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禁断の惑星

↑からイメージを得て作りました。仮題はそのまま。

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 太陽はとうの昔に死んだんだよ、と彼がこぼしたのを今もぼくは耳の中に残している。だけれど、ぼくがその言葉を受け止めるには、その時まだあまりにも若かったとも今となっては思うのだ。

 全ての者たちを怯えさせ、戸惑わせるウイルスが世界中に蔓延してからというもの、ぼくたちの生活は大きく変わってしまった。人々の表情はマスクで隠され、どこかうつろで、もう未来さえないと感じているようにも見える。それがぼくらにまで蔓延していて、強い不安感が今この社会を覆いつくしていた。
 あれだけ激しく車の往来のあった街が、車は減り人の苛立ちで往来を始めるようになったその時にカマタが口を開いた。マスクで鼻と口を覆ったその顔は、何も読み取らせまいとしているようにも見えて。
「そりゃあ、最初から心を開くなんてことできるわけないさ」
 放課後、人のまばらなマクドナルド。既にカマタはコーラを飲み干している。目だけで、言葉を読み取らせないようにしながら、何やら慎重に言葉を紡いでいるように見える。それもそうだろう。ぼくが、カマタにこう言ったことがきっかけだったから。
「なんだかどいつもこいつも、嘘をついている顔をしているね」
 駅近のショッピングモールは本当ならいつもにぎやかなはずで、同じように制服を着こなした友達たちが闊歩している。そのはずなのに、席の距離を取らされた上に密を防ぐために取らされた距離は、端から存在していたはずだとカマタは語る。
「元々人間は嘘をつく。それは自分という存在があけっぴろげになるのが怖いからだよ」
「なるほどね」
「じゃあ、嘘をつかないで一番理想的な方法は、どうすることだと思う?」
「距離を取ること?」
「正解」
「じゃあ、ぼくたちは最初から距離があったということだね」
「そういうことになるな」
 ぼくは大きくうなずいた。カマタは少し哲学的な一面を持っているが、その価値観が面白くクラスで良く行動を共にしていた。ウイルスがどうだとか、そんなことはくだらない。自分は自粛を自粛すると三者面談で威勢よく言い放ったものだから、それ以来担任からも目を付けられているようではあったが。そんなカマタの持論に腕組みしながら、ぼくは問いかけた。
「じゃあ逆に、どうしたら距離が縮まるのだろうか」
「縮まったように見せることなら誰でもできるんだよ」
「というと?」
「お前、隣のクラスのタザキと会話をしたことは?」
「あるよ、それが?」
「じゃあ、あいつに心を開いているか?」
「全然」
「なぜ?」
「親しくないから」
「それはなぜ? ここが重要だ」
「あいつとは親しいやつも違うしね」
「つまりだ。親しいやつが違うってことは価値観が違うってこと」
「そういうことになるね」
「とすると、タザキのコミュニティとお前のコミュニティ、それぞれがまるで異なるということなのさ」
「とすると?」
「結論からいえば、お互いに信じている物事もまるっきり違ってくるということなのさ」
