としていた音威子府の駅にも徐々に人が集まってきた。さっきまでの閑散ぶりが嘘のようだ。跨線橋を渡ってホームへ行くが、エレベーターもエスカレーターもないからお年寄りの多いこの地域では些か便利が悪いようだ。みんなそれを想定してかどうかはわからないが、ギリギリに来るよりも、余裕を持って集まるというわけだ。

1.4 特急スーパー宗谷2号

▲ 特急スーパー宗谷2号

 9時06分、特急スーパー宗谷2号は音威子府を後にした。普通車は指定・自由席とも満席に近い乗車率であった。僕は、最後部1号車のグリーン車に乗車した。些か贅沢かと思ったが、この長い旅の始めくらいは構わないだろうと考えたのである。革張りのシートは身体を包み込まれるようで、快適である。名寄を過ぎてしばらくすると、車内販売が回ってきたので、先ほど食いっぱぐれた朝食を調達することにした。名寄といえば、僕の中ではきのこ弁当だったのだが、車販のお姉さんが言うにはニシンカズノコ弁当しかないというので、それを所望した。

▲ ニシンカズノコ弁当

 塩狩峠を南に下っていくと、青空が広がった。広大な平地を窓外に映しながら、列車は高速で駆け抜ける。ところで、最長片道切符の経路では、新旭川から石北本線に入る。ところが、この特急スーパー宗谷2号は新旭川には停車しないから、新旭川と旭川の間を飛び出して乗車することになる。よって、経路に含まれていない区間に飛び出して乗車するのだから、別途運賃を払わねばならないように思う。しかし、それでは閑散線区においては接続の面で不便が生じ、実用的ではない。そこで、JRの規則ではこのような場合、改札を出ないという条件付きで飛び出し区間の乗車を認めている。それは、旅客営業取扱基準規程というルールの第151条にあって、新旭川のような分岐駅を通過する列車に乗車した場合、飛び出して乗車しても運賃は不要という旨、明記されている。今回は、特急スーパー宗谷2号が新旭川を通過するので、この規程が適用されるというわけである。このような分岐駅通過に伴う区間外乗車については全国各地に区間を指定して決められており、今後、この旅の中でも改めて触れることだろう。

 10時44分、旭川に到着した。

 旭川は、北海道第2の都市であり、東西南北へ鉄道が伸びているから、人の流れは旭川に集中する。そのような背景があるので、駅自体も規模が大きく、古くから交通の要衝として栄えてきた。その旭川も、札幌と同様、いよいよ駅の改築を開始した。現在の地上ホームの南側に高架を造り、そこに駅を作る様子である。長年親しまれてきた旭川駅がなくなることで寂しいと感じる人もいるだろうが、僕は新しい駅を楽しみにしている。旭川にあまり愛着を持っていないが故の意見だ。

▲ 特急ライラック

 旭川では、35分ほどの乗り継ぎ時間がある。しかし、改札を出ることになると、新旭川・旭川間の分岐往復といって、飛び出し区間の往復運賃を支払わねばならない。最長片道切符の旅をしているくらいの者が高々その程度の往復運賃くらい払えないわけでもあるまいが、さして外に出る用事もないし、この秋に姿を消すことになる特急ライラック号の撮影などもしたかったから、改札内にいることとした。

