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映画批評家がDappi裁判を傍聴して分析したら、Dappi側のホンネがバレた件

◆はじめに

私は映画批評家ですが、普段からメディアリテラシーやプロパガンダといったテーマについて、noteで取り上げています。

そのため、いわゆるDappi裁判のゆくえにも関心を持ち、当初より傍聴、取材を行ってきました。

そうした中、2023年6月26日に結審前最後となる本人尋問が、東京地裁610号法廷で2時間を超える長い時間をかけ行われました。

民事裁判は毎回書面の交換で終わりがちですが、一般人が傍聴して唯一面白いのがこの「弁論」です。

私も、この日はチャンネル桜の番組収録があったため15分ほど遅れてしまいましたが、いそぎ駆け付けました。

◆法廷はネット記事では得られないナマ情報の宝庫

一般に、裁判のニュースは文面を整えた文字起こしや報道をみても、現場の空気はなかなか伝わりにくいものです。

しかし現場で観察していれば、尋問中の証言者の不自然な言い淀みやオドオドした表情、態度など、ニュースの何倍もの情報量を得ることが出来ます。

法律面の解説は専門家やメディアに譲るとして、そうした人間観察、具体的には言葉や言い回しの選択と、その背後にある人間心理、そして被告側弁護士の狙いといったあたりの分析は、むしろ映画批評の手法と共通するもので、私の領域です。

そこで今回は、そうした視点からこの本人尋問についての分析をお伝えします。

※会社名、個人名については裁判中、およびネット上には実名が出ておりますが、本記事ではマスメディアの報道基準に準じて、アルファベット等で表記します。

◆結論:あきらかに不自然だったDappiの実名隠匿

さて、結論から言うと、Dappi(投稿者という意味、以下同)が勤務している株式会社Wの代表取締役社長(およびもう一人の役員である取締役)は、Dappiの個人情報は明かさず社として守り抜くと法廷で表明しました。

理由は「仲間であるDappi(投稿した従業員)を、私(社長)が受けたような取材攻勢やネット上の誹謗中傷にさらすわけにはいかないから」とのこと。

言い換えると彼ら二人、そしてW社は、日本を揺るがしたDappi事件の真実を知りながら、会社をあげて隠しぬく、と表明したことになります。

しかし、この発言は明らかにおかしいのです。説明します。

◆役員二人はこの裁判で二つの証明を迫られていた

そもそもこの裁判において原告側の言い分は、

「Dappiの正体は役員二人(K・K社長とK・W取締役)のいずれか、または両方だろ? そんでお前ら、W社の業務として自民党あたりから請け負って野党を貶めるデマを流していたんだろ」

というものでした。

ですので被告側としては、「役員は二人ともDappiではない」「W社は業務としてDappi活動を行っていない」の2点を証明することに、この尋問のリソースを費やす戦術を取りました。これは予想通りで、当然の選択といえるでしょう。

しかし、そうなるとおかしなことになります。

◆実名を明かせば、役員二人の濡れ衣は晴れるはずなのに

なぜなら、もし役員二人が「俺たちはDappiではない」と証明したいのならば、一番カンタンなのは「Dappiの実名を明かす」事だからです。

役員二人は「Dappiの実名を知っている」と証言しています。ならば、もしDappiが本当に彼らと別人(=残る13名の従業員の誰か)だとするなら、実名を明かした瞬間、自動的に役員二人の濡れ衣は晴れます。当たり前すぎる話です。

それなのに彼らは「Dappiの実名を明かすことを拒否」しました。矛盾した態度というほかありません。

◆矛盾だらけの被告の言動

次に「W社は業務としてDappi活動を行っていない」事の証明ですが、これについてもW社は本気で取り組んでるようには見えません。

たとえばW社が下したDappiへの処分は、異様に軽いものでした。

具体的には「基本給100万円だったDappi本人に対して、3か月間10パーセントの減給処分」というものです。

さすがに処罰の内容が軽すぎますし、そもそもこれだけの大事件を起こして会社の信頼を地に落とした従業員の個人情報を、裁判所に背いてまで守るというのも意味が分かりません。

今回「Dappiの実名を明らかにしろ」というのは裁判所からの開示命令であり、それを拒否すると、仕組み上、裁判にはほぼ負けるわけです。

ということは「社長が裁判に負けて多額の賠償金を払ってやってでも、悪いことをした従業員=Dappiのヒミツは守るヨ!」というわけで、どこから見ても彼らの行動は矛盾しています。

