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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 番外編の1

前回のお話は以下URLから。

番外編の1(2007年7月19日)

会津若松ー湯野上温泉ー塔のへつりー会津田島ー下今市ー東武日光ー新宿ー東京ー小田原ー静岡ー名古屋ー新大阪

▲ 7月19日の行程

EX1.1 一旦、帰宅する

 きょうは、明日に所用があるので一旦帰ることにする。この旅、初めての中断となる。この旅の行程を練るにあたっては、どこで中断するのが良いのだろうかと最後まで思案をした。このあともまだまだJR線を乗らねばならないわけだから、他の交通機関の利用を検討したのは当然といえば当然であった。

▲ 会津バス

 僕は、朝9時前に会津若松駅前のホテルを出発して、会津若松市内を見て回るのを兼ねて、バスで西若松駅へ向かった。昔ながらの建物も多いが、意図してレトロ感を出したデザインの歩道などは観光地をアピールしているようにも感じる。

▲ 西若松駅

 バスは、西若松駅へ到着した。近年造りかえられた風の橋上駅舎で和風建築の趣を感じる。西若松はJR只見線と会津鉄道の接続駅で、その駅前は広い反面、閑散としている。

 窓口で塔のへつりまでのきっぷを買い、ホームへ行った。ほどなくして、乗客がちらほら集まってきた。駅や駅前では姿を見かけなかったのに、どこにいたのだろうか。

EX1.2 会津鉄道

▲ 普通会津田島行き

 西若松からは、9時36分発の会津鉄道の普通会津田島行きに乗車した。軽快型の気動車で、まだ新しい。転換式クロスシートが並ぶ車内は、乗客は数名ほどだった。

 程なくして、車掌さんがきっぷを確認しに車内を回ってきた。ローカル線といえば、合理化の一環として、運転士が一部車掌の業務を兼務する形態が見受けられる。一方、会津鉄道ではAIZUマウントエクスプレスなる特急仕様の列車やトロッコ列車ならともかく、一般の列車にも車掌さんが乗務するのだから珍しい。僕は、西若松で購入した塔のへつりまでのきっぷを差し出して、東武日光までのきっぷに変更してもらった。聞けば、手書きや地図式の補充券があるという。それならばとせっかくの機会だからと地図式の補充券で区間変更してもらうことにした。塔のへつりにも途中下車できるので、僕には都合が良かった。

▲ 湯野上温泉駅

 湯野上温泉駅に到着した。この列車はここで10分ほど停車するので、駅の外へ出てみることにした。さきほど変更したきっぷでは、湯野上温泉駅でも途中下車ができるのである。女性の駅員さんが集札および出札業務を行っている。集札業務が終わるまで外に出て、駅舎などを撮影する。藁葺きの屋根を持つ駅舎はあたかも沿線にある日本家屋がそのまま駅になったようで、まさに田舎の駅の雰囲気が出ている。コンクリートの駅もそれはそれで味のある駅舎となろうが、日本全国数多ある駅の中では異彩を放つ。

▲ 駅舎内の囲炉裏

 すぐに駅舎内に戻って、今度はトロッコ整理券や出札補充券などをお願いして発券してもらう。その間、駅待合室にある囲炉裏などを見る。囲炉裏には実際に火が入れられており、さらにその雰囲気を醸し出す演出だ。

 発券作業を終えて、きっぷを受け取ると私は再び乗ってきた列車に乗車した。途中下車する塔のへつりは次の駅である。

▲ 塔のへつり駅はカーブしている

 塔のへつり駅は、森の中にある小駅で、カーブの途中にあるためにホームも弧を描いている。きっぷの変更に応じてくれた車掌さんと手を振り合って、僕は列車を見送った。

▲ 塔のへつり駅のこけし

 ホームから下りる階段のところには大きなこけしが置かれている。見れば、塗装したところに木目が浮き出る、いわゆる木やせがあるから、このこけしは木で作られたことがわかる。この手のものはコンクリートを固めて作っていることが多いが、これほど大きなものを木から作っているのは珍しい。

