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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第10日目

前回のお話は以下URLから。


第10日目(2007年8月5日)

(大阪ー東京ー秋葉原ー北千住ー鬼怒川温泉ー湯野上温泉ー塔のへつりー)会津若松ー五泉ー新津ー長岡ー新潟

8月5日の行程

10.1 寝台特急サンライズ瀬戸号

 川西池田駅から最終の四条畷行き普通電車に乗り、尼崎で普通高槻行きに乗り継いで大阪駅まで来た。既にこの時間、川西池田駅では長距離きっぷの発売を終了していたので、大阪までのきっぷを券売機で購入して大阪駅の改札口で東京都区内までのきっぷに変更を願い出た。嫌な顔をされるかと思ったが、案外快く引き受けてくれた。しかし、この日は神戸で花火大会があったとかでダイヤは乱れており、大阪駅についたのが予定より5分遅れの0時21分であった。0時34分発の寝台特急サンライズ瀬戸号には乗りたかったから、その間、約15分となる。果たして変更は可能なのか。

 時計と睨めっこしながら待つこと10数分。サンライズ瀬戸号が入線する時間に、ようやくできあがって、支払いを終えるとまもなく発車の時間。大急ぎで10番線ホームへと駆け上がる。僕が乗り込むと同時にドアは閉じられた。

 14号車の2階席が今夜の僕の寝床。まもなくして車掌さんがきっぷを見に来た。シングルだが、思っていたよりも広かった。室内灯や時計のスイッチなどがコンパクトにまとめられており、機能的であった。個室寝台の中でも居心地の良い部屋だけに、東京までの6時間半だけでは物足りなさを感じた。いつか松山まで延長運転するサンライズ瀬戸号に、東京から乗り通したいものである。

▲ 朝の東海道線
▲ 東京駅に到着

 いつのまにか眠っていた。目を覚ますと、時計は6時50分を指していた。ブラインドを開けると横浜の鶴見辺りを走っていた。多摩川の鉄橋を渡り、六郷土手の辺りを行くと都内へと入る。日曜日とあって通勤客の姿はそんなに見られない。遥か西から夜を徹して走り続けた夜汽車は、早朝の大都会のビル群の中を進む。東京駅には定刻通り、7時08分に到着した。

10.2 東京都区内を乗り継いで

 東京駅から京浜東北線の電車に乗る。秋葉原駅で下車して、さらに地下へと下りていく。階段を下りていくと、真新しい地下街に出る。床面の光沢と明るさが最近できたばかりなのだとうかがわせた。つくばエクスプレスの秋葉原駅だ。携帯電話を自動改札機にかざして構内へ入る。さらにエスカレーターを2度下りると、ホームへたどり着いた。東京の地下は入り組んでいて地下深度の感覚がわからなくなるが、それでも上手い具合に掘り進められ、構造物として完成されている。これだけ穴を空ければ地面も沈みそうな気もするが、それが起こったという事故は聞かない。

▲ つくばエクスプレス

 秋葉原からはつくばエクスプレスの普通電車で北千住へと向かう。北千住なら東京都区内の駅だから、大阪で区間変更したきっぷ(東京都区内行き)で北千住まで利用可能だが、つくばエクスプレスには乗ったことがなかったので、短区間ではあったが敢えて乗ってみることにしたのである。

 秋葉原は地下駅だったが、10分ほどして到着した北千住駅は高架駅だった。地下に高架にと忙しい路線だが、これも開発されてしまった街中に新規に鉄道を通すが故のことだろう。

10.3 東武鉄道線

 北千住駅からは、東武鉄道に乗り継ぐ。とりあえずは、前回に中断していた会津若松駅まで戻らねばならない。JRで会津若松まで行くとすれば、前回と区間の重複してしまう郡山を回っていくのだけは避けたいから、上越線小出駅から只見線へ乗るという方法を取っただろう。しかし、それでは会津若松からお目当て列車に乗り継げないから、結局、前回にも乗ったが、面白味のある列車が走る東武鉄道~野岩鉄道~会津鉄道を選んだというわけである。まずは、東武特急だが、始発の浅草駅からではなく北千住駅から乗車した。これは、北千住駅の特急改札窓口で硬券の入場券を買うのが目的だったからである。

▲ きぬ103号

 20分ばかりホームで待っていると、特急きぬ103号が入線してきた。僕は、最後部車両にある個室へと入った。せっかくの機会だから、個室も体験してみようというわけである。リクライニングしない座席でも、ゆったりとしたシートに、何と言っても日本の鉄道車両においてこれだけの空間を一人で占有できることに満足を得ていた。本編を再開するにあたって、これくらいのインパクトで気分を高揚させねば、2週間前には戻れない。

