見出し画像

インドネシアの島めぐり41日目 雨のブル島 宿に缶詰

ブル島はマルク州でセーラム島、ハルマヘラ島についで3番目に大きな島で、佐渡島11個分くらいある。
人口は20万人弱、ほとんどが沿岸部に住む移住者でイスラム教徒。先住民族は山に住み、土俗のアニミズムを信じている。

歴史に現れたタイミングは早く、1300年代にはジャワのマジャパヒト王国の記録に出てくる。その後はテルナテの支配下にあったがほぼ放置されていて、実際の支配はマカッサル人が行っており、香辛料を栽培させていたそうだ。
オランダ東インド会社の植民地、日本軍による占領、インドネシア独立と続く。

ここが有名なのは、スハルト政権下で政治犯が島流しになった場所だからで、その中にインドネシアを代表する作家、プラムディア・アナンタ・トゥールがいる。

わたしはこの人が描いたブル島4部作と呼ばれる小説が大好きで、今回ブル島に来たいと思ったのは、この作品が生まれた場所を見てみたかったからだ。
わたしのインドネシア関連のオススメ本1位に勝手にランクしている。

ブル島へのアクセス

アンボンのガララ港とブル島のナムレア港をフェリーが毎日運行している。
それぞれの港を20:00に出発し、翌朝6:00に目的地に到着する10時間の船旅だ。
料金は100,000ルピア(1000円)で、1人分の寝るスペースをもらえる。

わたしが乗った船は運悪く満席で、荷物を置く場所もないままどうしようかと思ったが、意外によく眠れた。
船はとてもよく揺れる。波が荒い場所を通るためだ。
わたしがこれまで乗った大型船と比較すると、もっとひどい揺れの時は何度もあったので、そこまでではないという印象だ。
ただし、毎回これだけ揺れるのであれば、人々がよく揺れるというのは理解できる。

アンボンへの戻りのフェリーはほとんど揺れなかった。そしてすいていたのと慣れもあってとても快適に寝られた。

ブル島の観光

政治犯が収容されていた場所を見たかったが、わたしがイメージしていた監獄のようなものはなく、普通の家に住んでいて、そこは今も誰か別人の住処として使われているらしい。
宿や港のあるナムレアの町から20キロほど離れたところにあり、彼らの労働により新たに開拓されたエリアなのだろう。
見た目は至って普通の場所で、ホテルの前の道にある家々と同じなんだそうだ。ホテルの人もオジェックも同じことを言っていた。「行っても何も面白くないぞ。ただ家がポツポツ並んでいるだけだ。」というので、行く気がなくなってしまった。

ホテルの前の道

1965年のスハルト政権による共産党弾圧の頃の話だから,今から60年近く前になる。プラムディア・アナンタ・トゥールは10年くらいこの島に収監されていたという。

彼の名前を出しても文字で見せても、ホテルの人たちやオジェックの運転手たちは知らない。わたしが「スハルト政権時代にブル島に送られてきた人たちが暮らしている場所を見たい」と言ったら通じた。
彼らの言ったインドネシア語を直訳すると「スハルトがブル島に捨てた人たち」だ。
事実を的確に表現している気がする。

フェリーがついた頃に降っていた雨が、どんどん強くなり、わたしは朝ごはんを食べに行くこともできないまま、ずっとホテルに缶詰になっていた。
20時のフェリーに乗ってアンボンに戻ることを考えると砦見学は無理だし、政治犯たちの住居も上記の理由でやめた。

13時をまわって雨が止んだ間隙を抜って、わたしはピンクの浜(Pantai Mera Putih)に行ってみた。コモド島ツアーでもピンクの浜に行ったので、比較してみようと思ったのだ。
宿から1.5キロにあり歩いていける。

行ってみたらそこに砂浜はなく、ピンクかの確認はできなかった。
魚焼きでもあるかと期待していたのに食堂自体がない。
子供が海で泳いで遊んでいた。あとはおじさんが釣りをしていた。おじさんにパンタイ(砂浜)はどこだろうかと聞くと、そこだと海を指差した。もしかすると干潮になれば現れるのかもしれない。

フェリーの到着場にもなっていて、アンボンではない場所に行く船が停泊している。
この島はフェリー乗り場はフェリー乗り場だけが独立してあり、町は高台にある。まるで津波を恐れているかのように見えるが、実際に高台の方が広々した平地が広がっているので住みやすく開発もしやすかったのだろうと思われる。

町を広々と作りすぎたために中心部でも閑散としたように見える。

わたしは雨宿りを兼ねて昼食を取った。鳥の炭火焼きとご飯、それとオレンジジュースで38,000ルピア(380円)。
店の人たちに記念撮影を頼まれた。ピンクの浜では小学生たちに囲まれた。たまたまの可能性はあるが、外人好きな人たちが多い場所なのかもしれない。

その後もずっと雨は降ったり止んだり豪雨を繰り返し、わたしは観光は諦めて部屋で寝てしまった。

考えてみれば、旅に出て40日以上というもの、運のいいことに雨で行動が制限されたことは一度もなかった。今ちょうど雨季真っ盛りということを考えると普通は考えられない。

むしろ今日のようなことが何度も起きると思っていたし、天候不順で飛行機や船がキャンセルされることも想定していたくらいなのだ。

旅の最後に、現実とはこういうものだと神様が教えてくれたのかもしれない。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?