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スラウェシ島の温泉を巡る旅 3日目マナドからトンダノ温泉へ

昨夜20時に出発した車は途中で1人ピックアップしたあとマナドに向けてひた走った。
ルートは一度逆方向に向かって進んだあと峠を越え、北側の海に抜けて海沿いに進むという予想とは違うルートだった。400km. 道が良いのかもしれない。

驚いたことに夜中の0時を回っても車はそれなりに走っており、日本の道と何ら変わらなかった。コンビニもところどころ開いており、混雑している。
我々の車は何度か小休止をしながら、RM Gorontaro(ゴロンタロ食堂)で食事をとった。2:30にもかかわらずひっきりなしに車が止まり、駐車場の順番待ちができるほど混み合っている。
わたしはゴロンタロで結局食べそびれた魚をここで食べた。マグロの焼き物で美味しかった。

ホテルに着く前に夜が明け、本日のホテルAvons Residenceには6:30についた。部屋に入れてくれるかもと期待していたが3つ星ホテルにしたため厳格で、12時まで入れない。

レンタルバイクを借りる

それならばバイクを借りて温泉でも行って、疲労で痛くなってきた腰を回復させようとレンタルバイク屋を探しに周囲を散策した。
地図にはたくさん出てくるのだが、存在しない、閉まっている、在庫なしだらけで、結局8軒も回ってしまった。
2日160,000ルピア(1600円)。

その途中で体験した渡し船についてお話ししたい。

地図で探したレンタルバイクやが存在せず、近くにある川を渡った別の店に行こうとした時のことだ。
川を横切ればすぐなのに地図には橋が載っておらず、離れた場所にある橋を使うと2キロも遠回りになる。
わたしは「怠け者が多いインドネシア人がそんな面倒なことをするはずがないので、簡易的な橋があるに違いない」と勝手に想像し川に向かって進んでいった。

川の堤防によじ登って様子を見たが、橋らしいものはどこにも見当たらない。付近にいた暇そうなおじさんに「何を探しているのか」と聞かれたので、「橋があるんじゃないかと探している」と答えた。

おじさんは「橋なんてない。すぐに壊れて流されてしまう。」と昔話の「大工と鬼ろく」みたいなことを訳知り顔に言っている。「でも不便だよね。」とわたしが反論すると、「舟を使うんだよ(きみ)。」と、ドヤ顔をしていた。いやドヤ顔というより、こんなことも知らないのかこの気の毒な旅人はといった表情だったかもしれない。

とにかく乗ってみたいと思い、そこから100メートルほどにある船着場に行くとお爺さんが眠そうに舟に座っていた。向こう岸まで乗れるか聞くと、ここに座れと言ってお爺さんのすぐ前の席を指定され連れて行ってもらった。

松江や柳川のような水郷巡りをやれば流行るかもしれないなと思った。

渡し舟代2,000ルピア(20円)

トンダノ温泉へ向かう

マナドからはクネクネした山道を登って行ったところにある。芦ノ湖に向かって箱根路を登っていく感じだ。空気がひんやりしてくる。

トンダノ湖の周辺の温泉を巡る

トンダノ湖という淡水湖のほとりにたくさんの温泉が湧いている。
昔からあるようで、高見順の「蘭印の印象」にも、彼がスラバヤに向かう途中でマナドに寄港し温泉に立ち寄った話が出てくる。A氏という日本人医師に連れて行ったもらった時の様子が書かれているので一部引用してみる。

小高くなった道路を降りきると小屋があり、その裏が温泉である。岩の間から湯が湧き出ていて、岩の窪みがそのまま浴槽になっている。その上に小屋が掛けてあるのだが、まことに野趣満々。ー和蘭人はあまり温泉を好まぬと見え、入りに来ないという。入るのは土民だけ。それでこのように野趣が残されているのであろう。
ー略ー
小屋のなかに入り、岩の上で洋服を脱ぎ、ざんぶりとお湯に入る。熱くなく、ぬるくなく、まことに頃合いの湯加減。

旧漢字、仮名遣いはウダが修正

和蘭人とはオランダ人のこと。
高見氏がインドネシアを訪問した昭和16年4月は、すでにオランダ本国がドイツに占領され、インドネシアを支配するオランダ人は帰る場所を失っている状態。かつ前年に日独伊三国同盟を結び、オランダはいつ日本が攻め込んでくるか警戒しており、その様子が頻繁に出てくる。

ちなみに本に出てくるA医師は、トンダノに「富田野」という漢字を当てており、当時から豊かな田が広がる場所だったようだ。

(1) S Bressing温泉

個室風呂がある温泉。料金は25,000ルピア(250円)。
通りから小道を通って奥に行くと個室が並び、奥にプールがあり、さらに奥には旅館にでも使っていそうな木造の建物がある。

