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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第9日目

前回のお話は以下URLから。


第9日目(2007年7月18日)

気仙沼ー前谷地ー石巻ー仙台ー福島ー白石ー岩沼(ー名取ー仙台空港ー仙台ー)ーいわきー小野新町ー郡山ー会津若松

▲ 7月18日の行程

9.1 気仙沼線

 起きる時間だけで言えば、健康的で規則正しい生活をしていると思うが、この後、寝るまでにしていることと言えば、朝から列車に乗り、昼も列車に乗り、そして日が暮れても列車に乗っているのがほとんどだ。そんな常人には理解し難い行動をしているわけだから、とてもじゃないが他人様に胸を張って健全な生活をしているとは言えないだろう。

 ホテルの正面が駅だから、発車の10分前に出て駅へと向かった。比較的涼しい朝だった。空模様は、相変わらずの曇りである。いつ青空を見ることができるのだろうか。

▲ 普通前谷地行き

 気仙沼発6時53分の2934Dはキハ110形の3両で、2両目の車両がリクライニングシート車であった。山田線や釜石線で3両の内、1両が一般車だったから、その分がこちらに回ってきたのだろう。思うに、気仙沼線経由の仙台行き快速南三陸号の指定席車用に使用するためであろう。ここ最近は、旧国鉄時代の気動車からJR型へ置き換えを図ろうとしている。以前に気仙沼線に乗車したときは旧国鉄型のキハ48形だったが、この列車はJR東日本の汎用気動車を使用している。

 僕が乗り込んだときは少なかった乗客が、発車間際になると増えていき、気仙沼駅始発時点で6割程度となった。そして、各駅において徐々に乗客を拾っていく。あっという間に通学列車と化し、携帯電話に夢中になる者や生徒同士の話し声などで賑やかさを増していく。

 気仙沼線は、気仙沼と石巻線の前谷地駅とを結ぶ70キロあまりの非電化ローカル線である。歴史は比較的浅く、気仙沼と本吉の間で部分開業したのが昭和32年。その後、全線開通を果たしたのは昭和52年になってからであった。それまでは鉄道で気仙沼から仙台へとなると一ノ関経由だけであったが、気仙沼線が全通して人の流れが変化した。

▲ 気仙沼線の車窓

 本吉を過ぎると、比較的しっかりした路盤の上を行く。停車するどの駅も高台にあって、街を見下ろすように設置されている。この区間は、例の新しい区間であって乗っていても揺れは少ない。

 志津川に到着した。これまで乗車していた学生らがほとんど下車していき、車内はまるで終着駅に着いた後のように閑散としてしまった。志津川を出てしばらくすると柳津に着く。そこを出ると大きな川を渡った。北上川である。6日目に一度、釜石線で渡った後、昨日再び渡っている。そして、きょう、三度北上川を渡った。折からの雨で水量は増しているようだった。 8時48分、列車は前谷地に到着した

9.2 石巻線

▲ 前谷地駅

 前谷地駅は石巻線の途中にある駅で、気仙沼

線が分岐する駅である。昨日、立ち寄った小牛田駅からは僅かに12.8キロである。

 前谷地の駅前には、駅名の由来が記された案内板があり、それによるとアイヌ語の「モイ・ヤチ」によるという説と、駅の南方に位置する箱泉寺が呼称していたことによるという説の2つがあるらしい。

 前者の場合、「モイ」は穏やかなとか静かななどという意味で、「ヤチ」は湿地や沢の意味があるという。したがって、この場合は「穏やかな湿地」の意となる。一方、後者の場合は、この辺り一帯を「前の谷地」と呼んだことに由来するという。

 アイヌの言語文化がこの辺りまで南下した事実があるのかは不明で、そういう点では前者の説は訝しい感じがする。かといって、後者の説もまた、箱泉寺という、ある地域において確立した地位を有する組織体の言説が由来なので、一見正しいようにも思うが、後付した感も否めない。地域にある言い伝えなどというものは、そもそもそういうものなのかも知れないが。

