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#僕らの旅 2022 南九州編 2日目

2022年8月11日 第2日目

今朝は7時半には出発したかったところですが、ホテルで朝食を取り、なんちゃらかんちゃらしていたら、結局、8時過ぎの出発となってしまいました。海都、響よ、きょうも頑張って運転していこう!(僕は運転しない子)

黒豚のしゃぶしゃぶ。旨かった

2.1 まずは、僕の希望で朝のお参りから

鹿児島中央駅を出発して、平田橋から国道3号、照国神社前から国道10号に入り、西郷隆盛像の前を通って道なりに進みます。トンネルを抜けると右手に錦江湾
と桜島、左手に仙巌園が見えます。僕らは、それらを横目に国道10号を北進します。きょうは、夏の青空が広がるいい天気です。

一時間ほど走り、霧島市隼人町にある #鹿児島神宮 へ到着しました。鹿児島神宮は、大隅国一宮です。駐車場に車を止めて、石段を上がります。社務所の前を通ってさらに石段を登った先に拝殿がありました。まずは、二拝二拍手一拝にてお参りを済ませます。鹿児島神宮のレイアウトは面白く、表参道は東側から入り、まっすぐ階段を登って拝殿前へ行き着くのですが、拝殿および本殿は北側にあって右手に見るような形になります。鳥居をくぐり、参道の先に拝殿および本殿と正面で向かい合う形が一般的ですが、鹿児島神宮の場合は少し違うようです。

右に御神木が見える
鹿児島神宮の拝殿。拝殿の奥に本殿がある
拝殿は南を向いている

社務所へ行き、御朱印帳を購入します。併せて御朱印の記帳もお願いしました。ふと横を見ると、以前人吉で見た郷土玩具「雉子車」が描かれた御朱印帳の巾着袋が売られているといいます。併せて購入しておきました。御朱印帳は、ピンク色の表紙に神馬が描かれたものです。その1ページ目に記帳していただきました。

2.2 霧島温泉郷のうち、関平温泉へ

9時20分に鹿児島神宮を後にします。次は、響の希望で霧島温泉に行きます。霧島温泉は、正確には霧島地区に点在するさまざまな温泉地を総称したものになります。硫黄谷温泉、丸尾温泉、妙見温泉等さまざまですが、朝からやっていて、かつ渋めのところとして、関平温泉を選びました。鹿児島神宮から車でおよそ40分で到着です。

受付で料金を払い、タオルを購入します。簡易的な脱衣場で服を脱いで浴場に入ります。浴槽が2つありますが、一方はお湯がはってありもう一方にはお湯がはられていません。注意書きを読むと、奥にある関平温泉は湧出量の関係から正午以降に営業するとのことでした。つまり、僕らは手前の新床温泉に入ったことになります。ただ、温泉の効能としては両温泉共に共通しているそうです。しかし、朝から掛け流しの温泉とはたまりません。

2.3 霧島神宮参拝

次に霧島神宮へ行きます。これは、僕の希望です。時刻は、10時35分です。関平温泉からは山道をいきます。20分ばかりで #霧島神宮 に到着です。

霧島神宮は、天孫降臨にゆかりのある場所です。天孫降臨とは、神が下界に降り立ったことを意味します。その降り立った場所が霧島にある高千穂峰です。本来、霧島神宮はその高千穂峰にありました。ところが、火山の噴火などで本殿が被害を受けたため、現在は麓に本殿を移しています。

こちらは、鹿児島神宮よりも規模が大きく、境内も広くなっています。鳥居前で深く頭を下げて一拝します。鳥居の中央は神様の通り道なので端からお邪魔をします。森に囲まれた参道を進むと、一際開けた場所に出ます。目の前に、立派な拝殿が現れました。朱色に塗られた柱に白い漆喰の壁、堂々とした構えに身の引き締まる思いです。

霧島神宮

3人揃って二拝二拍手します。しばらくの沈黙の後、一拝して拝殿をあとにします。僕は、授与所(お神札、御守りや御朱印などを頒布する箇所。ほとんどは初穂料(はつほりょう)といって代金が必要である)にて霧島神宮の御朱印をいただきました。僕は、海都と響にもう一ヶ所行きたいところがあるとお願いして、徒歩数分のところにある #山神社 へ行きました。霧島神宮の社殿の裏手に広がる森の中に、小さな鳥居と階段があって、その先に小さな祠がひっそりと佇んでいました。僕らは、お参りしてここをあとにします。