 ところで、前述の通り、旭川駅を鉄道の要衝という言い方をしたが、それは昔の話なのかもしれない。列車本数が多いのは専ら西行きの、すなわち函館本線であって、札幌との都市間輸送が目立つ。本数が多いということは、単純に考えればそれだけ利用者がいるということの表れであり(常に満席というわけではないが)、賑わいを見せていると言ってもいいだろう。一方で、他の3線区となると事情が少し異なるようだ。例えば、僕が先ほど乗ってきた宗谷本線。本数はめっぽう少ない。概ね1時間に1本の割合で運行はされているものの、永山や比布までの短距離輸送列車が三分の一程度を占めており、特急列車となると朝昼夜に各1本ずつがあるのみである。宗谷本線は、実はそれでもマシな方かもしれない。というのは、この後僕が乗車する石北本線(正確には新旭川から分岐)は、さらに列車の本数が少ないからだ。特急の本数こそ、宗谷本線よりも1本多いが、普通列車に至っては、激減する。例えば、普通列車で旭川から上川まで行こうとすると、午前中は6時53分発か9時12分発に乗らねばならない。9時12分発を逃すと、その次は12時42分発までないから(間に11時19分発の特急はあるが)、その閑散ぶりを感じることができるだろう。それでも比較的乗車率が高いのは、本数が少ないために、乗客が集中するためである。なお、南行きの富良野線は、観光路線としての性格も有するので、比較的本数があって乗車率も高い印象である。

1.5 オホーツク

▲ 特急オホーツク3号

 特急ライラック号などを撮影して一息をついた。稚内では肌寒く長袖を着てきたが、旭川では快晴で多少の汗ばむ陽気となっている。同じ北海道なのにこうも違うのは、その広さによるのだろう。11時19分、ホームのアナウンスが、特急オホーツク3号の遅れを告げた。2分ほど遅れているという。しばらくして、ヘッドライトを輝かせてキハ183系の特急オホーツク3号が旭川駅に入線した。指定席は2号車の座席のうちの一部で、同じ車内に指定席と自由席が混在する形となっている。車内に入ると、車両後部の数列分が座席のヘッドカバーの色が異なり、そこが指定席なのだと認識させている。そして、指定席は窓側は勿論、通路側も着席しており、僕の座席が一つ空いているだけであった。しかし、自由席を見ると、窓側、通路側とも空席の部分があちこちに散見されて、これならば自由席で良かったと感じるくらいである。僕は、車掌に断って、自由席に移ることにした。

▲ 青空が気持ちいい

 石北本線に入り、最長片道切符のルートへ戻る。窓外は旭川の街並みが見えていたが、次第に田園地帯へとその姿を変えた。青空と緑色に染まった水田の広がる風景に感動して遠くを望む。何て気持ちの良い青空だろうか。いつもこのような青空と共に旅をしたいものだが、そうは中々期待通りにはいかないものである。

 上川を過ぎると、空はどんよりと曇ってきた。早速、期待を裏切られた感じであるが、これもまた旅。思い通りにすべてが運ぶ旅など、旅にあらずと言わねばなるまい。そして、田園風景も次第に山深くなり、峠へ差し掛かるのがわかった。

 特急オホーツク号は、札幌と網走を結ぶ特急列車で、歴史は古い。現在、北海道の列車運行網は、札幌を中心に函館、釧路、稚内、網走の各方面へ延びる形態となっている。そのうち、函館、釧路、稚内の各方面は、高速運転に対応できるように線路の改良と新車両の投入により、所要時間が短縮された。しかし、残りの網走方面、すなわち石北本線に関しては未だ高速化がなされておらず、車両も旧態依然の国鉄型車両での運行となっている。先ほど乗ったスーパー宗谷が比較的高速で快適であったのに対して、オホーツク号は些かのんびりとした走りを見せる。

▲ 瞰望岩

 曇り空のまま、列車は遠軽に到着。遠軽といえば、線路の北側に位置する瞰望岩が特徴的で、実のところ、その岩の存在を知ったのは、この旅に出る直前のことであった。そんな岩あったろうかというくらいに印象が薄かったのだが、実際に車窓に見て、なるほど特徴的な岩だと思ったのである。遅れは3分に拡大していた。

 遠軽を出ると、進行方向を変えて網走へと向かう。座席の向きを変えるが、周りでは次々に変えられているのに、戸惑っている人が多い。そこで、僕はそっと座席下のペダルを踏んでサポートする。困っているときはお互い様である。