 塔のへつり駅は、ホームの他に小さな駅舎が一つある。駅舎といっても待合室と便所だけのものだが、このようなものがあれば雨でも凌げるのでありがたい。

EX1.3 塔のへつり

▲ 塔のへつり

 さて、塔のへつり駅から道路へ出るには、森の中を通っていかねばならない。まるで隠れ里にでも誘われるかのような門を潜ると、道路へと出る。この駅は、とても不思議な感じのする駅である。道路へ出ると、右方向へ出て道なりに進んでいく。坂道を下ると、開けた場所に出て両脇にはお土産屋さんが軒を連ねる。その奥に、縦に長く伸びた岩肌が見えた。いつの間にか、日が射していた。

 さらに奥に進むと、下り階段があって、それを下りるとお土産屋がある。さらに折り返して階段を下へ進むと、踊り場のようなところに屋台が出ていて、そこで饅頭を売っている。試しに覗いてみると、美味そうだったので祖母への土産にと買うことにした。すると、店のお姉さんが「荷物を置いていっていいよ、大荷物じゃ大変だよ」と言ってくれるので、その好意に甘えて置かせてもらうことにした。身軽になれるのはありがたい。

▲ 橋の下を潜って岩の中をいく

 さらに階段を下りると塔のへつりの全景を見ることができる。下まで行くと、吊り橋があって、観光客らが写真を撮っている。僕は、その橋を渡って岩肌に沿って奥へと入っていった。橋の下を潜って、人一人がやっと通れるくらいの通路を通っていくと、今度は岩を昇る石階段に出る。そこを昇っていくと、塔のへつりから見下ろす高台に出るが、そこには手すりもなく、足場も狭い。まさに断崖絶壁であった。僕は高所恐怖症というわけではないが、こういうところは少々気が引ける。

 塔のへつりとは、大川(阿賀川)に見られる渓谷で、風化・浸食作用によって形成された奇岩群の数々がまるで塔のように立ち並ぶように見えることから、その名が付いた。長い時間をかけて作り出す自然の造形美には息を呑まされる。

▲ 山菜のお味噌汁

 階段途中の土産屋まで戻った。そこでは、味噌汁を無料でサービスするという。階段を上り下りしてすっかり体温も上がって汗もかいているが、せっかくの機会なので頂戴することにした。また、100円でうどんを追加してもらえるという。今朝からまだ何も食べていなかったので、遅めの朝食になるが丁度良いと思い、頂戴することにした。あわせて、山菜の天ぷらを揚げてくれるというので、あとで車内で食べようとそれも購入することにした。

▲ 瑞々しいきゅうり

 踊り場の屋台に預けていた荷物を受け取りに行くと、流水で冷やされた胡瓜が目に入った。暑い日に熱い味噌汁で身体も火照っていたから、こういう生野菜があると手を出さずにはいられない。早速購入して、頬張る。冷たくて美味しい。胡瓜を咥えながら荷物を取りに行き、丁重にお礼を言って、塔のへつりを後にした。

EX1.4 海外からの旅人

 塔のへつり駅に戻って、会津田島行きの列車を待っていると、片言で「コンニチハ」と話しかけてきた男性4人組と出会った。僕よりも幾分か年上でどうやらアジア系外国人のようで、日本人ではないらしい。「You speak English ?」と聞いてきたので、私は「A
little」とそれらしく応えた。話を聞くと、どうやら韓国から観光に来た学校の先生だそうである。国際交流の少ない(いや、ほとんどない)僕にとっては随分と負担に感じる交流だが、これもまた旅の想い出になろうと積極的にコミュニケーションをとることにした。「アンニョンハシムニカ」などとハングルの語彙力が乏しい僕の精一杯の挨拶をすると、彼らは大喜びで「ハングルがわかるやつがいるぞ!」と言わんばかりに、僕を囲み握手を求めてくる。僕はろくにハングルを理解していないので、どうもまずいことになったなと、彼らに無用の誤解を与えてしまったことにますます不安が募る。