▲ 普通石巻行き

 8時55分発の1631D列車はキハ48形2連であった。石巻線は、前谷地付近から石巻までを旧北上川に沿って走る。しかし、その姿を車窓にうかがい知ることはなく、田園風景の中を行く。石巻線は、女川まで線路を延ばすが、1631Dは石巻が終着だ。

9.3 仙石線

▲ 石巻駅
▲ サイボーグ009のキャラクター

 石巻といえば、漫画家、故・石ノ森章太郎氏の出身地だと思っていたが、実際は宮城県中田町(現・登米市)で、石巻が出身地ではない。では、どうしてそう錯覚してしまったのかというと、石巻駅は故・石ノ森氏の作品に登場するキャラクターで彩られているからである。跨線橋の階段や側壁にもキャラクターが描かれ、改札口には仮面ライダーやサイボーグ009の人形が飾られている。石ノ森ワールド一色なのである。では、どうして出身地でもない石巻に、彼が作り出したキャラクターを置いてあるのか。それは、故・石ノ森氏が学生時代に石巻市にある映画館に通っていたという縁から、石巻市に石ノ森萬画館を作ったことによる。

▲ 快速あおば通行き

 石巻からは仙石線へと乗り継ぐ。9時53分発の3924S快速あおば通行きで仙台へと向かう。新型車両のように思うが、かつて山手線や埼京線で使われていた205系を改造したものである。ところで、JR東日本の東北地方における電化区間は、ほぼ交流電気を使用している。ところが、この仙石線は直流電気を使用している。というのは、元々仙石線は宮城電気鉄道という民鉄で、第2次大戦中の戦時買収の折、国鉄となった経緯による。すなわち宮城電気鉄道が直流だったからだ。

 当初から通勤型の電車が使われたことから、どうしても通勤路線のイメージがある。近年は、仙台市の郊外に宅地開発が進み、仙石線沿線にも多くの住宅地が開発され、駅も新しく新設された。そんな中にあって、仙石線は全線が複線ではないから、単線区間だと行き違いの列車を待たねばならないこともしばしばで、全線が複線であればもっと所要時間が短縮できたろうにと思う。

 松島海岸駅あたりでは、松島湾が見える。また、このあたりは、東北線と交差したり並走したりする。にもかかわらず、東北線と接続する駅は存在せず、まるで別会社の路線のようであるが、その理由は先述の通りである。
 東塩釜付近から街並みが都会のそれに近づいてくる。それにつれ、乗客も増えてきた。そして、単線だった路線が複線に変わり、一気に都市鉄道化してきた様子だ。陸前原ノ町駅の手前から地下へと潜る。地下といっても、これ自体がトンネルであって、正確には地下鉄道ではない。

 列車は、10時58分、杜の都仙台へ到着した。

9.4 福島県へ

 仙台は宮城県の県都であり、東北随一の都市で政令指定都市である。俗称で「杜の都」などと言われるが、これは伊達政宗の時代に、その奨励策によって植林がなされ、結果、人工林の多い街となったことに由来するという。街に出れば、美しい並木通りを見ることができる。

 仙台にはJR線だけでも東北本線、仙石線の他、東北新幹線、山形とを結ぶ仙山線がある。したがって、人の流れの最も多い場所であり、ゆえに巨大なターミナルとなっている。ゆえに発着する列車の本数も、東北最大だ。近年、仙台空港鉄道が名取と仙台空港間に開業し、仙台まで乗り入れるようになったから、ますます賑やかである。そんな仙台でも、最長片道切符の経路として訪れることができるのは一度きりであり、したがって、この後進むべき路線も一つしか選べない。最長片道切符の経路では東北新幹線の上りが選択される。