▲ 個室

 僕は、北千住から400円区間までのきっぷを買って乗車した。400円くらいでは会津若松はおろか、鬼怒川温泉にだって行けない。だから、車掌さんが通りかかったときに区間変更を頼んだのだが、「すいません、今、補充券切らしているんで・・・」とやんわりと断られた。

 北関東の郊外を進むが、曇天であった。もう梅雨も明けているはずだし、夏の青空を見たかった僕としては些か面白くない。会津では晴れていてくれたらなと思う。

 下今市を過ぎて鬼怒川温泉へと向かう。その頃には日差しが出てきた。2週間前の旅の途に戻るべく、曇り空のトンネルを抜けて旅の世界へと舞い戻ってきた。まもなく鬼怒川温泉である。

10.4 野岩鉄道・会津鉄道

 鬼怒川温泉駅のホームは、きぬ103号から下車した乗客らで混雑していた。同じホームの向かい側には会津鉄道へ直通する快速AIZUマウントエクスプレスが停まっているはずだが、その姿は見えない。前方を見てみると、ようやくその姿をうかがい知ることができた。2両編成のAIZUマウントエクスプレスは発車を待っていた。

▲ AIZUマウントエクスプレス

 発車時間まで間がないので、急いで後部車両に乗り込んだ。元は名鉄でJR高山本線に乗り入れていた特急北アルプス号に使用されていた特急専用車両だった。北アルプス号の運行は2001年秋に廃止されたが、新造して10年しか経っていなかったこともあって、会津鉄道に売却譲渡されて翌春に会津地方での運行を開始したのである。元特急車ということもあって、料金不要の快速列車ながら、車内はリクライニングシートが並んでいる。そして、乗客も多かった。

 車掌さんがきっぷを見に来たとき、僕はまた区間変更を願い出た。本来は車内補充券発行機という携帯式の端末での発券だが、手書きの特別補充券でお願いすると快く引き受けてくれた。

 いくつかのトンネルや橋梁などを通り、列車は湯野上温泉駅に到着した。快晴の会津である。

10.5 塔のへつりへ戻る

▲ 湯野上温泉駅

 湯野上温泉駅の窓口で塔のへつりまでの乗車券を購入した。手書きの特別補充券で、塔のへつり駅まで作ってもらっていると、窓口のお嬢さんが「先月来たよね?」と声を掛ける。「ええ、兵庫県からまたやって参りました」と応えると、「そうそう、兵庫県からだったね」とこの土地独特のイントネーションでさらに会話が弾む。幾人かの観光客が訪れただろうに、よく覚えてくれていたものだ。

 きっぷを購入して、列車の到着を待っていると、一人の中年女性が窓口へやってきて、「バス乗り場はどこですか?」と聞いている。聞こえてくる話が耳に入ってくるので、様子をうかがっていると、どうやら湯野上温泉駅からのツアーバスに乗り遅れたらしい。こういうとき、都会の駅だと「ご自分で何とかしてください」というような感じだろうが、湯野上温泉の駅員らは各方面に電話をかけ、塔のへつりで追いつけるように手配をしている。困っている人を前にしたとき、理屈抜きに力添えをするという心の広さには感動したし、見習わねばならない。

▲ 普通会津田島行き

 かくして、湯野上温泉から11時54分発の普通列車会津田島行きに乗る。4分で塔のへつり駅に着いた。バスに乗り遅れた女性と僕の2名が降りた。先日のように歩いて塔のへつりまで行く。ちょうど昼時だったので、階段を下りて、例のおみやげ屋にて味噌汁とうどんを注文した。塔のへつりの見えるデッキでうどんをすすっていると、赤とんぼが目の前の手すりに止まった。

▲ 塔のへつり

 さらに下に降りて、吊り橋を往復する。再びおみやげ屋まで戻ってきて、そこで冷水に浸されたキュウリを買って頬張った。口の中がさっぱりして美味かった。そろそろ戻らないと列車に間に合わないので、僕は塔のへつりを後にした。

10.6 トロッコ列車で会津路をゆく

▲ トロッコ会津浪漫風号

 塔のへつり駅に、トロッコ会津浪漫風号が入線した。トロッコ列車であるが、先頭車両は展望車両でおよそトロッコの様子はうかがえない。そうかと思えば、2両目は窓ガラスのない車両で、これがトロッコ車両のようである。そして、最後尾車両はお座敷車両で窓ガラスも設置されている。僕は、2両目に乗車した。