 これから僕が日光へ行くことを告げると、彼らも同じところへ行くとあって、一緒に行くことになった。途中で見ず知らずの人と同行することになるのはよくあるが、外国人と同行するというのは、1999年に五能線でご一緒した旧東ドイツ出身の女性講師がいたが、彼女は日本に住んで長く日本語も堪能であったため、こちらも助かった。それ以来、2度目となるが、日本語に不自由する外国人を連れて行くなど、全くの初体験であった。

▲ 普通会津田島行き

 11時59分発の列車に乗り込んだが、彼らのことが気になり、車窓どころではなかった。12時23分、会津田島駅に到着。北側の踏切を渡って東武鉄道の車両へ乗り込んだ。

▲ 区間快速浅草行き

 車内は客の姿がまばらで空席が目だった。僕は彼らと片言の英語で会話をした。一応、通じるようで安心した。こういうとき、言葉が通じることの重要性については痛感する。英語でなくともハングルが多少できればもっとコミュニケーションがはかれたろうにと思う。

 外は曇ってきていた。鬼怒川温泉まで来ると雨も落ちてきた。せっかく塔のへつりでは久々に晴れ間を見たのに残念である。考えてみれば、福島県から栃木県へと入ったのである。つまり、東北から関東へと南下してきたことを意味していた。

 いつの間にかすっかりと不安は消え去り彼らと会話することの楽しさを感じていた。このとき、僅かながら異文化に対する憧憬が芽生えようとしていたのを実感していた。

▲ 特急連絡東武日光行き

 下今市から東武日光行きの列車に乗った。「特急連絡」という幕が出ているが、これは浅草方面から来た鬼怒川温泉方面の特急列車から日光方面へ乗り継ぐために設定されているからである。とはいうものの、その実普通列車には違いないから、特急利用客のみならず、他の客も利用できるのである。

 かくして、僕達もこの列車に乗り継いだ。8分して、終点の東武日光駅に到着した。改札口を出て、最後に彼らと記念撮影をしてお互いの旅の無事を祈った。

EX1.5 東京へ

▲ 東武日光駅

 東武日光駅で、有名な鱒寿司を買おうとしたが、既に売り切れとあって、やむなく他の弁当を買った。けっこうづくめという、JR東日本と東武鉄道の直通運転一周年記念の駅弁であった。

 特急券の発売窓口にて下今市から乗車する特急列車のきっぷを購入する。ここから再び一人旅である。きっぷを買い終えると、外へ出てみた。雨が降っていた。駅舎を見ると三角屋根の立派な駅舎で、JRの日光駅もレトロ感が出て素晴らしいが、こちらは対してモダンな感じがする素晴らしい駅舎だと思った。JRの日光駅は閑散としていたイメージだが、こちらは随分と立派で、かつ賑やかである。

▲ 区間快速浅草行き

 東武日光駅からは、区間快速浅草行きで一足早く下今市へ行く。写真を撮ると、ライトの下に「61103」という車両番号が見えた。これは、野岩鉄道に所属する車両である。野岩鉄道は東武鉄道と相互乗り入れしており、使用している車両も同じなので見分けがつきにくい。

 15時01分に列車は出発した。この列車は浅草まで行くという。特急でもかなりの距離となるが、急行でもないしどのくらい掛かるのだろう。

 下今市駅まではやはり8分である。雨が降るのは情緒的でもあるが、如何せん移動に不便である。早いところ止んでもらいたいところだが、そう上手くはいくまい。僕は、下今市に下りると、ベンチに腰を掛けて、しばらく休むことにした。

EX1.6 スペーシアきぬがわ

 下今市で腰を掛けている内に、雨は止んだ。車掌さんが乗務を終えて、別の列車を待っているので、「補充券を切ってもらえないか」と話しかけてみた。恰幅の良い中年の車掌さんは、快く「良いよ」と応諾してくれた。そうしているうちに、4番線に新宿行きの特急スペーシアきぬがわ6号が入線した。

 実のところ、僕が東武鉄道を利用するのは今日が初めてである。東武のみならず、会津鉄道や野岩鉄道もまた然りであった。僕は、日本国内にある鉄道の中でも、とかくJRを利用する傾向が強く、特に首都圏は通過することがしばしばだったため、関東民鉄各線に乗車したことは少なかった。大手でも西武に至ってはまだ1区間も乗ったことがない。