 実は、この後、もう一度仙台まで戻ることにしている。もちろんそのときは別途運賃を支払うことになるのだが、わけあって戻ってくることにしたのだった。したがって、まず、新幹線の特急券を抑えて、その後に仙台駅のコインロッカーに荷物を預けておくつもりでいた。ところが、みどりの窓口もみどりの券売機も塞がってしまっている。さきに新幹線のチケットを抑えておこうとみどりの券売機に並んで、ようやく買えたかと思って時計を見てみると、11時14分発のやまびこ50号の入線まであと5分ほどとなった。今からコインロッカーを探しても列車に間に合いそうにないと踏んだ私は、荷物を抱えながら新幹線の改札口を通り抜けた。

▲ やまびこ50号

 やまびこ50号は、E2系であった。かつては東北新幹線やまびこ号といえば、東海道山陽新幹線のひかり号に相当する速達列車であった。それがいつしか運行系統別の愛称となり、東京・盛岡、八戸間に特急タイプのはやて号ができた今、東京・盛岡間の急行タイプの列車となってしまった感は否めない。それでも使用している車両ははやてと同じなのだから、設備のサービス面でいえばはやて号と変わりない。しかしながら、すっかり地味な存在になってしまったなと思う。

▲ E2系のグリーン車

 やまびこ50号のグリーン車は、はやてと同じタイプのそれであったが、乗客の入りはやまびこ50号の方が遙かに少なかった。僕を含めて2人であった。やまびこ50号は、22分の所要時間で福島県の県都を代表する駅、福島駅に到着した。

9.5 旅客営業規則第16条の2 第2項云々

▲ 普通白石行き

 福島駅からは、東北本線の下り列車に乗って仙台方面へ戻る。12時00分発の1185M普通白石行きだ。仙台地区らしく、昨日小牛田から一ノ関まで乗車した車両と同じタイプである。

 ところで、最長片道切符の経路は福島からは東北本線を北上するが、それでは先ほど乗車した東北新幹線と重複するように思う。というのは、新幹線は在来線と同一路線として見なすため、線路や走る場所が離れていたとしても同一路線として考えるのだ。そのように旅客営業規則第16条の2に規定されている。とすれば、片道切符のルールでは同じ区間を2度以上通ってはならないのだから、今のような使い方はできないはずである。では、どうして私の使っている切符では、最長とはいえ片道切符にも関わらず、このような経路が取れたのか。

 同じ旅客営業規則第16条の2の第2項には例外規定が置かれているからだ。新幹線の駅が、それと並行する(同一とみなされる)在来線とは別の場所に置かれている場合については、その区間内(両端の駅を除く。ただし、当然のことながら両端のうちのひとつは含まれてもよい)の駅において、発駅、着駅、接続駅とする場合に限って別線とみなすと規定されているのだ。すなわち、福島駅と仙台駅の間には、白石蔵王駅という新幹線の駅があるが並行する在来線(東北本線)とは接続しておらず、この場合は第16条の2の第2項第8号(福島・仙台間)の適用対象となる。また、このあと、切符の経路では岩沼駅から常磐線に接続するのでこの規程が適用されるのである。ちなみに発駅、着駅、接続駅は、両端の駅を除く区間内の駅となるが、新幹線・在来線の区別をしていないから、どちらの駅でも可能である。さらに余談だが、新幹線で仙台から福島へ行き、在来線で仙台へ戻るというような経路は採ることができない。

 福島も相変わらず薄曇りであった。いつになったら晴れるのか。僕は、大きな窓から外を眺めつつ思った。12時33分、終点の白石駅に到着した。

9.6 うーめん??

