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藤田敦史「藤色の番頭」

誰もが納得する人選となったのではないか。

3冠という素晴らしい99回大会で身を引く大八木監督の跡を継ぐ人は、おそらく彼しかいないだろう。なぜなら彼は「藤色の襷」を名門へ引き上げ、そして名門駒澤大学を作り上げた大八木さんの「長男」なのだから。

そんな彼が、なぜ「長男」と呼ぶことができる存在と言えるのだろうか。それは、彼の駒澤大学で歩んできた軌跡を見れば誰もが納得いくものだからだ。

決して高校駅伝などで目覚ましい活躍をしてこなかった彼が、藤色の襷をなぜここまで強くさせたのだろうか。そこには大八木弘明という男と歩んできた指導者人生とも重なる。

無名から駒澤大学のエースに

高校時代は無名だった藤田さんは、当時注目されていたのは駒澤大学とカネボウ陸上部からだけだった、というのは有名な話である。同級生には現在山梨学院大学でコーチを務めていらっしゃる大崎悟史さんやヤクルトで活躍され現在でもコーチとして在籍しているダニエル・ジェンガさんがいる。
輝かしい彼らとは異なり、清陵情報高校時代に都大路を走ることもなく、むしろ実力を発揮できずに苦しみ続けていた。

その後、唯一スカウトが来て入学した駒澤大学も、当時は決して競合だったわけではない。その中でも、1年目から練習についていくことができずに苦しんでいたのが藤田さんだった。
その原因をいち早く見抜いたのが、当時「コーチ1年目」だった大八木さんだった。自らの経験からいち早く貧血が原因と見抜き、薬物だけでなく食事療法も含めて藤田さんをサポート。

すると、めきめきと実力をつけた彼は1年次から箱根で快走。チームは総合12位に終わる中で、1区区間2位と大健闘を見せる。すると2年生以降の活躍は言うまでもなく、4年時には区間新記録を樹立して駒澤大学を名門校へと押し上げる活躍を見せていった。

この頃になると「駒澤大学のエース」と呼ばれるようになり、さらには世界へと打って出る存在にまで成長していったのは紛れもなく大八木コーチが「貧血」という原因を明らかにしてくれたことにあったことは想像に難くない。

だが、その後も藤田さんと大八木さんの関係性は続いていく。それは大学卒業後のことだった。内定していた富士通に在籍をしながらも大八木さんの指導を受けていたためでもあった。

見せ続けた「背中」

2000年12月にマラソン日本記録を出し、名実ともに日本のマラソン界のトップとなった彼と合わせるように、駒澤大学もまた「平成の常勝軍団」と呼ばれる名門チームに変貌を遂げていく。

駒澤大学在学中に主務を務めていたM高史さんも、藤田さんのトレーニングを手伝った一人。陸上に向かう姿勢は「水蒸気レベルで違った」と評される意識の高さは「侍のよう」と評されるほど。

常勝軍団になっていた駒澤大学の中でさらにトップを目指すための「背中」は世界を舞台に戦った選手を輩出し、多くの指導者や息の長い選手たちも輩出したのだろう。

如何せんケガが多く貧血体質だったこともあって、必ずしも活躍できた期間は長くなかったものの、2013年の現役引退までその瞬間に賭けるという強い意識と向上心は大八木さんとの二人三脚だったからこそなのかもしれない。

そして、2015年に再び駒澤大学にヘッドコーチとして彼は帰ってきた。

トップレベルの選手として、そして「翻訳」役として

当時の駒澤は2008年の総合優勝からシード落ち、柏原竜二さんや青山学院大学の躍進などもあり後塵を拝していた。50代後半になっていた大八木さんにとっても転換期が来ていたことは想像に難くない。
それまでにも高橋正仁さんや前田康弘さんがコーチを務められていたが、大八木さんにとって誰よりも彼の方針や考え方を理解し「翻訳」できる人を求めていたはずだ。

ちょうど2014年、2015年と言えば中村匠吾選手が駒澤を拠点にして実業団選手としての活動を始めた時期でもある。トップレベルの実績を持っている選手であることもまた必須条件だったはずだ。

大八木さんとの時間も長く重ねてきた藤田さんにその役は適任だったことだろう。もちろんなかなか結果が出ずに苦しんだ時期でもあったが、この時期に在籍していた大塚祥平選手に西山雄介選手、山下一貴選手と、マラソンの中でもトップレベルの選手を輩出するに至っている。

これは当然大八木さんをはじめとして駒澤大学の指導力が長けていたことを示すものでもあるだろう。当然、駅伝での結果が伴わずに苦しんだ時期も長かったはずだ。

選手たちを理解しようと努めた先に、藤田さんの役割も次第に増えていった。練習メニューの作成や几帳面で細かな選手の変化に気が付けるのは大八木さん譲り。

一方で、世界を知る男として駒澤大学のレジェンドとして、そして……「大八木一家」の番頭として。藤田さんは駒澤大学陸上競技部の後任監督にふさわしい存在へと変わっていった。

そして……2022年度の3冠達成という最高の結果での「禅譲」を達成することとなった。その先の未来へと情熱を燃やす大八木さんの次を担う藤田さんの手腕はこれから問われることとなる。

大八木さんは森本葵さんや高岡公さんに守られながら、のびのびと選手に向き合い続けてきた。藤田さんは二人三脚で大八木さんとチームを作ってきた。それは来年高林祐介さんとになるのか、それともその他の方たちとになるのか。

「番頭格」を務めてきた彼が、4月からどのようになっていくのか、藤色の名門に期待を大いに寄せていきたいと思っている。

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