山神社。静寂の中にも存在感を感じる

再び授与所に戻り、山神社の御朱印(書き置き)をいただきました。霧島神宮、山神社とも素敵な神社でした。

2.4 佐多岬へは行けないので、都井岬へ向かいます

当初の予定では、霧島神宮をあとにして、桜島一周、大隅半島を南下して佐多岬へ行くことにしていました。が、時計は既に11時を回ってお昼になろうかという頃でした。桜島は先日の噴火の影響でぐるっと一周はできないので諦めたとしても、このままのペースで進めば佐多岬には14時~15時頃の到着になります。それから大隅半島の東を北上して都井岬、鵜戸神宮などを回って行くと、今夜の宿泊地宮崎には深夜の到着になって、運転を担当する彼らの負担は限りなく大きくなります。そこで、行きたかったのは山々だったのですが、佐多岬行きを諦めて都井岬へと向かうことにしました。

まずは志布志を目指し南下します。途中、お昼時となったので、曽於市にある道の駅おおすみ弥五郎伝説の里に立ち寄って昼食です。

しっかり食べておこう

2.5 志布志市志布志町志布志 志布志市役所本庁・志布志支所 です

昼食を済ませて、車を走らせます。曽於市から志布志市内へと入ります。このまま都井岬へと向かうのが新たな予定だったのですが、ここに来たら立ち寄っておきたいところがあり、ドライバーの海都にお願いして寄り道をすることにしました。行きたいところは2箇所あって、ひとつは志布志駅近くの志布志鉄道記念公園、もうひとつが市役所です。

まずは志布志市鉄道記念公園です。ここは旧志布志機関区の跡地を公園に整備したもので、旧大隅線、旧志布志線で使用された車両が保存されています。キハ52形130号、C58形112号機、ヨ8951の3両です。旧志布志線は西都城と志布志を結び、旧大隅線は志布志から鹿屋、垂水を経由して国分までを結んだ路線でした。

キハ52形130号
ヨ8951は貨物列車の車掌車である


C58形112号機

次に向かったのが志布志市役所です。志布志市役所の前には有名な看板があり、それを見ておきたかったのです。5分ほど車を走らせて到着。

志布志市役所本庁・志布志支所
響と看板

看板には、「こちらは、志布志市志布志町志布志の志布志市役所本庁・志布志支所です。」と表記されていました。時計は14時15分を示していました。

2.6 ようやくの思いで都井岬へ

志布志から国道448号を東進します。串間の市街地を抜けて南東方向へと向かいます。山道を登り、丁字路を右折して県道36号をいきます。途中の料金所で通行料を支払い、さらに進むと右手から海が見えました。ずいぶんと高く登ってきたようで、眼下に広がる海は広大に見渡せます。走っていると、海都がふと「あ、俺、ここ来たことあるかも」といいます。どうやら幼少期に家族旅行で来た時の思い出がおよそ20年ぶりに甦ったようです。

15時過ぎ、ようやく都井岬駐車場まで到着しました。半島の先が細くなっていくので駐車場では両側に海を眺めることができます。

半島の北側から眺める。

都井岬には灯台があります。入場料を払って内部へと入ります。階段を昇り、灯台の上までいくとさらに海がきれいに見えました。

都井岬灯台前にて記念撮影
灯台内部
青々とした海
都井岬灯台

灯台をあとにして、僕らは馬を見に行くことにしました。御崎馬といって、かつて軍用に飼われていた馬が野生化したものです。軍用に使われていたのが320年前、江戸時代の頃で、明治期以降に野生化したようです。国の天然記念物に指定されています。

御崎馬の親子

僕らは、車を駐車場に止めて、馬がいる草原へと向かいました。こういった野生動物とは、人間との関わりを極力避けるべきです。彼らがもつ独自の生態系を破壊してしまいかねないからです。僕らは遠巻きに彼らを見ます。そっと写真を撮ったりして眺めていると、馬の方から僕らに近づいてきます。が、それは僕らに興味を示しているわけではなく、ごはんである草を食みにこちらに移動して来たようです。