▲ 白石駅

 白石駅に着いたのが12時33分で、3分の接続で仙台行きに乗車できるが、昼ご飯には良い時間だと思ったので、白石で済ませることにした。

 改札口を通るときに、途中下車印を押してもらったが、駅員さんが言うには「ウチの下車印、人気ないんだよね」という。途中下車印に人気・不人気があるのかと思ったが、実際、押してもらうと、入鋏印のような大きさで、場所を取るのである。なるほど、およそ下車印らしくない。それに旅客営業取扱基準規程第144条には途中下車印の様式として「だ円形 横0.8cm、縦0.5cm」と規定されているから、それに反した途中下車印のような気もする。

▲ 元祖白石うーめん処なかじま

 駅前へ出ると、目の前に「元祖白石うーめん」と書かれた看板の出ている店を見つけた。うーめんとはよくわからないが、それが却ってB級グルメと言って悪ければ、ご当地料理な感じがして、早速、なかじまというその店に入ってみた。

▲ これがうーめんです

 店の主人に聞けば、うーめんとは白石の名物で、素麺をやや太く、そして短くしたものなのだそうだ。僕は、おろしうーめんを注文した。実際に食べてみると、なるほど素麺のようで素麺でない。とても美味しくいただけた。

▲ 普通仙台行き

 白石駅に戻る。13時丁度発の445M列車は3番線からの発車である。こういうとき、高架駅や橋上駅舎、地下駅ならどの番線でも移動距離に大差は出ないのだろうが、改札口がホームに接している地上駅となると、向かいのホームまで階段を渡って移動せねばならず、難儀に感じる。白石駅はその階段がホームの南寄りにあるから、改札口から遠く、難儀さをさらに味わうような感じである。

 白石から東北本線を北上すると、進行方向左手に白石川が現れる。白石川と並走して列車は進む。しばらくすると、右手から線路が近づいてくるが、これが阿武隈急行の線路である。その白石川を渡って、槻木駅に到着する。

 槻木駅を出ると、また右側から線路が近づいて合流する。これが常磐線で、最長片道切符のルートでは東北本線から常磐線へと繋いでいく。僕は、その接続駅、岩沼駅で下車した。

9.7 寄り道する

▲ 岩沼駅

 岩沼駅で入場券やら指定券などを購入しておく。指定券は、このあと使うためのものだ。岩沼駅のみどりの窓口は閑散としていた。岩沼くらいなら、十分に仙台の通勤・通学圏内なのだろうが、賑わうのは朝と夕くらいなのかもしれない。

 僕は、岩沼から常磐線に乗り継ぐのではなく、寄り道をすることにした。今年春に仙台空港鉄道が開業し、それに乗るためである。そうなれば、今夜中に会津若松までには行きたいが夜遅くに到着するのは体力的にも辛いので、仙台から特急スーパーひたち号に乗って時間を回復するしかない。

 岩沼駅ではモバイルSuicaで入場した。時代は変わった。僕の記憶の中だけでも、お金の支払いというものの仕組みについて、ここ10年近くの間で随分と進歩したものだと思う。クレジットカードは随分と前からあったが、いわゆる電子マネーの登場と普及がお金の不可視化に拍車をかけたようにも思う。かつては、指先でお金に触れることにより、お金を支払っているという実感を得ていた。また、財布からお金が減ると、重さや厚みが変化するのでそこからもお金の存在を実感することができた。

 しかし、電子マネーはどうだろうか。決済時にはお金を支払っているという実感はあるが、それは実に刹那的なものである。ピッという電子音が鳴ることで、支払っているのだという実感を得させるようだが、支払いの前後で財布はその重みも厚さも変わらない。便利と不便は表裏一体なところがあるが、この場合もまたそういうことの好例だろう。

▲ 快速仙台シティラビット5号

 13時57分発の3575M快速シティラビット5号に乗車した。この春デビューしたばかりの新車で、E721系という。緑と赤と白の帯を纏っているのは、JR東日本の東北本線や常磐線などで運用する車両であることの証左でもある。乗客は多く、固定式クロスシートを中心に席が埋まっていた。僕は、次の名取で下車した。

9.8 仙台空港線

▲ 普通仙台空港行き

 名取駅で仙台空港線に乗り換える。跨線橋を渡って、待っていると、向かいのホームに仙台空港線から青とオレンジの帯を纏ったステンレス車が入ってきた。こちらもやはりE721系と同タイプのSAT721系という形式だが、仙台空港鉄道の所有となる。仙台空港線は、JR東日本と相互乗り入れをする第3セクター鉄道であり、JR東日本の路線ではない。