 塔のへつりから駅まで歩いたときには、汗ばむくらいに暑かったが、風が顔を当てて気持ちが良い。山の中の清涼感を顔で感じていよいよ旅に戻ってきたような気がした。

▲ 堀ごたつ風のお座敷

 湯野上温泉駅から乗客が増えたので、僕は最後部のお座敷車両へ移った。2人ほどが利用しているだけで、ガラガラである。一番後ろの掘りごたつ風のお座敷に座った。窓ガラスがあるものの、大きな窓だから車窓もよく眺められる。

▲ 天井に灯るイルミネーション

 列車がトンネルに入るとの車内アナウンスがあった。トンネルに入ると、2号車の天井に設置されたイルミネーションが点り、星空を映す様子がうかがえるという。最初は、移動するのが面倒だったので座っていたが、車内アナウンスをしていたお嬢さんがやってきて、「是非見てみて、きれいだから」と勧める。せっかくのなので見に行くと、真っ暗な空間の中に赤や緑の小さなライトが無数に点灯し、案内の通り、星空を見るがごとき様相だった。こういう仕掛けは面白い。

▲ 芦ノ牧温泉駅にて

 列車が芦ノ牧温泉駅に到着した。上り列車との行き違いのために、しばらく停車するという。そこで、僕は外に出てみた。青空の気持ちいい、しかし相変わらず日差しの強い真夏の昼下がりであった。そんな中、僕はホームのベンチにて涼んでいた中年の運転士に声を掛けた。

「運転席、暑いでしょう」

「暑いよ、窓開けてるよ」

 運転台の暑さから、運転士は、少々疲れ気味の様子だ。しばらく話をしていると、構内踏切の警報音が鳴った。僕は、運転士に一礼して踏切の方へ向かう。やってきたのは上りのAIZUマウントエクスプレスであった。今朝、僕が乗った車両が喜多方から折り返してきたのである。

 上り列車が到着すれば、まもなくこのトロッコ列車も発車だから車内へ戻りかける。すると、さっきの運転士が「秋は紅葉がきれいだから、またおいでよ」と声を掛けてくれた。

▲ 会津の夏風景

 お座敷に戻って車窓を眺める。しばらくすると、車内アナウンスのお嬢さんがアイスを売りに来た。一つ買って食べていると、きれいに晴れているのに窓ガラスには水滴が打ち付ける。雨だった。僕が「狐の嫁入りだ」と言って爺臭いことを言ったと後悔していると、「若いのにそんなことが言えるのは素敵じゃない」と褒められた。その後、車掌さんを交えて3人で世間話に花が咲いた。

 列車が会津若松に到着した。車掌さんや車内アナウンスのお嬢さんらに丁重にお礼をして、ホームへ出ると、入れ違いに女優3人組とすれ違って挨拶をした。どうやら旅番組のロケのようである。

10.7 最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 中篇

▲ 会津若松駅

 次に乗り継ぐ列車の発車までは、まだ1時間あまりあったので、会津若松駅にほど近いスーパー銭湯で汗を流した。駅の近くにお風呂に入れるところがあるとありがたい。駅に戻って、売店で「会津福福赤べこ弁当」なる駅弁を購入して改札口へ向かった。

 この改札口で2週間前に途中下車印を押してもらって以来、ずっと手帳の中で眠っていたきっぷを起こして、僕は改札口を通った。2週間ばかりの中断を経て、最長片道切符の旅を再開した。計算をすると、有効期限まであと31日、ちょうど1ヶ月分が残されている。

 夏休み中の日曜日とあって、家族連れを中心に会津若松駅は賑わっていた。その賑わいの中心にいたのは、黒光りする大きな鉄のかたまりであった。C57形蒸気機関車である。

▲ SLばんえつ物語号

 15時25分、SLばんえつ物語号は、7両の客車を引いて、ゆっくりと会津若松駅を出発した。僕の席は、先頭の7号車だったから、時折鳴らされる汽笛の音がよく聞こえた。

▲ 会津盆地の風景

 会津盆地の中に広がる水田は、昼下がりの日光に照らされて、緑一色に映えている。僕がイメージする日本の原風景は、日本の農耕文化の象徴的作物といえる水稲栽培の耕地にある。もちろん、畑作や果樹栽培、さらには水産、林業なども、日本の第一次産業を支えていることに異論はないが、幼少の頃に何度か訪れた、祖母の実家である福井市の郊外の風景がまさに水稲耕作地帯であって、そのイメージするところが大きいのである。