▲ 岡村弁当店の「遠軽のかにめし」

 遠軽といえば、もうひとつ。遠軽の味ともいうべき、駅弁「かにめし」の存在を忘れてはならないだろう。当初は、かにめしを食べるつもりではなかった。それは、宗谷本線で名寄の駅弁を食べたところだし、上川駅到着までに車販員に予約をしていなかったからだ。それでも、余っているようだったら買ってみようと車販のお姉さんが回ってきたときに聞いてみると、「ございますよ」というので、つい買ってしまうことになった。買うだけでは勿体ないから早速頂く。腹は大して減ってはいないはずなのに、箸が進む。

 常紋トンネルを抜けると、いよいよ北見地方に来たのだと感じる。生田原を過ぎて北見に到着。北見を出ると、女満別である。「女が満足して別れる」という意味深長な名前だが、「メマン・ペッ(=泉のある川)」に由来している。

 網走湖が見え出すと、まもなく終点に到着する旨の車内放送が鳴った。旭川を出たときには比較的多かった乗客も、終点の網走まで乗車したのは僅かであった。

1.6 釧網本線

▲ 網走駅

 待合室には、いくつものベンチが並べられているが、ほとんどすべてのベンチが埋まってしまっている。これでは座ることもできないし、困ったものだと思ったが、ふと前を見ると、駅弁屋があるではないか。さっき食べておいて、また駅弁でもないのだが、生うにが乗せられた海鮮丼の駅弁があると書いてある。しかも、期間限定というから益々それに食指が動く。そこで、僕は店の主人と思しき中年男性に「磯宴の生うにってありますか?」と聞くと、「今から作りますからできますよ」と応えた。そう言われては買わないわけにはいきますまい。「磯宴(生うに)」をひとつ注文した。どうも、稚内温泉童夢で食べたうに丼が美味く、少々ウニにはまっている感じだ。5分ほどして、ビニール袋に入れて、「ありがとうございます」と手渡された。代金の1,360円を渡すと、「傾けないようにしてください」と木訥とした感じで主人は言う。それを肝に銘じて、そっと鞄の中へ入れた。鞄の中なら昨夜きれいに整理したし、パソコンが台の代わりになって、フラットになっているから傾くことはないだろうという算段である。が・・・。

▲ 普通釧路行き

 16時00分になって、釧路行きの改札が始まった。キハ54形とキハ40形の2両編成で、後部のキハ40形は知床斜里まで連結される。みんな知ってか、進行方向に対して左側に座る。右側の方はまだまだ空席があるのに、左側の窓側はすべて埋まっている。釧路行きの場合、進行方向左手にオホーツク海が見えるからで、どうせ座るなら車窓の良い方でということだろうが、観光客ならそれもわかるが、何度も利用している風な地元のお婆さんでさえ、敢えて左側に座るのだから不思議なものだ。

 16時15分、列車は釧路へ向けて発車した。網走の市街を抜けて、しばらくすると、お待ちかねとばかりにオホーツク海が左車窓に映る。しかしながら、雨が落ちてきた。窓に雨が当たって、それが左斜め下に叩き付けられて流れる。今朝以来の海を楽しみにしていたが、冬のような鉛色した海で少々期待はずれであった。しかし、それも旅なのだと割り切る。

▲ DMVのジャンクション

 列車は浜小清水に到着した。釧網本線は単線なので、網走行きの普通列車と行き違い待ちをするのだという。僕は、2両目の最後部にカメラを持って移動した。浜小清水駅の網走方にはちょっとした珍しいものがあるのだ。それは、道路から線路へ接続する、すなわちDMVのためのジャンクションが存在するのだ。DMVとは道路も線路も相互に乗り入れが可能な車両である。JR北海道が、赤字ローカル線の経費削減と地域交通の利便性を図るために開発したシステムである。車両は、マイクロバスをベースにしており、線路との接続部で格納していた車輪を出して鉄道になる。これが本格的に実用化されると、例えば、バスとして高校や病院を経由し、鉄道としてレールの上を走ることで高速運転が可能になる。今回の旅でも乗りたかったところだが、日程の都合が合わずに断念した。