◆自社への疑いを晴らす気がないW社

これでは誰が見ても「やっぱりW社はDappiとグル、もしくは本人であり、社として業務でやっていたんじゃないか」と疑われてしまいます。

もし彼らが本当に「W社は業務としてDappi活動を行っていない」と証明したいならば、こんな説明のつかないことをするはずがないと思います。

むしろ社会常識の面から見て、もっと厳しい、妥当な処分をDappi本人に行っていたはずです。

たとえば、疑われた役員二人の無実を証明するためにまずはDappiの実名を明かしたうえで、会社としての監督責任を認めて世間に謝罪をする。そして、本人をクビにするなどして会社としては今後一切の関わりを断つ。すなわち、もう二度と物理的に過ちは繰り返さない=クビにしたのだから繰り返せない(=再発防止)ことを対外的に示す。その上で、Dappi本人へ損害賠償を請求する。

ここまでして、ようやく「会社ぐるみの業務活動だったのでは?」との疑惑を晴らせるかどうか、といったところでしょう。それが、ごく一般的な感覚だと思います。

会社と、会社の今後のビジネスを守らねばならない普通の経営者ならば、間違いなくそうした決断をしたはずです。

しかしこの裁判においてK・K社長は、この期に及んでDappi本人を「大事な仲間」と呼び、「仲間を(誹謗中傷や取材攻撃から)守る」と言いました。

コーポレートガバナンスの面でも、経営者としての危機管理の点でも、常識はずれの方針と言わざるを得ないでしょう。

◆傍聴中、もっとも衝撃的だった場面とは

次は、私が傍聴していて、最も驚いたシーンの話をします。

それは、W社のK・K社長が頑として裁判所の命令に背き、Dappiの実名を開示しないと言い張ったため、裁判長が言ったセリフです。裁判長はK・K社長にこう言いました。

「裁判所の開示命令を拒否すると、自動的に相手方の言い分を認めることもありますが(つまり裁判に負けるという事)、それでも拒否するのですか?」

考えてみればずいぶんと親切な話です。実名を言わないと裁判負けちゃうよ、と裁判長みずからが事前に教えてくれているのです。しかし私が驚いたのは、それに対するK・K社長の返答でした。

彼はまっすぐ前を見据え、大きな声で「はい!」と肯定したのです。

◆裁判長にたしなめられるほど、あいまいな態度に終始していた社長

なぜこの態度に私が驚いたかと言えば、この時だけ、それまでの彼の態度と全く異なっていたからです。

これまでK・K社長は、尋問中は終始、原告側弁護士(つまり追及側)の厳しい質問に対し、キョドった態度丸出しで声も小さく、下を向くなど、見ていて気の毒なくらい弱々しい様子でした。

何を聞かれても、素人の将棋のように長考し、はっきりしない態度を取っていたので、途中で裁判長から「(そんなに長く考えるような)難しい質問じゃありませんよ、よく聞いて答えなさい」とお説教を食らうほどでした。

◆法廷が騒然とした場面とは

そばでK・K社長の表情や挙動を見ていた私には、この時の彼の心理が手に取るようにわかりました。

おそらくこの社長は、相手の弁護士から質問されるたび「何かヘタを打ってDappiの特定につながる情報を明かすわけにはいかない」と思っていたのだと思います。だから簡単な質問にさえ、即答できなかった(しなかった)というわけです。

じっさい途中で「Dappi本人の出勤頻度は?」と聞かれた彼が「特定につながるので言えない」と、まさかの回答拒否をした場面がありました。

さすがにこれには相手の弁護士もあきれ果てた様子で「なんでそれが特定につながるんだよ」とヤジ気味にぼやきました。

同時に法廷内も騒然となり、裁判長らも含めてそのボヤキに同意したムードとなり、味方の弁護士さえも異議を唱えることがなかったため、結局社長は「(Dappi本人は)かなりの率で出社していました……」としぶしぶ回答するはめになりました。

◆Dappiの実名開示拒否こそが、K・K社長の強い意志だった?