 確かに隣のクラスにいるタザキは、決して優等生ではないし運動神経も良くはないが、どういうわけか根が熱い人間が周りに集まっていて、自分たちは希望に満ちているということを強く信じる人間でもあった。ぼくは真逆でいささか冷めているためか、そんなタザキを時々冷ややかに見る面もあった。時々、クラスの隅で過ごしているカネコに持論を語ってみたり、何かを始めたと言ってみたり。ただそれらを決してやり抜くことなく、むしろ時折放棄しては周囲を閉口させることもあった。
 そんなタザキにも信じるものがあるということなのか。
「コミュニティが一つあれば、そこに生まれるのはコミュニティという宗教さ」
「宗教?」また突飛なことを言うもんだ、とぼくは驚く。「それってどういうことさ」
「お前とタザキのコミュニティがそれぞれ違うように、そのコミュニティ内には必ず暗黙の了解というのがあるだろ?」
「ああ、なるほどな。それが戒律というわけか」
「まさしく。そうしてそのコミュニティに属している、ということはそのコミュニティという宗教を信じるということなんだよ」
「何かを信じたいんだろうかね」
「さあね」カマタは遠くを見た。「太陽はとうの昔に死んだというのにさ」
 その言葉の意味をぼくはその時よく知らなかった。それからスマートフォンを見る。もう帰るか、とぼくを促した。頷いて席を立った。外へと出ると、さっきまであれだけ青々としていた空は、オレンジを経ることなく暗くなっていた。もう冬がすぐそこにやってきていることを知り、ぼくもカマタも身震いする。
 そのまま駅前のロータリーを抜け、公園を向こう側に見ながら大通りを歩いていく。カマタは斜め上を見ながら、ぼくはぼんやりと前を見ながら。それでも帰り道をただ歩いていく。言葉も無いままに。何メートルか先の信号はもうすぐ赤になる。二人とも立ち止まる。気になっていることがある。それは、すぐに言葉となる。車の走る音はそれほどない横断歩道に。
「なあ」
「どうした?」
「ぼくたちは友達、ということで良いんだろうか」
 カマタはぼくを見た。それから、笑った。
「当たり前だろ」
 そう言って。
「とすると、今ここに居ることは二人だけとはいえコミュニティが成立していることにならないかな」
「なるほど、面白いことを考えるね」
 カマタは顎に手をやった。それから、ぼくを見た。お互いを友達として「信じている」という信頼という名の宗教。笑ったカマタにぼくも笑い返す。
「そうかな」
「うん、実にいいよ」
「ありがとう」
「とすると、君にとってぼくが太陽で、ぼくにとって君は太陽というわけだ」
 そう笑いながら。なるほどなるほど、と独り言ちているカマタはすっかりと信号が変わるまで哲学者となっている。
「じゃあ、その考察をまた明日は、深堀するとしようか」
 どうしてだろう。その時に、カマタの姿を見て背筋に寒気を覚えた。まるで何かにとりつかれているかのような、そんな恐ろしさと寒々しさを。ぼくだけにしか分からない、得も言われぬ寒気。言葉が出てこない。
「どうした?」
「な、なんでもない」
 何とか絞り出す。カマタを直視できない。何とか口周りを見ることで、しっかりと見ているようにごまかす。
「そんな怖い顔をするなよ」
 横断歩道が青になった。それから別々の道となるところで、ぼくとカマタは別れを告げた。