 仙台空港からの列車が到着するや否や、仙台方面からも列車が到着した。こちらもやはりE721系なのだが、緑と青の帯を纏っており、先ほどのシティラビット5号の車両とは異なる。それもそのはずで、こちらは仙台空港乗り入れ用の車両である。

 仙台空港線は、全線単線電化の高架鉄道である。将来的に複線化も視野に入れて工事はされたが、現在の本数を考えると、その必要はなさそうだ。杜せきのした駅に着いた。島式のホームだが一方には線路が敷かれていないので、実質的には片側しか使われていない。駅前には複合商業施設が建ち、ここで降りる客も多い。単なる空港へ行くための交通機関だけで終わらせない路線にしようという感は受ける。

 2番目の駅、美田園駅に着く。ここでは交換設備があり、実際に交換が行われる。美田園駅を出ると、高架を下って、ついには地下へと潜る。空港の滑走路の下へと入ったのだ。すぐにそのトンネルから抜け出すと、右側の車窓から駐機中の旅客機が大きく見えた。この景色は、僕のお気に入りとなった。

▲ 仙台空港駅に到着直前の車窓

 が、その景色は一瞬で終わり、一気に勾配を上がり終点の仙台空港駅に到着した。

9.9 仙台へ戻る

 仙台空港駅へ行ったが、すぐに引き返さねばならない。何か手書きの切符でもないかと改札口のカウンターにて聞いてみたが、ないのだという。仕方がないので、券売機で入場券を購入して訪問の証とした。また、仙台までの乗車券も併せて購入した。630円だった。

 仙台空港から仙台の間は、17.5kmある。一方、岩沼から仙台までは17.6kmとほぼ同じ距離となる。前者は先述の通り630円だが、後者は320円となる。同じ程度の距離なのに、どうしてこうも運賃が違うのか。それは、やはりJRとは別の会社をまたがって運行するからに他ならない。JR旅客鉄道会社同士なら、5社をまたごうが、運賃計算キロを通算して出すことができる。ところが、JR以外の鉄道会社と連絡乗車券を発売するときは、両社の運賃を合算したものとなる。仙台空港鉄道線が7.1キロで400円なのに対して、JR線の名取・仙台間は10.4kmで230円となるので、これを合算すると630円となるわけである。新規に開業した路線の運賃が高額になるのは、建設費の償還などを考えれば致し方ないこととはいえ、7.1キロで400円は割高に感じる。あるいは既設の都市鉄道の運賃が安いゆえのことなのか。

▲ 快速仙台行き

 14時25分発の快速仙台行きに乗車する。往路と同じタイプの車両であった。車内は結構な乗車率で、これくらいだとロングシートの方が僕としてはありがたい。

 名取駅から東北本線に入る。新幹線の高架が左に見え出すと、間もなく仙台である。約3時間ぶりに戻ってきたわけである。

9.10 特急スーパーひたち号

▲ 特急スーパーひたち54号

 仙台駅で岩沼駅までの乗車券を購入する。岩沼・仙台間は旅客営業取扱基準規程第151条(分岐駅通過列車に対する区間外乗車の取扱いの特例)には含まれないから、結局、仙台・岩沼間の運賃を支払わねばならない。ということならば、改札を出て、仙台駅で買い出しをしておこうと思う。

 僕は、常磐線に縁遠い。特にいわき以北となると、2回くらいしか乗ったことがなく、そのうち一回は夜だったから、あまり印象に残っていない。いずれも普通列車での利用だったから、特急での利用は初めてとなる。それどころか、僕にとっては常磐特急に乗車することさえ初めてのことであった。