 僕の旅の師匠でもあるR大先生には「同じようなところばかり行ってないで、いろんなところに乗れ」と苦言を呈されることもしばしばだが、僕はどうにも「乗りたい」という気にならないと中々気が進まない性分のようである。

▲ 特急スペーシア6号新宿行き

 さて、僕の乗った特急スペーシアきぬがわ6号は15時28分に下今市を出発した。乗車率はさほどでもないようだ。JRでは特別車両向けの座席が、スペーシアでは普通車の座席として使われている。僕は、そのことにまず驚いた。

▲スペーシアの車内

 東京(浅草)と日光とを結ぶ鉄道は、東武のみならず、JRもまた競合している。その競争の中で車両のグレードを上げることによって集客を狙うということなのだろう。その競合していた両社が今や相互乗り入れして競争色が薄れたようにも思う。しかし、相互乗り入れは競争原理が内包されたシステムだと思う。相互乗り入れは、相手方の領地に自社の商品(車両)を持ち込んでアピールするチャンスだからだ。東武は普段から東武を利用する人を中心に、JRは普段からJRを利用する人を中心に商品を提供しているが、相互乗り入れをすることによって相手方の利用者に自社の車両を知らしめることができるわけである。そうなれば、両社の間で明らかにグレードの差があっては、下位のグレードしか提供できない会社は比較対象とされて、結果イメージの失墜にも繋がりかねない。そういう意味においては、やはり競争をせねばならないわけである。

 僕の周りの席には観光帰りのグループらがいるが、僕のような一人ものはいない。そういう意味においては些か浮いているが、居心地は悪くない。僕は、東武日光駅で購入した駅弁を開いて遅い目の昼食とした。

 列車は東武鉄道日光線を栗橋駅まで行く。栗橋駅はJR東北本線栗橋駅に隣接しており、列車はこの構内で東武の線路からJRの線路へと移る。そのため、乗務員の交代もこのときに行われるから、列車は停車駅でもないのに一時停車する。こういうのを運転停車といって客扱いはしないので時刻表上では通過扱いとなる。

 スペーシアきぬがわ6号は東北本線を行く。大宮の都会的な風景が現れると、僕の日常へ戻された感がある。そして、人の数が多い。やや日が西へ傾き掛けるのも見えた。列車は、喧噪の東京都内へと向かっていった。

 スペーシアきぬがわ6号を終点の新宿で降りた。この時期のことだからまだ日は高いが、しかし夕方の忙しさというものは既に始まっているようで、人の往来が激しい。

EX1.7 JR全線完乗

 中央線の快速電車で東京駅まで移動する。東京駅のみどりの窓口できっぷを購入し、その脚で9番・10番ホームへ行くと、丁度九州への寝台特急富士・はやぶさ号が出発を待っていた。空席は目立つものの、乗客の姿がそれなりに見られる。

▲ 湘南ライナー乗車位置

 東京からは、湘南ライナー1号に乗り込んだ。中央線の特急、あずさやかいじに使用されるE257系である。18時34分、夕闇迫る東京駅を出発した。座席定員制で確実に着席はできるが、東京駅からの乗車は多く、すでに9割以上の席が埋まっている。

 さて、今回は敢えてこの列車に乗車した。というのも、僕のまだ乗ったことのないJR路線を通るからで、この路線に乗ってしまえば一応はJR旅客鉄道全線に乗ったことになる。

 湘南ライナー1号は、途中、横浜駅を通らずにワープして小田原へ行く。新幹線ならともかく、在来線であれば、東海道本線を行く以上、横浜駅は通らねばならないように思う。しかし、この湘南ライナー1号は確かに横浜駅を通らないのだ。普段からの利用者なら不思議もないが、知らない人ならばやはり不思議な話となるだろう。その不思議を解く鍵は、まさに「ワープ」なのである。

 品川に停車した後、湘南ライナー1号は西大井を経由する通称横須賀線へと入る。そして、鶴見から通称羽沢線と呼ばれる東海道本線貨物支線へ入る。この貨物線は横浜駅のずっと北側を迂回するようにして東戸塚へと至る。

