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カエルの子なのにカエルじゃないけど、やっぱりカエルよね

どうでもいいことと、どうでもよくないことは人によってそれぞれ違う。
親子だからといって感性も趣向もそれぞれで。

違和感を感じたり、妙に引っかかってイラッとしたりすることは、私にだってあんのよ。

それをいちいち、言うか言わないかだけでね。


たいていのことは、それほど長く続く感覚や感情ではなかったりするし、まあいいかと受け流しているだけよ。

大人気おとなげないから」
「お互いさまだから」

そういう気持ちで人は人と共存するもんではないの?


日本の文化や人間関係はハイコンテクストで成立してるって何かで読んだことがある。

コンテクスト
背景、状況、場面、文脈
ハイコンテクスト
文化の共有性が高く、言葉以外の表現に頼るコミュニケーション方法。
言葉による説明が少なく、会話の際は表情の変化や声のトーン、体の動きなどの行間を読むこと。

『同じ釜の飯を食う』みたいな。


こうして人と人は調和を図る。
和を以て貴しとなす

美しいことではないの。

私はいいか悪いかではなく、正しいか間違っているかでもない、「美しいかどうか」が好きよ。

とはいえ、私は横着というお茶目さを兼ね備えているから、面倒くさいことになるのは避けたいというのが一番大きいんだけれど。



日曜日のNHK大河「光る君へ」を私は毎週欠かさず観ている。

あまり知識はないけれど、興味がある。
だって、平安時代は美しいもの。

そして、千世さんみらっちさんの記事に絡みたい。
ついて行けてなくても、一緒に盛り上がりたい。

あるとき『五節の舞』のシーンで、舞姫たちの衣装に見惚れて思わず
「カラギヌ、うっとりするわ~」
と、呟いたら

「違う。カリギヌな」

ピッと笛が鳴らされた気がした。
教育的指導を挟んだあなたはどなた?

傍らに座っていらっしゃるおたく、審判員でしたっけ。

私の記憶が正しければ、または産院が取り違えていなければ、
たね二郎は私が二個目に産んだ卵からかえったはず。

知らんけど


「え?とうころもなんだから、カラギヌじゃない?」
と、言うと

「カリ、ギヌ。狩る衣、カリ、ギヌ」

得意げにリフレインする。
その目つきは「リピートアフタミー」を私に要求している。


カリギヌ… 聞いたことはあるけども。
いやでも… 「唐」の「衣」で、カラギヌなんじゃないのかな。

「えっと、この服装はたぶん、カラギヌだと思うけど」

一拍、間を置いてから答える。

この「間」こそ、コンテクストである。
おたくさまの意見を否定するとか、この場に角を立てることが本意ではないよと暗に伝えている。

ここはディベートの場でも、法廷でもなく、何かの試合中でもない。
あくまで「これはコミュニケーションですから」というスタンスである。

もひとつ言うと、「たぶん」とつけるのは、客にコーヒーを出す際、ソーサーに砂糖とクリームポーションをつけるのと同じである。

だがしかし。
「いや、カリギヌなんだって。オレ、前に平安時代がテーマで受けた仕事があって、そのときにさんざん調べたから間違いない」

たね二郎はいつでも断定表現でモノを言う。

曖昧さや遠回しな表現を、言うのも聞かされるのも苦手なのは子供の頃からである。

最初に結論を言ってやらないとイライラする。
ガキのくせにまるで上司のような子だった。

たね二郎はもしかすると、客に所望されるまでコーヒーの一杯も出さないでいられるヤツなのかもしれない。

出したとて、
「あのぅ…お砂糖とかクリームを頂けるとありがたいのですが…」
と、客に言わせても平気かもしれない。

もっと言えば
「あ、気が付かなくてすみません」
なんて侘びることもせずにいるかも。

いやむしろ
「要るなら先にそう言ってくれ、二度手間だから」
と、追い打ちかけて言っちゃうんじゃないかと思わせる。

ローコンテクストたね二郎。


たね二郎にカリギヌで「間違いない」と言われ、私にはそれほど知識がないという自信のなさもあり、それ以上「違う」と主張はせずその場は沈黙した。

というか、私は「光る君へ」が観たい。
この面倒臭いヤツを黙らせるには私が黙るしかない。

前回の「どうする家康」も、たね二郎は横でストーリー展開や背景美術にまでツッコミまくり、文句言いまくりながら、それでも最後まで観た。
うっとおしいと思いつつ、我ながらよく辛抱したと思う。

今回の「光る君へ」は「どいつもこいつもみんなフジワラじゃん。わけわからん」とボヤき、
さらに「大河にラブシーンは求めてない」んだそうで、ついに昨夜は途中でスマホをいじり始めた。

たね二郎は「光る君へ」リタイアか?

「興味失せたんならとっとと風呂行けよ!」


言いたい気持ちをガマンしながら、私は観ている。
だって、またそれで余計なこと言われて中断されるのはもったいないから。

あんたには光らん君かもしれんが、私には光るんだ。


後で調べたら、唐衣は『平安時代の婦人礼服。十二単の一番上に着る丈の短い衣』、狩衣は『平安時代に男の公家が常用した略服』とあった。

ほらみれ

※声には出さない


自分が正しいと主張するのは気持ちが良いことかもしれない。
でも私は声高々に「ほぉらみれぇ~!」とは言わない。

美しくないもの。

ってか、さっさと風呂に行ってくれ。

私は静かに大河が観たい!



天気でさえ、まるで自分が仕切っているかのような言い方をするたね二郎はずぶ濡れで帰って来ることが多い。

その日、一日降らなくても、たね二郎の帰宅時間を狙ったかのように土砂降る。
そして帰宅すると止む。

「やっぱり、見えない力ってあるよね」と確信するくらい、天気にもてあそばれるたね二郎。

たね二郎は龍神ともコンテクストが共有できないらしい。

晴れ女の子供なのに、雨男。
そして日曜日に必ず帰る息子。






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