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かたわれのかなしみ

道で見かける片方だけの手袋は
いつも語りかけてくる

無くした人が
無くしたことに気づいた時の
寂しさや悲しさや悔しさ

道におかれた手袋の
置いてけぼりにされた時の
寂しさや悲しさや悔しさ

無くした人の手元に残された手袋の
二度と会えない相方への
寂しさや悲しさや悔しさ


そしてその悲しみは実はもっと奥が深いのではないかといつも思うのです。


この手袋も落とされていく直前まで仕事をしていたはずで

一生懸命働いていたかたわれ。


僕が尊敬してやまない鈴木大拙氏が次のようなことを言っている。

「一日作(な)さざれば 一日食わずと言った人がいる。
この作(な)すというのは手足を動かすことであり、働くことであり、他のためにすることである。
生きるというのは動くこと。
人間においては働くことである。
働くことが自利利他の原動力である。」

つまり、人は1日働いて1日食べることができる。
働くことで自利(じり:自分に良い果報をもたらす。)利他(りた:他者を救済すること。)となるということを言っています。

この手袋はその直前まで生きていて
はめていたその人の自利利他の一助となっていたのだと思うと感慨深い。


この手袋というかたわれの悲しみは
主人の自利利他の一助となれない悲しみが一番大きいのではないかと
道端で見かける度に想いを馳せるのです。


今日
道で見かけた
かたわれの君の悲しみは
ここに書き留めておくぞ。




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