 カマタが死んだという話を聞いたのは、次の日学校でのことだった。飛び降り自殺だった。

 マスクで目と鼻を覆っていた多くのクラスメートたちが驚き、そして大して親しくなかった者たちからまずは涙を流し始めた。こうした時、真っ先に涙を流すのは大して親しくなかった人間からだけだ。その理由は分からないけれど、大げさに泣けばクラスメートからの印象も良くなるからなのだろうか。
 ただぼくは、呆然としたまま教室の中で一人驚いていた。というよりもそれ以上のことができないままで。隣のクラスからもすすり泣く声が聴こえ、ぼくたちはあまりにも現金な奴らだと思う。まるで皆がカマタの死を心から悼むために、泣くべきだと。
「太陽ってどんな存在だと思う?」
 そういえば、昔カマタから聞かれたことがあった。放課後、二人だけの教室。ガソリンの色をした空がどんどんと落ちていくのを見ながら。ぼくは窓の外を指さして返した。
「あれだろ」
「もちろん。でも、絶対的な存在かどうかって言われるとどうだろうか?」
「とは言っても、一つしかないならそうなるんじゃないか?」
「確かに。実際に太陽を神として崇める宗教もあるからね」
 あれが初対面だったということを思いだす。何やら気難しいやつだな。そう思いながら話を聞く。
「ただ、もし。もしだよ。その絶対的存在が消えてなくなったとしたらどうする?」
「探して見つけ出す」
「ほう、なるほど」驚いて、軽く仰け反ったカマタを見て、ぼくはこいつはおかしいんじゃないかと思う。「ただ、ぼくはちょっと違うな」
「どうすんの」
 多少面倒くさそうなトーンで、返した。
「ぼくなら、ぼくが太陽になる」
 何言っているんだこいつは。それがカマタとの初対面だった。不敵に笑ったその口と目は、作られた笑いのように感じられて。教室ではただ、茫然としたぼくを呼ぶ声が聞こえる。すすり泣く声が戻ってくる。
「職員室に来なさい。カマタとの件で伝えなければならないことがある」
 担任がぼくを呼ぶ声がして、ぼくはうなずく。職員室へと歩く道すがら、またカマタとの話を思い出す。マスクの目の奥からは涙が溜まっている。担任もまた、悲しみに暮れている。少なくとも目だけは。リノリウムで作られた廊下と遠くへとつながる白い世界には、冬特有の白い光だけがぼくへと入ってくる。
 どうしてカマタと仲良くなることができたのか、今でも良く分からない。ただ、お互いに強調することを嫌がっていたことだけは事実だった。きっと互いに干渉しあわないところが、彼にとっても心地良いものだったのかもしれない。
「統計学的だ」
 そう言って首を横に振っていたカマタ。あれはいつだったかの放課後の廊下。それこそ隣のクラスのタザキが気弱なクラスメートのカネコに対して何かしでかした時のことではなかったか。それは明らかに侮蔑の感情が入っていて、タザキを見下していることだけは確かだった。ただ、統計学的という言葉だけが引っかかって。
「それはどういう意味だい?」
「ありきたりすぎる。そして、それが正論だったとしても寄ってたかって逃げ道をふさぐような真似をすることを是としているのだから」
 カネコもまた同じ学年の中では群を抜いて変わり者と呼ばれていて、それゆえに多大なる誤解を受けやすい人間でもあった。タザキは理解者になろうとしているように見せて、自分の中に取り込もうとしたらしい。ただ、それが失敗してあることないことを周囲に吹き込み、カネコを悪者に仕立て上げようとしていた。クラスという狭い場所の中では、それっぽいことを言って人気のあるものが常に太陽となる。タザキは太陽にはなりえなかったが、太陽に近い人間ではあったのでカネコは確実に悪者になりつつあった。
 そしてカネコは今でも生きていた。自分の正義を心から信じ、それを証明するが如く。誰からもわかってもらえなかったとしても、それを貫く決意をしているようだった。そんな彼をぼくはたくましく思う。ただ、タザキを浅ましいとは思わなかった。タザキは自分の正義感に従っただけで、それ以上の考えもそれ以下の考えも、最初から存在していない。タザキにとっての太陽とカネコにとっての太陽は、まるで異なっている。
「これを君に渡してほしい。そのように遺書があったそうなんだ」
 職員室で担任から手渡された白い便箋。そして、白い封筒。そこに何かしらの意味をまだ感じ取ることが出来ていない。封の開けられていないそれをぼくは手に取る。封を破り、そして中を開ける。最後の言葉を探るために開き、苦笑いした。担任はどうしたんだと語り、ぼくは中身を見せた。なんだこれは、と担任は驚き、ぼくは苦笑いするだけで。口の動きがはっきりと分かるほどに、担任の驚きを見て、また笑いをこらえたくなってしまった。

 そこに書かれていたのは。太陽にバッテンをつけた絵と、考察終了。君の考察はまたいつか、と書かれた文字。確かにそこにぼくたちの友情があったことを指し示す何よりのサインだった。