▲ 会津福福赤べこ弁当

 僕は、会津若松駅で買っておいた「会津福福赤べこ弁当」を開けて食べた。「赤べこ」とは会津地方の伝統的な郷土玩具で、牛を模して赤く塗られた張り子である。それが愛らしく首を振って目を和ませる。それをイメージした駅弁なのである。この駅弁も実際に首を振るのだが、それは頭の中には起き上がり小法師が入っていて錘の役割をしている。牛の頭の中に隠すように入れられているので、気づかなかった人は、弁当箱と一緒に捨ててしまうかもしれない。さて、肝心の弁当の中身は、牛めしであった。味の染みた、それでいて柔らかい肉が僕の口を満足させる。

 喜多方を過ぎると、一ノ戸川鉄橋を渡る。かつては、東洋一とも謳われたほどの立派な鉄橋で、今でもSLばんえつ物語号の撮影地として名高い。窓外には、やはりカメラを構えた御仁がいたし、また川縁でバーベキューなどをする人らの姿も見られた。鉄橋を渡ってしばらくもしないうちに、右側から山が迫ってきて、会津盆地に別れを告げる。急に山の景色に変わると、文字通りの山都駅に到着した。

▲ 阿賀川

 山都からは左車窓に阿賀川の流れが見え出す。阿賀川は、正午頃に塔のへつりで見たあの川で、会津盆地を縦横して山都で再会したのである。そして、山都のすぐ西側で、阿賀川は只見川と合流して、雄大な流れを作っていく。車窓にそれを眺めながら、SLばんえつ物語号は磐越の山中へもうもうと煙をはきながら進んでいった。

▲ 野沢駅にて

 阿賀川に架かる鉄橋を渡って2駅目に野沢駅があり、列車はそこで一旦休憩となった。機関士は車両点検をしているが、主には記念写真の撮影などの乗客に対するサービスである。僕も外へ出てみることにした。

 野沢駅を出て少しすると、SLばんえつ物語号のスタッフが7号車にやってきた。何やら説明をしているので聞いていると、じゃんけん大会をして最後まで勝ち残れば特製ピンバッジをくれるのだという。さて、結果や如何に。

▲ じゃんけん大会の戦利品

 じゃんけんを3回ほどした時点で残ったのは僕だけとなり、ピンバッジを頂戴することとなった。そういえば、昨年もこの列車に乗って最後まで勝ち残ってピンバッジを頂戴したことを思い出した。良い想い出になったと思う。

▲ 津川駅にて

 徳沢駅を通過すると、福島県に別れを告げて新潟県へと入る。同時に、阿賀川は、阿賀野川へと川の名前を変える。17時19分、給水のため、津川駅にて15分の停車をした。やはり、外へ出て機関車を撮影したりして気分を変える。空を見ると、いつの間にか雲に覆われていた。

▲ 給水作業中

 津川は、毎年5月の始めに「狐の嫁入り行列」をすることで有名だ。狐を模したメイクをして行列するのだという。しかし、僕はそれよりも津川という地名に興味が引かれた。「津」は港を意味し、「川」は文字通り阿賀野川を指す。調べてみれば、津川は、江戸時代に会津と新潟を結ぶ水上輸送の中継地点であって、相当に賑わったらしい。今でも日本三大河港跡として観光地になっていたり、津川漕艇場として「船」が残っている。

 18時07分、列車は停車駅ではない馬下駅に停まった。しかし、ドアは開く様子がなく、対向列車もやってこない。しばらくすると、車内アナウンスがあった。先行列車が故障して五泉駅で立ち往生しているので、当該列車も発車できないとのことだった。この旅、3度目の抑止であった。

 18時40分、先行列車が五泉駅を発車したとの案内があって、ようやくSLばんえつ物語号も出発した。遅れが30分程度なら、今日はさしたる影響は出ない。夕暮れの新潟平野に入って、まもなくSLの旅も終わりを告げる。五泉駅には19時頃に到着した。

▲ 五泉駅で運転見合せ

 ところが、SLは五泉駅を中々発車しようとしない。上りの対向列車が遅れているのかと思ったが、再び車内アナウンスがあって、また先行列車が故障して動けなくなったという。いつ故障が直るのかも未定で、SLもいつ発車できるのか見当もつかないらしい。そこで、代行バスを手配して五泉から新津まで送り届けるのだという。車掌さんに聞いてみると、ずっと乗っていても良いがいつ運行を再開するか未定なので、やはりバスで行った方がいいと言う。それでも僕は列車で乗り通してみたかったので、車掌さんに断って車内に残ることにした。