 貨物線なら旅客線ではないので、「旅客鉄道全線」を乗車することにはならないように思う。確かに旅客線とはならないが、定期的に運行する列車が存在することと、そもそもこの路線の管理がJR東日本であることを理由に乗車の対象としたのである。このあたり、マニアのこだわりに過ぎないから大した話でもないのだが。かくして、僕はJR旅客鉄道全線(僕が乗りたいと思っているもの)をすべて乗ったことになった。

 藤沢駅で、僕の横の客が入れ替わった。新しい客は僕の友達TOQ氏だ。秋田の「ハタハタすめし」を彼と一緒に終点の小田原まで行った。この旅初めての同行者だった。

EX1.8 東海道新幹線3タテ

▲ こだま553号

 小田原からこだま553号に乗車する。こだま号は空席が多数あるイメージがあるが、この列車は混み合っていた。自由席なので座れるかどうか不安であったが、何とか座ることができた。また、熱海から窓側に移動でき、三島からは隣の席が空いた。

 そう言えば、そろそろ腹が減ってきた。スペーシアきぬがわ6号の中で駅弁を食べて以来でそろそろ夕食の恋しい頃合いになった。しかし、そういうときに限って食にありつけない。そして、ありつけないままに静岡に到着した。

 静岡のホームにある駅弁屋を見ると、閉店の準備を始めていた。慌てて、鯛めしを購入して夕食を確保する。

▲ ひかり389号

 静岡からはひかり389号に乗車する。今度はこだまよりも速達度の増したひかり号で、指定席車に乗車する。車内は先ほどよりは乗客の数が少ない。

▲ 鯛めし

 鯛めしを開けて食べていると、車掌さんが回ってきた。慌ててきっぷを差し出すと、気さくな感じの方で今時珍しい。「気をつけてね」と、近所のおじさんのように言う。国鉄時代には多かったタイプの鉄道マンで、懐かしく感じた。均質化した振る舞いもサービスの提供という側面からは重要なことなのかもしれないが、僕はこういう車掌さんも人間らしくて良いと思う。

 名古屋で50分あまりをホームのベンチで過ごす。そのままひかり389号に乗っていれば新大阪には早めに着いているはずだが、僕は敢えておよそ50分後ののぞみ163号まで待った。

 新幹線は同じ方向に2個以上の列車で乗り継ぐとき、特急料金を乗車全区間に対して通しで計算することができると、旅客営業規則第57条第2項にある。ただし、これは改札を出ないことが条件となるから、途中下車するわけにはいかない。したがって改札内で待つことになるわけだが、重い荷物を持って階段を上り下りするのも面倒なので、ホームのベンチにて腰を掛けることにした。

 そして、50分も待ったのは、デビューして間もないN700系に乗るためであった。小田原から、こだま、ひかり、のぞみと速達度をどんどん増して、また座席のグレードも普通車自由席、普通車指定席と上げてきたから、こののぞみ163号はグリーン車とした。

▲ のぞみ163号

 僕は、N700系には、営業運転開始前の6月に試乗会に参加して既に乗車していた。しかし、そのときは見学がてらにグリーン席に腰を掛けたものの、普通車指定席の割り当てであった。営業運転後に改めて乗ってみたかったので、今回はこれを選んだのである。

 22時57分、のぞみ163号は名古屋を出発。グリーン車は空いていると思ったが、車内は意外や席が埋まっており、僕の横にも既に着席があった。新大阪までは48分だった。名古屋まで1時間どころか50分も掛からない。蒸気機関車の走っていた時代から考えれば、何という技術の進歩たるかを実感できる。

 新大阪駅の改札口へ向かうと、売店のシャッターが軒並み閉まって閑散としていた。天井からつり下げられたLEDの発車案内板には文字はなく、きょうこの後に発車する新幹線がないことを知らせている。利用者の多い駅のこのような姿は何か時間が停止したかのような空気を感じさせて面白い。僕は、その空気から逃れるように、在来線のホームへと急いだ。


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