 651系は常磐特急の代名詞的存在の車両で、真っ白な車体に流線型の先頭部がスピード感を感じさせる。前面には幕回転式のヘッドマークではなく、おおきなLEDを設置している。登場した当時は珍しく、次世代の特急用車両として注目を浴びた車両である。しかし、その651系も些か経年による傷みも目立ってきたようだ。

 仙台と上野を結ぶ在来線特急は、常磐線経由のスーパーひたち号だけになってしまった。昭和57年11月に東北新幹線が開業して、それまで盛岡と上野を東北線経由で結んでいた在来線特急やまびこ号は廃止、仙台と上野を東北線経由で結んでいた在来線特急ひばり号は東北新幹線上野開業後もしばらくは本数を減らしつつ生きながらえていたが、結局その使命を終えた。それから25年、常磐線特急ひたち号は運行本数をダイヤ改正ごとに増やし、現在では上野と水戸、いわきなどを結ぶ主要な列車として地位を確立している。仙台まで直通するひたち号は数往復しかなく、しかもいわき駅以北ではグリーン車なしの4両編成と短くなって一気にローカル特急に成り下がる。きょうもまた、グリーン車なしの4両編成であった。

▲ 常磐線の車窓

 15時15分、特急スーパーひたち54号は、仙台を出発した。岩沼から最長片道切符のルートへと戻った。亘理、浜吉田、と比較的開けた田園地帯の中を行く。相馬、原ノ町といった中規模の駅に停車していくが、この辺りではあまり海が見えない。が、富岡駅から四ツ倉駅へ向かうときに太平洋がチラチラと見えた。しかし、やはり曇天の海は何か重たい感じがする。

 列車は、福島県の太平洋岸の代表駅であるいわき駅に到着した。17時20分のことである。

9.11 磐越東線その1

▲ 普通小野新町行き

 いわきからは、磐越東線に乗り継ぐ。17時40分発の1755Dは小野新町行きである。磐越東線は、陸羽東線・陸羽西線と同様、東西に分かれる線である。磐越東線はいわき・郡山間で福島県内で完結する路線となっているが、ではどうして越後を意味する「越」の字を名称に使っているのか。

 JR各社の鉄道線路名称によればそもそも磐越東線は、磐越線の部という地域ごとに区分されたグループの路線として分類されており、そのうち、いわき・郡山間を指す。しかし、郡山駅の構造上、実質的には磐越線は東北本線によって分断された状態となっている。磐越西線が全通したのは1914(大正3)年(ただしこのときは岩越線と名乗っていた)、磐越東線が全線開通したのが1917年のことである。それまで部分開業していた区間を平郡線(いわき駅はかつては「平駅」と名乗っており、これと郡山駅を結んだことによる)と名乗っていたが、このときに現行の名称に変更した。そこでここからは僕の推測だが、陸羽東線・陸羽西線にしろ、磐越東線・磐越西線にしろ、いずれも主要幹線によって分断されている。主要幹線から接続する格下の路線はひとつの路線として設定されないのではないか。そういったケースに当てはまらないのは武蔵野線くらいだが、戦後に貨物線を利用してできた比較的新しい路線であり、1910年代の思想とは異なる。また、山手線は新宿付近で中央線と接続しているが、東海道線の支線の扱いなので、その適用を受けなかったのではないか。よって、半ば強引な感は否めないが、福島県と新潟県を結ぶ路線のうち、郡山以東の部分というわけで、新潟県を通らずとも越の字を名乗るのはそういう経緯があるからだと予想する。

 しかし、磐越東線は磐越西線に比して地味な感は否めない。レトロ車両などを使用した観光列車を運行することもあるが、磐越西線に比べれば盛り上がりに欠ける。

 いわき駅を17時40分に出た1755Dは、時間的にも高校生が帰宅するのとかち合わせて賑やかな車内になっている。僕は、ロングシート部分で向かいの窓を見てただぼんやりと過ごす。各駅に停車する度に、車窓は鄙びていき、そして車内の賑やかさも減少していく。