 しかし、代行バスが到着したとのアナウンスがあると、乗客は次第に数を減らしていき、ついには僕の乗る7号車には、僕一人となってしまった。静寂の客車に得も言われぬ寂寥感に襲われ、荷物を担いで逃げ出すかのようにして客車を出た。車掌さんに「やはりバスで行きます」と断ると、若い車掌さんは深々と「すいません」と頭を下げた。跨線橋を渡って、改札口へ行く。何台もの観光バスが駅前ロータリーに集まり、乗客を乗せていくのが見えた。僕は、押されるはずのなかった五泉駅の下車印を押してもらい、ロータリーへと向かった。

10.8 列車代行バス

▲ 列車代行バス

 停車しているSLばんえつ物語号に未練を感じながら、代行バスに乗車した。あたりは既に暗く、どのように走っているのかも見当がつかなかった。

 代行バスに乗ることに対しては、この旅をする上で特に問題はないように思う。最長片道切符の旅は、最長片道切符を利用して旅をすることであり、それは必ずしも鉄道線を対象とせねばならないわけでもないと考えるからだ。とすれば、代行バスは、何の代行かというと、鉄道の代行に他ならないわけだから、最長片道切符を利用して旅をしているという事実に変わりはない。そう自分に言い聞かせて納得をした。

 バスは、30分弱で新津駅のロータリーへと入った。先行していた代行バスから次々に乗客が降りている。そして、ホームからは長岡で運転が打ち切りとなる快速くびき野号が出て行くのが見えた。

10.9 長岡へいく

▲ 新津駅

 新津駅は最近、橋上駅舎に建て替えられた。その改札口では混乱をしていた。ばんえつ物語号の代行バスから降りた乗客らが、今後の乗り継ぎなどを問い合わせていたり、中には大きな声を出して憤りをみせる高校生か大学生風情の者など、それはそれで一種の賑わいをみせていた。僕はというと、その混乱を待って、本来押してもらうはずであった新津駅の下車印を押してもらうのだった。代行バスといえど、鉄道の代行として新津駅に下車したのだから、問題ないだろう。

 ふと、改札口にある列車の発車案内を見ると、長岡方面の案内に「特急北越7号 20:15」とある。先月の新潟県中越沖地震により、運休しているのだと思っていたが、表示があるのでおやと思う。しかし、その横にある行き先の欄を見ると、赤いLEDで「運休」とあった。時刻表も特急や急行列車などは運休の張り紙があり、日常の新津駅にはまだ戻っていなかった。

▲ 普通長岡行き

 新津からは、20時32分発の長岡行き普通列車に乗車した。115系という近郊形電車であるが、JR東日本新潟支社管内のオリジナルカラーの一つであるから、かつて上野駅に乗り入れていた高崎線や宇都宮線の同型電車を知っている人には同じ車種と思わない人もいるだろう。

 列車が東三条駅に到着する頃、右側の車窓に青や赤の花火が開いた。花火大会なのだろう。偶然にも車窓に花火を拝むことができたことは、僕に感動を与えた。計画されてその通りに結果が生じることよりも、偶然による方が心を動かされやすいのだ。

 長岡の手前で、徐行運転を行った。地震の影響である。そのために、10分ほど遅れて長岡駅に到着した。

10.10 2階建てのグリーン車

▲ Maxとき347号

 長岡駅で21時46分発のMaxとき347号の特急券・グリーン券を買った。今回、E2系、E3系とグリーン車に乗ってきたから、E4系のグリーン車にも乗っておこうというわけである。

▲ 2階グリーン席

 Maxとき347号は所定より5分遅れの21時51分に長岡駅を出発した。グリーン車は僕以外には2人が利用しているだけだった。大型の座席が並ぶが、2階建て構造のために天井が低く、窮屈に感じた。しかし、そうはいっても新幹線のグリーン車で、座り心地は申し分がない。

 新潟までは遅れを僅かに回復して、22時08分頃に到着した。上越新幹線の終着駅は、この時間にもなればホームも構内もすっかりと閑散としていた。東口の改札口で下車印を押してもらい、南口へと向かう。長い自由通路を行き、階段を下りて、2分も歩けば今夜の宿、ターミナルアートインに着いた。駅から近いにもかかわらず、住宅街の真ん中にあった。

▲ 今夜はターミナルアートインに泊まる

 フロントでインターネットの接続キットなどを借りたが、非常に丁寧な対応だったのが印象的だった。部屋に入って、明日の行程を組み立て、確認する。2週間のブランクがあったことなどすっかり忘れたかのように、気分はどっぷりと旅の中に浸っていた。


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