 決裂のサインではなく、彼が彼なりに考えた末のぼくへの考察の提示。彼なりの友情への誠意だったのだろう。とすると、ぼくは友情のために人を殺した浅ましい男か。泣くことを暗黙の了解として掲げられた同級生たちは、放課後になれば何事も無かったかのように顔を笑顔に変えて校庭を通り、校門へと歩いていく。
 太陽はとうの昔に死んだ。そして、ぼくの新たな太陽もまた同じようにこの世から消え去った。ただ、なぜなのだろう。肉体としてこの世から消えても。彼が残した思い出が、人々の記憶が。生き続けている限り、彼は消え去ることは無い。つまり、まだなぜだか彼が生きている気がしてならなかった。
「君は実に面白い考察を掲げるよね」
 いつだったか、いつものマックでコーラを飲みながら語ったカマタを思い出す。
「そうかな」
「誰も彼も、極めて画一的なことしか話さず、それでいて先が無い」
「ぼくはあるのかい?」
「少なくとも、さらに考えてしまいたくなるほどにはね」
 まだマスクさえ必要のなかった夕方のマクドナルドは、遠くでタザキが熱く何かを語る声がこちらまで響いてきていた。そんな元気があるなら運動の一つでもやればいいのにと思う。
「ところで」ストローから口を離したカマタがさらに続ける。「君は退屈じゃないのかい?」
「何が?」
「ぼくとの会話が」
「全然」
「どうして?」
「あの大声よりは、はるかに良いことを言うから、かな」
「なるほど」
 満足したのかそれとも不満なのか。またコーラに目を落として、一口吸っていた。それは、ひそかな友情がさらに確信めいたものへと辿り着いた瞬間だったのかもしれない。桜が散って、葉が生い茂る季節になった時のことだ。その時、初めてあの日の太陽の話を訊いた。
「どうやって君は太陽になる気なんだい?」
「急にどうしたんだよ」
「初めて会った時のことさ」
 うん? と腕組みをしてから、記憶を引き出そうとするカマタを見て、本当にこいつは変わったやつなんだなと感じたのをよく覚えている。
「ああ、話したね」
「思い出した?」
「うん」
「答えは?」
「そうだな……。求めてくれる人を探す、かな」
「求めてくれる人」
「ぼくも君も、画一的なものを嫌うところがある。だからこそ、人気者になんて誰もなれないだろう?」
「確かに」
「じゃあ、どうするか?」
「なるほど、だから求めるのか」
 そう言って、フッとカマタは笑った。返事の代わりの同意の笑みを浮かべて。やっぱり変わったやつだな。そんなことを頭の中に浮かべながら、ただ嫌いではないと思った。
 特別何かをしていたわけでもなく、ただぼくにとっては決して他のクラスメートとは異なった画一的でない人間で。人のまばらなマックでぼくはただ一人、いつものようにコーラを頼み、飲んでいるだけで。そこにはただ、カマタがいない。そうか、これが太陽になるということなのか。次に彼と会うことができるのは一体いつになるんだろうか。肉体が朽ち果てていくまでには、どうやらまだ早いらしい。

 通夜にも葬儀にも出なかった。それがぼくの別れ方だ。どうにも、作られたすすり泣きだけは勘弁したかったから。

 冬はすっかりとぼくらのそばへとやってきていた。寒い季節、ぼくの横にはやっぱりカマタがいない。あまり表情には出さないようにしているけれど、どうにも横に太陽がいない事には心なしかしんどいものがある。あれからタザキは次第にクラスメートから遠ざけられるようになった。カネコはなぜかサッカー部のヤジマとハシモトとモチキと一緒にいるようになった。帰宅部だったカネコとの接点はそんなにないような気がしていたのだが、お互いの趣味が合うようになったとかならないとか。どちらにしても、カネコはカネコで自らが太陽になり、カネコのことを照らす太陽が彼らになった。それだけのことなのだ。
 あれからカマタの家に線香をあげに行った。お父さんもお母さんもとても穏やかそうな方だった。あなたは息子のお友達? 問われて、かぶりを振った。どうして自殺なんて、という問いは横に振った。まさか、ぼくの太陽になるためだなんてこと、言えるわけもなかったから。
「どうして人は分かろうとしないんだろうか?」
 一度カマタに問われたことがあった。
「面倒くさいからじゃないかな」
「ほう、どうして?」
「そこまで人が人に時間を作るなんてこと、したくないんだよ」
「確かにそれは一理あるな。タザキのことは理解したくもない」
「よっぽど嫌いなんだな」
「まあね」笑いながら。「統計的でかつ、暴力的だ」
「それは、分からせようとしているって意味でってことかな」
「鋭いね、その通りだよ」
 表情を変えることなく、カマタはぼくにそう言った。
「とすると、やっぱり理解するためにはどうしたらいいんだろうか」
「今、ぼくと君はそれこそそういう段階なんじゃないのかな」
 それはカマタの友情として成立しているぼくへのアンサー。ぼくとカマタはだからこそ、確かな友情で結ばれていて、それをわざわざ死ぬことで証明して見せたということなだけなのだ。訊いてみないことには分からないのだけれど。こういう時だからこそカマタよ、君の出番だったんだぞ。それから、適当にカマタとの思い出を話し、家を後にした。冬は確実にぼくの真横へと辿り着こうとしている。
 太陽はとうの昔に死んだんだよ。だから、自分が太陽になるんだ。カマタの声が蘇ってきた。ただ、あんなに気難しい太陽にはなれないなと思い、空を眺める。水色の空に雲が小さく走っている。視界の横にも下にも、滲むものはない。ただ青空がどこまでも海原のように広がっているのが良く分かった。いつかさらに奥深くの言葉を知った時、また会おう。そう誓った。

 今も太陽は燃えている。

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