子馬も二人を同年代だと感じたのだろうか

15時45分、都井岬をあとにして、次は鵜戸神宮へ向かいます。

2.7 鵜戸神宮で運玉を投げる

日南海岸を北上します。サルの芋洗いで有名な幸島を右に見て、南郷の駅前を通り、目井津漁港、油津漁港を通って、17時過ぎに鵜戸神宮に到着しました。僕自身、7年ぶりの鵜戸神宮です。

右手には日南海岸が続く

鵜戸神宮は日南海岸の絶壁に沿って建てられた神社です。御神体を祀る本殿は洞窟の中にあって、洞窟内に建物があるという珍しい光景を見ることができます。

神橋を渡ったところからの眺め
本殿

僕らは、参拝して、本殿を回り込むように岩窟の奥へといきます。岩に染みでた水が滴ります。夏の暑い時期にも関わらず、比較的浅い岩窟の奥は案外と涼しく、蒸し暑くはありません。一周してくると、やはり岩窟内に建てられた授与所があります。僕らは、ここで運玉を買って外に出ます。運玉は赤土を焼き固めた小石ほどの玉で、「運」の文字が刻印されています。岩窟の前は断崖になっていて、見下ろすと亀の形をした亀石が見えます。その甲羅の部分に円形の注連縄があって甲羅に穴が空いています。そこにさっき買った運玉を投げ入れると願いが叶うのだそうです。が、穴だけでなくて注連縄に囲まれた部分に届けば良いので、少しはハードルが低そうです。男子は左手、女子は右手で投げなくてはなりません。

中央に見えるのが亀石
響は全弾命中

全員、注連縄の中へ運玉を投げ入れることができました。僕は、この後、御朱印をいただきました。

2.8 さらに日南海岸を北上

17時30分、鵜戸神宮をあとにして、日南海岸を北上します。鬼の洗濯岩といわれる奇岩を横に、堀切峠を超えて青島へと向かいます。18時20分、駐車場に車を停めて、海岸へと向かいます。青島は青島神社が鎮座する島で、島そのものが御神体といっても過言ではありません。実際に江戸時代までは禁足地として立ち入りが禁じられていた島です。

弥生橋を渡って右へと向かう

青島海岸から島へは弥生橋を渡っていきます。渡り終えると砂浜で、目の前には大きな「青島神社」と刻まれた大きな標柱が見えます。右側から砂浜を進みますが、この時間になってやや風と波が強くなってきたように思います。時折、大きな波が僕らに目掛けて飛び掛かってきます。

鳥居

鳥居を抜けて、島の中央部に位置する青島神社へと進みます。右手の社務所では、片付けが始まっていて、僕は慌ててその宮司さんの元に駆け寄ります。御朱印をいただきたい旨、申し伝えると、快諾していただき、ギリギリいただくことができました。本来であれば、御朱印は参拝した証ですから参拝前に授与していただくというのは順序が逆ですが、社務所を閉める間際とあっては致し方ないでしょう。その後、しっかりと参拝しました。

青島神社拝殿

拝殿の右から多くの絵馬が掛けられたトンネルを抜けると、鬱蒼とした亜熱帯林に囲まれた場所に元宮があります。元宮は、その名の通り、元々の宮だそうで、古くは弥生時代に祭祀が行われていたことを推測できるものが出土しているようです。

元宮とその背後に投瓮所が見える

元宮の裏手には、平瓮(ひらか)という円盤状の赤土を焼いた小皿を投げて吉凶を占う「投瓮所」があります。吉凶を占うことから転じて、心願成就を願うということです。鵜戸神宮の運玉投げと同様です。僕も、投げてお願いごとをしておきました。

2.9 2日目終わりに

ぐんけい本店隠蔵

宮崎市内のホテルに入り、荷物を置いて夕食に出掛けます。響が方々に電話してようやく予約を取ってくれました。今夜の夕食は、宮崎地鶏の店、#ぐんけい本店隠蔵 さんにて。

チキン南蛮
鳥刺し
大手羽炙り焼き

たらふく食べて、3人とも大満足でホテルへと戻ります。きょうは、長距離の運転、ご苦労様でした。


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