▲ 知床斜里駅 

 17時05分、列車は知床斜里駅に到着した。釧網本線では網走に次ぐ大きな駅でもちろん直営駅である。下車する客も多い。この駅まで2両編成だというのもなるほどという感じである。この駅では25分間停車する。僕は、他の下車客が改札を通るのを待って、途中下車をした。若い駅員さんがまじまじと僕の持つ切符を眺める。胸の名札には「研修中」との文字が見える。すかさず先輩のこれまた若くお顔の整った駅員さんが「下車印・・・網走の横に押して」と促す。さらにその先輩駅員は僕に「いくらしたんですか?」と聞く。券面に書いてあるが、「9万円くらいです」と応えた。「すごいですね。頑張ってくださいね」と励まされる。気分は悪くない。そこで窓口に目をやると、いろいろな記念乗車券の類が売られているので、記念にと購入した。絵柄の入った白い封筒を渡され、「良かったらここに記念スタンプを押していってくださいね」と勧めてくれる。何とも若いのに親切である。丁重にお礼を言って、僕は列車に戻った。ちょっとした親切だが、印象に残る嬉しいエピソードになった。

 列車は知床斜里駅を発車した。曇っているからか徐々に薄暗くなり始める。釧網本線を南北に分かつ峠を越えると、弟子屈町に入る。川湯温泉駅を出ると、まもなく列車は摩周駅に到着した。摩周駅でも改札口には研修中の名札を付けた若い駅員が立っていて、丁寧に応対してくれる。駅の中を見回すと、売店は既に閉まっており、僅かながら駅弁「摩周の豚丼」を期待していたのだが、これで諦めがついた。しかし、外に出てみると、左手に「摩周の豚丼」の幟と食堂が見える。これは聞いてみる価値があると、その食堂に入った。

▲ ぽっぽ亭

 1組の客がテーブル席で食事をしている。僕はカウンター席の横に荷物を置いて、レジの前に行った。赤いエプロンをした若くお顔の整ったお兄ちゃんが出てきた。彼に「摩周の豚丼」を注文した。しばらく待っている間に店内に貼られた色紙や写真を見ていると、吉本の芸人が写っているものがあった。先ほどの店員が「お待たせしました」と爽やかに言う。何とも爽やかな豚丼なのだろう(袋に入って中は見えないのだが)と思う。お顔の整った人は見た目で、脂の乗った豚丼さえも爽やかにさせるのだから得をしていると思うし、羨ましい。代金を支払って、今夜の宿まで歩いて移動する。

 整備された歩道を行く間に徐々に暗くなってきた。川に架かる橋には蛙の石像が建てられている。何のキャラクターだろうか。駅から歩いて15分で、今夜の宿、ホテル摩周に到着した。部屋に入って、まずは夕食にと爽やかな「摩周の豚丼」を開いてみる。調理してから30分くらい経ってしまっていたので、すっかり冷めてしまっていたが、さっぱりしてとても美味しかった。

▲ 摩周の豚丼

 荷物の整理をしようと鞄を開ける。すると、夕方に網走で買った駅弁「磯宴」に気づく。すっかり忘れていた。明日の朝食にしようと、部屋の冷蔵庫に入れておくが、それも忘れるといけないので、冷蔵庫の扉に「磯宴」と記した紙を貼っておく。

今朝は、稚内から最長片道切符の旅をスタートした。比較的長距離移動であったがまだ疲れは感じない。今夜は温泉にゆっくり浸かってきょうの旅のおさらいをしようと向かう。酸性の強い川湯温泉とは逆に弱塩化物泉の美人湯であった。身体の芯から温まって、部屋に戻る。布団に入り、温泉で多少はお顔も整ったかと下らないことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。


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