泊まれるのか聞いたところ、近くにあるマナド大学トンダノキャンパスの女学生向けの寮になっているそうで泊まれない。温泉の町トンダノならではの贅沢な寮だ。毎日温泉に入れるなんて本当に羨ましい。
建物の中にも、寮専用の温泉を用意しているそうで、彼らはこっちのプールには入らず、プールはもっぱら外から来た温泉好きな客だけが入るのだそうだ。

横にある平屋の建物を来年から泊まれるようにするので、来年ぜひきて欲しいと言われた。1泊朝食付きで200,000ルピア(2000円)

個室風呂はこんな感じ。わたしのために入れ直してくれた。
湯量が多いので、おしゃべりしているとすぐにたまる。

お湯は無色透明で無味無臭。単純温泉だろう。
温度は40度を切っていると思われる。敷地内に掘削自然湧出の源泉があり、加水も加温もしていない。
さっぱりして気持ちの良いお湯だった。

(2) D'Moi温泉

ここも個室風呂とプールがある。
敷地内に家が建っていて、この一家がオーナー兼湯守のようだ。

この泥の溜池みたいなのも熱いから温泉が出ていると思われる。

お湯は部屋によって温度が変わり、ぬるいお湯は37度くらい、熱いのは42度くらいある。プールのお湯は熱く42度はあるだろう。
湯守からは熱くて入れないぞと言われた。

プールから個室風呂棟を眺める

料金は5,000ルピア。個室もプールも同じ料金で、わたしは両方に入ったので全部で10,000ルピア(100円)だった。

1番熱い湯。とても気持ちよかった。

ここのプールからは、若干遠目ではあるが、トンダノ湖の湖面が見える。ヤシの木と遠くに見えるトンダノ湖の景色により、異国情緒あふれる露天プールだ。
メイン画像の写真。

(3) Rendaina公衆温泉

事前調査で、池のような温泉がありそうなので訪問してみた。
そのあたりにいた子供たちによれば、この集落は温泉の洪水(バンジール アイルパナスと言っていた)のなかにいて、各家に温泉が湧いているほか、流れる小川も暖かく、湿地のような泥状の地面も温泉らしい。
小川には魚がいるというので、単純温泉と思われる。

この川に沿って奥に進むと温泉の池がある

まずバイクを止めさせてもらった家にある温泉を見ると、たらいにざぶざぶと温泉が流れ込んでおり、それを桶で掬って浴びるスタイルになっている。
お湯はトタンの蓋をしている場所から湧き出ている。
どの家にもあるらしい。贅沢この上ない。

その家のおばちゃんの指示を受け、子どもたちがわたしをみんなが入る温泉に連れていってくれた。
小川に沿って奥に進むと、深い池があり、触るととても熱い。48度くらいだろうか。インドネシアに来てから熱い温泉に入らなくなったため、熱いのが苦手になってしまった。なんとか足を10秒つけるのがやっとだった。

子供達は入れるそうだ。大人も子供も慣れているのかもしれない。
もっと熱い源泉もあると教えてもらったが、どうせ入れないからと思い断った。

(4) Gracia Onsen

Google mapで見ると、珍しく「オンセン」という言葉を使っている。わたしはもしかするとここが昔からある高見順も入った温泉かもしれないと思い行ってみた。
おやすみのようでお湯は抜かれてた。また周りの様子や個室の様子を見ても作ったばかりの温泉のように見えた。

高見純が蘭印の印象で紹介していた、昔の日本人が入っていた温泉はどこに行ったのだろうか。岩の割れ目からお湯が出ているところを見てみたかった。

バイクが壊れて焦る

マナドから急な坂道を登ってきたのがいけなかったのか、レンタル屋の整備不足か、エンジンがかかりにくくなり、かかっても途中でとまる様になった。「パンッ、パパンッ」と火花が散っているような音もするし、不完全燃焼の煙の匂いもしている。
マナドとトンダノ湖は35キロ離れている。しかも峠越え。これはとてもまずい状況だ。

わたしはベンケル(整備場)を探して修理をお願いした。若いがしっかりした顔つきのお兄さんが治してくれた。
見ていると、部品を綺麗にしている。オイルで洗うとか。洗うだけで治るのかと驚いた。

しかし、治りきっていないようだ。わたしのバイクは坂を1キロほど上がったところでまたエンジンが止まった。同じ症状のように見える。
仕方なくベンケルに戻ろうと手で押していたら、目撃されベンケルに連絡がいったようでバイクに乗って駆けつけてくれた。プロフェッショナル精神が素晴らしい。結局部品を交換することになった。

また止まるんじゃないかと不安で、エンジンに負荷をかけないよう、一定の回転数を保ちながらゆっくりと進んだ。わたしのバイクよりのろいトラックがぜいぜいいいながら走っているので大丈夫だ。

ホテルに着いたのは20:30。ほっとしてどっと疲れた。

明日はレンタル屋に行ってバイクを交換してもらう。


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