そんなK・K社長が、先述の裁判長の「それでも拒否するのですか?(負けちゃうよ?)」の最後の情け的な発言に対し、この日もっとも張りのある大きな声で「はい!」と答えたのです。

ほかはともかく、この回答だけは彼自身の強い意志が込められた、真実の一言だったのだろうと感じました。

◆法廷でネトウヨ的な陰謀論をほのめかす

W社側は「投稿が業務によるものだと拘泥し続ける原告の姿勢からは、訴訟の目的が他にあるのではないかとの違和感を覚えざるを得ない」などと主張しましたが、私はこの言い方に強い違和感を感じました。

いわゆる「サヨク」の陰謀をほのめかすような言い回しが、いかにもネトウヨ的、すなわちDappi的だったからです。こういう感覚は、たぶん一般の人はわからないと思います。私は20年も保守言論空間にいる身ですので、肌感覚でピンときました。

しかし、そもそもこの被告側の主張は、常識で判断して、あまりに説得力がありません。説明します。

◆説得力がまるでない、被告側の主張

普通に考えれば、「投稿が業務によるものだと拘泥し続ける原告の姿勢」とは、むしろまともな経営者なら原告以上に身に染みて感じるであろう当たり前の話だとわかります。

なにしろDappiは会社のオフィスで、会社が所有するPCと、会社の編集アプリケーションを使って、会社のインターネット回線を経由して、会社の営業時間中にまんべんなく何度も何度も「手の込んだ自民党プロパガンダ」を発信し続けていたのです。

しかもこの会社は「自民党の都連からの仕事を請け負っている」(証言より)会社です。

繰り返しますが、まともな経営者ならば、真っ先に考えるのが「ヤバい! これどう見てもウチが業務でやっていると疑われるパターンじゃん!」というものでしょう。

ところがW社の社長は、「投稿が業務によるものだと拘泥し続ける原告の姿勢からは、訴訟の目的が他にあるのではないかとの違和感を覚えざるを得ない」などと言っているのです。

いやいや、だれが見てもそう疑われるの当たり前じゃないですか、というほかありません。むしろどこに違和感があるのか、私にはさっぱりわかりません。

◆ネット音痴のWEBコンサル社長??

この社長は、政党(自民党)や政治家個人からも請け負って、ウェブサイトを制作する会社の経営者、だそうです。そして、会社としてSNSの投稿テストを行ったこともあるそうです。

それなのに彼自身は「ツイッターのアカウントは持っていない」「やり方も知らない」「投稿も画像の表示もたぶんできない」と法廷で証言しました。

そんなネット音痴ぶりをアピールする一方で、相手方から「経歴を見ると、アナタにも動画編集のスキルがあるはずだ」と指摘されると「お遊び程度(のスキルはある)」などと認める始末です。

つまりK・K社長は「動画編集のスキルはあるけどツイッターの投稿は出来ない、ウェブサイト制作会社社長」というキャラクターなわけです。

もし映画の脚本家がそんな設定を出して来たら、監督から一発で「馬鹿かお前、書き直せ」といわれると思います。

まあ、別にそういう人物が現実にいてもかまいませんが、これまでの証言と行動があまりに矛盾に満ちているため、こうしたすべての法廷発言の信ぴょう性にまで、疑問符がついてしまうのではないかと危惧しています。

◆まとめ

W社の役員二人は、原告側からDappiではないかと疑われ、「俺たちじゃない」と訴えたものの、一番の無実の証拠である「Dappiの正体」についてはなぜか隠すという、矛盾した行動をとりました。

そのような事をすれば、会社としての信用は地に落ち、今後、このような会社とビジネスをする相手はいなくなる恐れすらあるというのに、です。

いったいなぜK・K社長は、経営者としてそんな意味不明な行動をとったのでしょうか。

裁判中最も自信あふれる声で「はい!(絶対にDappiの正体は明かしません!)」と答えたK・K社長には、きっとある確信があったのだと思います。

「Dappi事件の真相を隠し続けさえすれば、俺もW社も安泰のはずだ──」

一見矛盾だらけのW社の言動について、論理的な謎解きをすればおのずとそのような結論になります。

さて……ではなぜDappiをかばうとW社は安泰なのだと、あなたは思いますか?

映画では、わかりきったことは説明しないラストシーンこそが極上とされています。

それに倣い、私もこのあたりで筆をおくと致しましょう。


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