 列車は小野新町に18時22分に到着した。

9.12 磐越東線その2

▲ 小野新町駅

 小野新町駅は、磐越東線の中核になる駅であり、ここで折り返す列車もある。ホームは、一面島式だが、ホームは長く、中央には三角屋根の、いかにもローカルな雰囲気のある木造待合室が建てられている。ホームは小高い築堤の上にあるから、改札口へは階段を下りて地下道を通っていかねばならないが、通路を出ると地上で目の前には駅舎が現れた。

 改札口を通って、まずはみどりの窓口へ立ち寄る。乗車変更をしてもらうためである。

 本来は、7月21日に会津若松からSLばんえつ物語号に乗るつもりでいたが、それに乗っても新津から先は先日の新潟県中越地震の影響で交通網が寸断されて先へは進めないから、日程を変更することにしたのだった。そのため、SLばんえつ物語号の指定席券を変更する必要があったのである。

▲ 普通郡山行き

 磐越東線の後半は、18時43分発の747D普通郡山行きから始まる。既に薄暗くなり始めていた。相変わらずのキハ110形である。しばらく走れば、辺りは急速に闇に包まれていった。そろそろ腹が減って虫の鳴くのが聞こえた。

9.13 最長片道切符で行く迂路迂路西遊記前編の終わりへ

▲ 快速あいづライナー5号

 郡山駅では忙しい。磐越東線の747D列車が19時34分の到着で、乗り継ぐ磐越西線の快速あいづライナー5号の発車が19時40分だからだ。その間、僅かに6分である。この6分で、僕は一旦改札を出た。それは今夜の夕食を仕入れるためであった。しかし、改札口を出たときには19時37分で、あいづライナー5号の発車まであと3分しかない。改札口から少し当たりを見回したが、駅弁がどこで売られているのか皆目見当もつかず、泣く泣く諦めて再び入場する。あいづライナー5号の乗車ホームは、幸いにも改札口から近く、よって何とか間に合ったのであった。

 快速あいづライナーは、磐越西線の速達列車であるが、その歴史は紆余曲折を辿っている。国鉄時代、特急あいづ号として、上野・会津若松間で運行していたが、1993(平成5)年、運行区間を郡山・会津若松間に短縮して愛称も「ビバあいづ」に変更した。その後、2002(平成14)年に愛称を再び「あいづ」に変更するが、2003(平成15)年には快速に格下げされた。さらに2004(平成16)年には「あいづ」の愛称が消滅したが、2005年にあいづデスティネーションキャンペーンの一環で臨時に特急「あいづ」が復活し、これ以降、夏期間を中心に運行されるようになった。また、2007(平成19)年から快速あいづライナーが復活し、現在に至る。

 あいづライナーは、仙台車両センター所属の485系特急形電車を使用している。外観は旧国鉄時代のままだが、塗色は会津の伝統工芸品、あかべこをイメージしたものとなっており、赤と黒が奇抜さを感じさせる。一方、車内はブルーグレーの落ち着いた雰囲気の様子であった。

 磐越西線は、その電化区間においては、昼間であれば猪苗代湖、磐梯山を眺めることができる。しかし、すっかり夜の帳が下りた中では時折見える街灯と窓ガラスに映る車内の風景が見えるだけだ。こういうとき、景色が見られないと嘆くことは容易いが、景色を実感することは難しい。個人的には、景色を感じるとは、感覚器によって得られるすべてを身に感じるということだと思う。目に見えるものだけを景色というのではない。

▲ 会津若松駅

 会津若松で下車して、駅から出てすぐの駅前フジグランドホテルへと入った。近所にある、そのホテルの系列という銭湯へ行って汗を流した。きょうも、昨日と同様、乗車時間の長い一日であった。そんな日の終わりには大きな風呂に浸かってゆっくりと身体を温めたい。

 最長片道切符の旅は、きょうで一旦中断する。行程はまだまだ残っているし、切符の有効期間もまだ49日間残されていた。


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